2/枯木の王と暗夜の女王
同胞たちが眠る棺は、枯木の王の魔術によって、静かに土中へと沈んでいった。
シルヴァリエルたちは三人で寄り添い、抱きあいながら、それを黙って見つめていた。
全ての棺が土中に姿を消すと、自らに区切りをつけるように枯木の王は息をついた。
シルヴァリエルは枯木の王の目の前で跪くと、頭を垂れて言った。
「――枯木の王よ。この度の御身のご助力に、一族を代表して感謝を申し上げます」
「そうかしこまらなくていいよ。女王とは知った仲だ。友人のためならこれくらいわけないさ」
枯木の王は自らも膝をつき、頭を垂れるシルヴァリエルの肩をやさしく叩いた。
「それよりも三人にやってほしいことがある」
「はっ、何なりとお申し付けください」
顔を上げたシルヴァリエルの瞳を見据えて、枯木の王は言った。
「焼け残った家から君たち三人が着られる服と下着をかき集めてきてくれ」
「はっ、かしこまり……はい?」
思わず聞き返してしまった。
呆気にとられた表情のシルヴァリエルをよそに、枯木の王は言葉を続ける。
「とりあえずは数日ぶんあればいいだろ。何着か見繕ってきてくれ」
「そ、それは構いませんが――」
「はい、わかったら立ち上がって駆け足!」
「はっ、はい!」
話は終わりだとばかりに両手を合わせてぱんと打ち鳴らすと、枯木の王はシルヴァリエルを急かした。
「他にもなにか持ち出したいものがあれば持ってきてもいいぞ。適当に鞄かなにかにまとめて村の入口まで持ってこい」
「かしこまりました!」
シルヴァリエルは頭に疑問符を浮かべたまま、戸惑うカーラとヘリヤを連れて村へと向かった。
◆
村の入口では枯木の王が腕を組んで三人を待ち構えていた。
「――それで全部か?」
「は、はい。数日過ごせるだけのぶんはございます」
幸いなことに三人の家はみなそれぞれ燃え残っていたので、自分たちが普段着ていた衣服を持ち出すことができた。手当たり次第に詰め込んできたので、鞄がぱんぱんになってしまった。
「よし、それじゃあ行くぞ」
「王よ、一体どこへ――」
シルヴァリエルが言い切る前に光が周囲を包み、身体が浮き上がるような感覚に襲われる。
――転移魔術だ。
「はい、到着っと」
その声に顔を上げると、目の前には巨大な樹洞に作られた家があった。
シルヴァリエルが馬を飛ばして訪れた、枯木の王の住居だ。
「お、王よ、ご説明頂いてもよろしいでしょうか……?」
転移魔術の反動でふらつく足元を支えながらシルヴァリエルが問う。
枯木の王はきりっと表情を引き締めて言った。
「まずは風呂! そして……飯だ!」
その言葉を待っていたかのように家の扉が勢いよく開き、中から器用にうごめく木の根が飛びだしてくる。
「ひゃっ!」
シルヴァリエルたちはあっという間に木の根に絡みつかれ、身動きが取れない状態のまま家の中へ引きずりこまれていく。
「おっ、王よ! あの! ご、ご説明を――」
枯木の王は答えず、ただにっこりと笑って手を振るだけだった。
◆
シルヴァリエルたちが引きずり込まれた先は、木で出来た巨大なバスタブがある浴室だった。すでにバスタブの中には湯が満ちており、温かな湯気が上がっていた。
怒濤の展開に困惑の表情で立ち尽くす三人の前に、床から一本の木の根が伸びる。
シルヴァリエルたちが思わず後ずさると、その根から枯木の王の声が響いた。
「右側に籠があるので、汚れた衣服はそちらに入れること。浴室内にある壁の魔方陣に触れると、その上にある管からお湯が出るようになってる。石鹸は……たぶんわかるよな。あとは……浴室の中に緑の小瓶があるだろう? あれには香油が混ぜてあるから、あれで髪を洗うとすごく良い匂いがするぞ。リルもお気に入りだった俺の自信作だ。ゆっくり楽しんでくれ」
