22/枯木の王と生命樹の種子
フィールはシルヴァリエルからハンカチを受け取ると、毛布のように抱えながら自らの涙を拭いた。
「――ありがと」
「いえ、どうかお気になさらず」
ハンカチを抱えたまま、ぶっきらぼうに礼を述べるリボンの妖精の姿に、思わずシルヴァリエルから笑みがこぼれる。
「――なるほどなぁ。妖精たちがあれだけ騒いでたのは、あいつが妖精族を助けた英雄だったから、ってことか」
アースラは頬を緩めると、コリーダに同意を求めるように言った。
「どうやらあいつは、千二百年前からずっと変わらない馬鹿野郎らしいな?」
「ふふ、そうだねぇ。コノハはずっと、コノハだったんだねぇ」
コリーダは笑顔で応えた。
「でも、戦争が終わったばっかりなのに、なんでコノハは魔界にいたんだろうねぇ? 戦争を終わらせた勇者だったんなら、きっと人間の世界でたくさん褒美なんかをもらって、ゆっくり過ごせたんじゃないかねぇ?」
「そういやそうだな。人畜無害のお人好しみてえな面してるけど、あいつってなんだかんだでタダ働きはしてねえもんな」
「それは、確かにそうですね――」
ダークエルフ族の一件は、女王とコノハが旧知の仲だったため事情が異なる。だが飛竜退治のときも魔猪退治のときも、コノハは決して実利を軽んじてはいなかった。
「これは後から聞いた話なんだけど――」
そう前置きを入れてからフィールは話し始めた。
「――アイツ、戦争の後に魔界でなにが起きるか見当がついてたみたいなの。だからそれを防ぐために魔界に来た、って言ってたわ」
「なんだそりゃ? 予知能力でもあんのか?」
リボンの妖精は、どう説明したらいいか悩んでいるようだった。
「信じてもらえるかわからないけど、アイツには――前世の記憶があるらしいの」
「前世の記憶――ですか」
魂の記憶や輪廻転生については魔術の世界でも研究がなされている。
概念自体はシルヴァリエルにも理解できたが、それが実際に存在するものかどうかは、結論が出ていない。その有無を証明する手段が存在しないからだ。
「アイツは自分のことを『転生者』だ、って言ってたわ。それまでは別の世界で生きてたけど、死んでこの世界に生まれ変わったって。……アイツがいた世界ではたくさんの戦争があったから、その後に起きることもだいたい想像ができるって言ってた」
「別の世界、ですか……」
言葉の意味はわかる。言ってみれば魔界と人間界も別の世界だ。
だが彼女の言う『別の世界』とは、恐らくそれとは違うものを指しているのだろう。
それを頭で理解してもなお、実感として受け止めることが、シルヴァリエルにはできなかった。
「我が王には、我々の計り知れないなにかがある、というのは肌で感じてはおりましたが――」
「本当にそんなことがあるもんなのかねぇ?」
思いもよらぬ方向に広がった話に、シルヴァリエルたちは首をかしげることしかできなかった。
「これも後から知ったことなんだけど、実際にアイツが言ったとおりのことが魔界では起きてたの。戦争から帰ってきた兵士たちが強盗や山賊になって、魔界のあちこちで魔族の村を襲ったりしてすごく治安が悪化したわ。でも戦争でたくさんの戦える魔族が死んじゃって、誰もそれを抑えることができなかった。そんな中、アイツはたったひとりで戦い続けて、魔族を守っていたらしいの」
「なんでそこまで――」
アースラが浮かべた疑問はもっともだった。
コノハには魔族を恨む理由はあれど、魔族を助ける理由も、実利も、縁もないはずだ。
「アタシにも、なにがアイツをそこまで駆り立てたのかはわからない。けど事実として、アイツが妖精族を守って倒れたときには既に、その身体はまるで何年も休まず戦い続けてきたんじゃないかってくらいボロボロで、いつ死んでもおかしくない状態だったの」
「そんなぁ……!」
コリーダは今まさに彼が死にかけている姿を見たかのように、悲痛な表情を浮かべた。
「倒れたアイツを妖精族総出で妖精の森に運び込んで、治療したわ。妖精族一の治癒魔術師、妖精族秘伝の傷薬……考えられる全ての手を尽くしても、アイツは目覚めなかった」
人間族を守るために戦った戦士が、今度は魔族を守るために戦った。
そしてその代償として彼の命はすり減り続け、その果てには死が待っていた。
これが常になにかを守るために戦い続けた戦士に与えられた運命なのだとしたら、それを残酷と断ずることにいささかの迷いもない。