一方的にそれだけまくし立てると、根は木の床に消えていった。
「――王のご厚意に感謝して、ありがたく頂戴しましょう」
シルヴァリエルは観念したようにため息をついて言った。
日が沈んでいたのでわからなかったが、よく見れば三人とも煤や泥でひどく汚れていた。
シルヴァリエルは率先するように身につけていた鎧を外し、衣服を脱いで籠に入れると浴室へ進んだ。
◆
「これは、すごいですね……」
シルヴァリエルが壁の魔方陣に触れると、壁から伸びる穴の開いた管から温水が雨のように降り注ぐ。どういう仕組みかはわからないが、自分には想像もできぬとてつもないことが起きているということは理解できた。
温水の雨に打たれていると、心の中にある澱も、流れていきそうな気がする。
「つ――ッ」
降り注ぐ温水が耳の傷口を濡らし、痛みが走る。
乾燥して固まっていた血の塊が溶け、お湯と一緒に流れていく。
ぼんやりとその血の行方を眺めていると、甘い香りが鼻をくすぐった。
振り返ると、ヘリヤが緑の小瓶を手に取って中の液体を髪に馴染ませていた。
「良い香り……。なにかの花かしら?」
カーラも同じように小瓶を手に取り、液体を髪に馴染ませる。
ウェーブのかかった黒いくせ毛が、花の蜜を染み込ませたように艶やかに輝く。
「なんだか流しちゃうのがもったいないくらい」
「エル姉もつけてみて!」
肩口で切りそろえた金髪を泡だらけにしたまま、ヘリヤが小瓶を差し出す。
シルヴァリエルは笑みを浮かべながらそれを受け取ると、小瓶の口に顔を近づけて香りを嗅いだ。
どこか懐かしさを感じる香り。
中の液体を手に取り、長い白銀の髪に馴染ませていく。
手のひらで温められた液体が、その香りを広げていく。
「――まるで花畑の中にいるみたい」
「ね! すっごく良い匂いでしょ!」
ヘリヤが嬉しそうに笑顔を浮かべる。
シルヴァリエルはヘリヤの手を取って温水の雨の中へ引き入れ、泡だらけの金髪をていねいに洗い流していく。
「ふふっ! くすぐったい!」
「こら、動かないの」
ヘリヤの髪を流し終えると、湯船へと促す。
そこにはすでにカーラが恍惚の表情で湯に浸かっていた。
「すごい……お湯の中なのに森の中にいるみたい……」
「鬼人だって入れそうなぐらいおっきいね~」
湯船を楽しむふたりを眺めながら、シルヴァリエルも髪についた泡を流していく。
ふたりに遅れて湯船に浸かると、豊かな木々の香りがシルヴァリエルを包んだ。
「これは……浴槽に使われてる木の香りかしら。本当に森の中にいるみたい」
ダークエルフは森と共に生きる種族故に、木々の香りに包まれているとまるで故郷にいるような気持ちになる。
緊張していた全身の筋肉がほぐれ、身体だけじゃなく、心まで温められているような気がする。
シルヴァリエルたちはぼんやりと湯気を眺めながら、ひとときの安らぎに身を委ねた。
◆
浴室から出ると、そこには既に三人分の大きなタオルが用意されていた。
お日様の香りがするふかふかのタオルは、包まれているだけで心が躍る。
村から持ち出してきた衣服に着替えたシルヴァリエルたちを迎えたのは、見たこともない料理が並べられた食卓だった。
「どれもリルが食べたことのある料理だからたぶん大丈夫だと思うんだが、もし苦手だったり食べられないものがあったら教えてくれ」
食卓に並べられていた料理のうち、白パン以外はどれも見たことがないものだったが、その香りはシルヴァリエルたちの食欲を充分にそそるものだった。
「シルヴァリエルはこっちだ」
枯木の王が手招きして、シルヴァリエルを隣の席に座らせる。
「腹が減ってるところに申し訳ないが、まずは右耳の治療だ」
「いえ、とんでもございません。ご配慮、痛み入ります」
「少し染みるからな」
「はい、お願いします」
枯木の王は片手に持った軟膏を指ですくうと、右耳の傷口にのせるように広げていく。
「ん――っ」
風呂で温められた耳にひんやりとした軟膏が触れ、思わず声が漏れる。
「これは竜の血と脂を混ぜた軟膏でな、切り傷なんかによく効くんだ」
やさしく、慈しむように指が耳を撫でる。
軟膏を塗り終わると丁寧に包帯を巻いていく。
「よし、おわり。これから毎日、風呂上がりにこの軟膏を塗ること。そうすれば三日くらいで完全に傷はふさがる」
シルヴァリエルの手を取って軟膏を握らせる。
「剣士なら傷薬が役に立つこともあるだろ。これは君にあげよう」
「あ、ありがとうございます」
「よし、飯だ飯だ! 食わないと治る傷も治らんぞ!」
枯木の王はシルヴァリエルの肩を掴むとくるりと向きを変えさせて食卓へと向ける。
食卓の向こう側ではカーラとヘリヤが目を輝かせながら料理を口に運んでいた。
「エル姉! このスープなんだかわかんないけどおいしいよ!」
「それは“味噌汁”という俺の故郷の料理だ。数百年かけて執念で作り上げた味噌だからな、ちょっと自信あるぜ」
「この……炒め物でしょうか? 普通の野菜と変わらないはずなのに、なぜかすごく美味しいんです」
「そりゃたぶん俺が育てた野菜だからだ。普通の野菜よりもマナが豊富だから、エルフみたいな種族には効くらしい」
「王サマ! 白パンは?」
「すまん、それは普通に街で買ってきたやつを温めなおしただけだ」
「でもおいしいよ!」
「そうか、ありがとな」
口々に飛びだす感想に、すらすらとよどみなく答える枯木の王。
賑やかで温かな食卓に、思わず笑みがこぼれる。
シルヴァリエルが口にした枯木の王の手料理はどれも美味だったが、こぼれた涙が混じったせいで、少しだけしょっぱくなってしまった。
◆
枯木の王が用意した寝室には、まるで猛獣でも寝かせるかのような巨大なベッドがしつらえられていた。
シルヴァリエルたちが三人揃って寝転んで手を広げても、端から端まで手が届かなかった。一国の王が寝るベッドでも、さすがにここまで大きくはないだろう。
ヘリヤは見たこともない巨大なベッドに大興奮して飛び回っていたが、すぐに力尽きたように眠ってしまった。
無理もない。今日は色々なことがありすぎたのだ。
「消すよ、カーラ」
「うん、ありがとう」
枕元に置かれた燭台の火を吹き消す。
真っ暗な闇の中で、隣で眠るヘリヤの体温だけが感じられる。
「……エル」
「なあに、カーラ」
ヘリヤを挟んだ向こう側から、カーラがちらりとシルヴァリエルを見る。
「ご飯、美味しかったね」
「そうね、とても美味しかった」
「……それだけ。おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
シルヴァリエルの意識はゆっくりと闇の中へ沈んでいった。
◆
鼻をくすぐる香ばしい匂いに誘われるように、シルヴァリエルは目を覚ました。
「――お腹すいた」
ぼんやりと意識のまま、ぽつりとつぶやいた言葉に返事をするようにお腹がぐうと鳴る。
その音で完全に覚醒したシルヴァリエルは思わず頬を染めた。
幸いにもベッドの上にはシルヴァリエルだけで、他のふたりは既に起きているようだった。
――さっきの間抜けな姿を見られなくてよかった。