シルヴァリエルの拳が、まるで怒りを必死にこらえるかのようにきつく握られる。
「一向に目を覚まさないアイツを見て、ルピア――妖精族の女王は、ある決断を下したわ――」
フィールは一瞬だけ目をつぶり、呼吸を整えてから言った。
「――妖精族の王家に伝わる秘宝、“生命樹の種子”をアイツに与えたの」
「――――!」
彼女の言葉に、シルヴァリエルの心だけが激しく揺さぶられた。
シルヴァリエルは努めて冷静を装い、聞いた。
「――その、“生命樹の種子”というのは、一体どういうものなのでしょうか?」
「見た目はぼんやりと光る魔力の塊みたいな感じだったけど、それ以外はアタシもわからないわ。女王であるルピアも、『世界の命を内包するもの』として代々王家に伝えられている、ということだけしか知らなかった。……でも結果として、“生命樹の種子”を身体に宿したアイツは目を覚ました」
フィールの言葉にコリーダの口から安堵のため息がもれる。
「アイツは目を覚ました途端にベッドから起き上がって、『やらなきゃいけないことがある』って言って妖精の森から出ていこうとしたわ。まだ全身の怪我も治ってないのによ? だからアタシは――アイツの後頭部を思いっきりぶん殴って、もう一回眠らせてやったわ」
「――マジか」
アースラがきょとんとした顔で驚きを露わにする。
正直に言って、シルヴァリエルも全く同じ感想を抱いた。
「しょうがないでしょ? 『バカは死ななきゃ治らない』っていうけど、死にかけてもバカは治らない、ってことをアタシはそのとき初めて知ったわ。後はアイツをベッドに縛りつけて、怪我が治るまでずっと監視の日々よ」
――なるほど。
コノハがフィールのことを『命の恩人』と言ったのは、このことがあったからなのだろう。その手法に多少の問題があったとしても、結果的に助けられているのだから、その呼び名に偽りはない。だが仮に自分が同じ立場になったとき、彼女と同じことは自分にはできないだろうとシルヴァリエルは思った。
「最初は人間だから魔界語が通じないだろうと思ったんだけど、アイツはなぜか魔術言語を使えたから意思疎通には問題がなかった。だからアタシはアイツが二度と逃げ出そうなんて思わないように、ボコボコに罵ってから看病してやったわ」
「罵るのは必要だったのか……?」
「当然、必要よ。どっちが上でどっちが下かわからせてやらないと、反抗するもの」
疑問を呈すアースラに、フィールは平然と言い放った。
「コノハも厄介な奴を助けちまったもんだな……」
「アタシも厄介な奴に助けられちゃったと思ったわ」
「おあいこってことだねぇ」
コリーダはなぜだか楽しげにそう言った。
「アイツは怪我が治るまでの間に、いろんなことを覚えていったわ。魔界語の会話と読み書きに魔界の地理や歴史、あとは妖精の魔術や薬術。それがもともと物覚えがよかったのか、身体の中にある“生命樹の種子”の影響だったのかはわからなかったけど」
フィールの話では、第一次人魔大戦当時のコノハは今ほど植物魔術に長けていなかったはずだ。ということは、妖精の魔術を学んだことで魔術の素養を高めていったのだろうか。
シルヴァリエルは頭の中で次々に浮かぶ疑問を整理しながら、ひとつの問いを掴んだ。
「――我が王が“枯木の王”と呼ばれるようになったのは、妖精族の皆さまを助けたからなのでしょうか?」
フィールは驚いたように疑問を投げかけたシルヴァリエルを見つめると、一度テーブルの上に立ち上がってから大きく伸びをした。
「それは――違うわ。妖精族を助けたことで、確かにアイツはみんなから慕われるようになった。だけど、その名は――人間族が、恐怖と共に呼び始めたものだもの」
「人間族が……?」
シルヴァリエルの疑問は更に深まった。
「人間族が恐れ、やがて魔族からも恐れられることになる“枯木の王”――」
フィールはゆっくりと歩き出し、シルヴァリエルの前で立ち止まると、彼女の目を真っ直ぐに見据えて言った。
「――教えてあげる。アンタが『我が王』と呼ぶ、その男の成り立ちを」
シルヴァリエルの喉がごくりと鳴り、身体が緊張で強ばる。
リボンの妖精から語られる真実を、シルヴァリエルは何一つ逃さないように心を奮い立たせた。
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