これから自分はダークエルフ族の長となるのだ。
姉妹たちに恥ずかしい姿は見せられない。
寝室のドアを開けて階下へ下りると、ヘリヤは既に朝食のパンにかぶりついていた。
「ほい、お待ちどうさん」
「あ、ありがとうございます……」
枯木の王はフライパンに皿をのせて手で押さえると、カーラの目の前でくるっとひっくり返してフライパンを外し、お皿にのったパンを差し出した。
カリカリの焼き目が付いた白パンから、香ばしい小麦と芳醇なバターの香りがふんわりと広がる。
その光景を見ているだけでシルヴァリエルの口の中には唾液が溢れた。
「エル姉おはよー」
「おはよう、エル」
「おう、おはようさん」
食卓に集まった三人が口々にシルヴァリエルを迎える。
「――ええ、おはようございます」
心を満たす温かいものを感じながら、シルヴァリエルは笑顔で挨拶を返した。
「カーラ、そこにシルヴァリエルのサラダがあるから出してやってくれ」
「かしこまりました」
「ヘリヤ、後ろにある白い箱に牛乳が入ってるから――」
「コップは?」
「その右の棚だ」
「はーい」
シルヴァリエルが食卓に着くと、カーラがサラダを出し、ヘリヤがコップに注いだ牛乳を出してくれた。
「ありがとう、ふたりとも」
枯木の王に対する警戒心は、カーラもヘリヤもすっかり抜けているようだった。
しかし――
「ヘリヤ、王にはもっと敬意をもって接しなければなりませんよ」
「接してるよお。ねえ、王サマ?」
「ああ、そうだな」
「それがいけないと言っているんです。――恐れながら王もヘリヤを甘やかさないで頂けませんでしょうか」
王に進言するシルヴァリエルの前に、カリカリに焼かれた白パンがバターの芳醇な香りを伴って現れる。
思わず緩みそうになる頬を強い気持ちで引き締める。
「そうは言っても、そう呼ばれてるだけで俺自身は別に王でもないしなあ」
シルヴァリエルにトーストを渡した枯木の王が頬をかく。
「俺としては気軽に“コノハ”って呼ばれたほうが楽なんだが」
「そうはいきません!」
「まあまあ、トーストが冷めちゃうから先に朝飯にしよう」
「む――」
体よく誤魔化そうとする枯木の王を横目で見ながら、シルヴァリエルは焼きたてのトーストを頬張った。
外はカリカリ、中はもちふわの柔らかな食感に、小麦の甘みとバターの塩味が合わさって、シルヴァリエルの頬はあっさりと緩んでしまった。
◆
朝食を食べ終えると、ヘリヤはカーラを連れて枯木の王が造成したという畑と花壇を見に行くと言って家を飛びだしていった。
シルヴァリエルは食後に出された紅茶を飲みながら、食卓を挟んで枯木の王と向かい合っていた。
「――枯木の王よ。我が一族へ捧げられた御身のご助力に、新たな女王として改めて心からの感謝を申し上げる」
「よせ、やめてくれ。俺はただ古い友人に会いに行っただけだ」
「しかし――」
「本来は礼を言わなきゃならないのは俺の方なんだ。本当に、よく俺を呼びに来てくれた。君が来てくれなければ俺は、大切な友人の――死に目にも会えなかった」
胸を引き裂くような沈痛さを伴って絞り出されたその言葉は、“枯木の王”としてではなく、“コノハ・ガーデナー”というひとりの人間としての言葉だった。
シルヴァリエルは、彼が吐き出した慟哭のようなその言葉に、思わず怯え竦んでしまった。
――彼が、彼がもし、本当に何百年も生きていて、それこそ、女王の生誕から死までを見ていたのだとしたら。
その悲しみは、一体、どれほどのものなのだろうか。
シルヴァリエルはダークエルフとして、まだ二百年ほどしか生きていない。
彼は、人間は、何百年分もの重さを持った悲しみに、果たして耐えられるのだろうか。
シルヴァリエルが言葉を続けられずにいると、彼は両手で自らの頬を思い切り張って、顔を上げた。
「――これからの話をしよう」
「は、はい……」
――耐えた。
彼は、この男は、追いすがる悲しみを振り払って、立ち上がった。
シルヴァリエルは心の底からの敬意を抱くと同時に、底知れぬ恐怖も感じた。
――壊れることすらできぬ人の心は、果たして人と呼べるのか。
シルヴァリエルは、燃えさかる精霊樹の森で見た彼の『ちぐはぐさ』の影を、少しだけ、掴んだ気がした。
「シルヴァリエル、君は――」
彼から名前を呼ばれて、思わず我に返る。
「――これから、どうするつもりだ?」
その問いに対する回答は、すでに用意してあった。
「無論。我が一族の仇を討ちます」
彼の心の気高さに、嘘をつきたくなかった。
シルヴァリエルは彼の瞳を見据えて、きっぱりと言い切った。
「この世でただ一人、私だけが、仇の姿を見ています。私以外に、一族の仇を討てる者はいません」
「――茨の道と、承知の上でか?」
「はい。王のご懸念は理解できます。私は奴に手も足も出ず、片耳を切り落とされて逃げてきた女です。ですが、仇をこの世界に野放しにしておくという選択は、我が一族の誇りにかけて、できません」
「……生き残ったふたりと、一緒に生きていくつもりはないか」
「仇を討った後の世界であれば、共に生きていくこともできましょう」
彼は腕を組んで目をつぶると、大きく息を吐き、天を仰いだ。
木々が風にざわめき、どこかから鳥の鳴き声が聞こえる。
彼はゆっくりとシルヴァリエルに向き直ると、言葉を紡いだ。
「俺はこれから魔界を巡り、“枯木の王”の名前を使って魔界に住む魔族たちに注意を促す旅に出る。仇に奪われた『死界樹の種子』というのは、世界を滅ぼす可能性を秘めた、とんでもないものだ。正直に言って、これからなにが起こるのか想像もつかない」
一瞬だけ彼は眉根を寄せた。
「シルヴァリエル、君は俺と一緒に魔界を巡り、滅ぼされたダークエルフ族の長として『死界樹の種子』の危険性を証言しろ。俺が“枯木の王”として名を馳せたのはだいぶ昔だから、俺の名を知らない魔族の長もいるはずだ。そういうときは俺の代わりに君が危険を訴えるんだ。できるな?」
「もちろんです」
「よし。そして、ここからが一番大事な話だ――」
彼は少しだけ言い淀んでから、告げた。
「――シルヴァリエル、君にはひとりで仇討ちをすることは許さない。なぜなら奴は、俺の大切な友人を殺した仇でもあるからだ」
シルヴァリエルは黙って頷いた。
「そして君には、許可なく勝手に死ぬことも許さない。なぜなら君は、俺の大切な友人が残した子孫だからだ」
彼の瞳の中に、悲しみがにじんだ気がした。
「いいか、よく聞いてくれ。君に仇討ちをするなと言ってるわけじゃない。ひとりで背負うな、と言っている。悲しみをひとりで背負うな。生き残ったふたりにも、ちゃんと背負ってもらうんだ。わかるか? 彼女たちの悲しみを、君が奪っちゃいけないんだ」
彼の言葉にはやさしさが芽吹いていた。
「君がやるべきことはたったひとつ。仇討ちに行きたいのなら、ふたりに全てを話して許してもらうことだ。彼女たちに悲しみを背負ってもらって、その代わりに、君はふたりから想いを受け取れ。君は生き残った三人の想いを背負って、仇を討つんだ」
「――はい」
なぜだかシルヴァリエルは、彼から花束を受け取ったような気持ちになった。
彼が大切にしてきたなにかを、渡された気がしたのだ。
「ただいまー」
「た、ただいま戻りました……」
「おう、カーラとヘリヤ。ちょっとこっちきてくれ」
彼は立ち上がってふたりを手招きすると、ふたりをそれぞれ椅子に座らせた。
「今からシルヴァリエルが大切な話をする。聞いてやってくれ」
「はーい」
「かしこまりました」
カーラとヘリヤの肩を軽く叩いて、家を出る。
風に背中を押されるように歩き出し、ふと空を見上げる。
リル、俺のことは怒ってもいいけど、あの子のことは怒らないでくれよ。
――俺が絶対、彼女を死なせはしないからさ。
◆
「カーラとヘリヤは『この家あげる』って言ったら、もらってくれるか?」
夕食を食べ終え、一息ついたところで枯木の王は突然そんなことを言った。
「くれるの!? ほしい!」
「こんな立派なお家、頂けません!」
まるで正反対の反応をするふたり。
「王よ、突然なにを仰るのです?」
「いやほら、俺とシルヴァリエルが旅に出ちゃうとこの家には誰もいなくなっちゃうだろ? そうすると畑と花壇の世話をする人がいないんだよ」
「するする! あたしがお世話する!」
「ヘリヤ、貴方はすぐ飽きて放り出す癖があるでしょう」
「え~? たぶん大丈夫だよ」
「多分じゃいけません! 王の大切なお家なのですよ!」
シルヴァリエルがぴしゃりとヘリヤに言いつけると、カーラがおずおずと手を挙げた。
「お家は頂けませんが、命じてくださればお世話をいたします……」
「カーラなら信頼できます。ご安心ください」
「エル姉ひいきしてない?」
「してません」
「ちぇ」
ヘリヤは口を尖らせて不満を露わにした。
「カーラはダークエルフの村に戻りたいか?」
「それは――もちろんです。精霊樹の森は燃えてしまいましたが、生まれ故郷ですから」
「そうか――じゃあこの家をダークエルフの村まで移動させよう」
枯木の王は事もなげにそう言った。
「そんなことが可能なのでしょうか?」
「まあ多少の手間はかかるけどね」
「お、王はよろしいのですか?」
「もちろん。それなら村に住みながら畑に通えるだろ?」
「あ、ありがとうございます!」
「それでしたら、王にご提案がございます」
シルヴァリエルがぴしりと小さく手を挙げた。
「ぜひ聞かせてくれ」
枯木の王が促すと、シルヴァリエルはこほんとわざとらしく咳払いをして言った。
「――カーラとヘリヤを、王の使用人として雇っては頂けませんでしょうか」
「なるほど」
それだけで王は合点がいったようだが、シルヴァリエルはカーラとヘリヤに説明するためにあえて言葉を続けた。
「私も一族の長となった身ですので、民であるカーラとヘリヤには穏やかな暮らしをして欲しいと思っております」
シルヴァリエルはふたりを見つめ、それから枯木の王へと視線を戻した。
「王のもとで使用人として働き、この家に住まわせて頂けるのであれば、私も安心して旅に出ることができます」
そして、静かに頭を下げた。
「どうか、ふたりをお雇いください。私はカーラとヘリヤを、貴方に託したいのです」
シルヴァリエルは顔を上げ、真っ直ぐに枯木の王を見つめた。
「そして私自身も、一族を代表して貴方に忠誠を誓います」
枯木の王はカーラとヘリヤに尋ねた。
「カーラとヘリヤはどうする? この家に住み込みで働いてみるか?」
「このお家に住んでいいの? やるやる!」
「王のお許しを頂けるのであれば、これ以上の幸せはございません」
「――ありがとう。助かるよ」
「カーラ、ヘリヤ。これより私たちダークエルフ族は枯木の王に忠誠を誓うものとします。よろしいですね?」
「はーい!」
「はい」
シルヴァリエルは椅子から立ち上がると、王の前で跪いた。
「……そこまでしなくてもいいんじゃないか?」
「いいえ、大切なことですので」
仕方がないとばかりにため息をひとつつくと、枯木の王は片手を差し出した。
「――我が王に永遠の忠誠を誓います」
シルヴァリエルはそう言うと、差し出された手の甲に口づけした。
――こうして、枯木の王とダークエルフ族の間に契約が結ばれた。
◆
翌日。枯木の王は自らの小さな領地を、ダークエルフの村から少し離れた東の平野に転移させた。
樹洞の家から畑を挟んだ向かい側に、ダークエルフの村が見える。そのまま真っ直ぐ村を横断すると、ダークエルフ族たちが眠る丘へとたどり着く。
枯木の王はシルヴァリエルたちを連れ出すと、一族を埋葬した丘へと向かった。
「よし、今日はみんなで墓標を作ろう」
「王サマ、『ボヒョー』ってなに?」
「そうか、長命種には馴染みがないか……」
枯木の王は顎に手を当てると軽く首をかしげた。
「……まあ簡単に言えば、目印だな。もしシルヴァスリル女王がどこに眠っているかわからなかったら困るだろう? だから、どこに誰が眠っているかわかるようにするために目印を作るんだ」
そう言って枯木の王は樹洞の家から持ってきた木板と麻紐を取り出した。
「俺がひとつ見本を作るから、ちょっと見ててくれ」
そう言って座り込むと、彼は三本の木板を組み合わせて麻紐でくくりつけた。横一文字に渡された木板と交差するように、縦に置かれた木板が二本くくりつけられている。
シルヴァリエルにはその形状に見覚えがあった。
「これは――精霊樹の遺跡にあった石塔に似ていますね」
その言葉を聞いた枯木の王は嬉しそうに微笑んだ。
「さすがシルヴァリエル、大正解。これは古代スヴァルトアールヴ族が死者を弔うために作ったシンボルなんだ」
そう言って彼は二本の縦板を地面に突き刺した。
「こういう風に地面に立てると、大樹から枝が伸びているように見えないか? 古代スヴァルトアールヴ族は精霊樹を模してこの形を作ったんだ」
「――すると、精霊樹の遺跡は墓所なのですか?」
「その通り。伝承によると初代女王の墓所らしい。たぶん古の昔から、ダークエルフ族はあの場所で暮らしてきたんだと思う」
枯木の王は流暢に言葉を連ねた。
「これは俺の憶測だが――古代スヴァルトアールヴ族は、死者の魂が精霊樹に還ると信じていたんじゃないかな」
彼は指先でくるりと円を描く。
「精霊樹から生まれた魂が、死して精霊樹へと還る。そしてまた新たな魂が精霊樹から生まれる――きっとそう信じていたんだよ」
「我が王は――博識でいらっしゃるのですね」
シルヴァリエルは素直に感心してしまった。
恐らく王は自分よりもダークエルフ族の歴史に詳しいのではないだろうか。
「人よりちょっと歴史が好きなだけさ」
そう言って彼は笑みを浮かべた。
「――悪い、話が脱線しちゃったな。というわけで、シルヴァリエルたち三人には墓標を作ってもらいたい。少しきつい言い方かもしれないが、これは君たちがやらなければいけないことなんだ」
枯木の王は三人を順番に見つめて言った。
「数が多いから大変だとは思うが、死者を弔うのは生者にしかできない。材料は俺が全て用意する。三人で協力して頑張ってくれるか?」
シルヴァリエルたちはお互いに顔を見合わせると言った。
「――かしこまりました。我が王の温かいお心遣いに、心より感謝いたします」
◆
結局、全ての墓標を作るのに三日ほどかかった。
その間、枯木の王は昼になると丘を訪れてシルヴァリエルたちに昼食を差し入れ、自らは荒廃してしまったダークエルフの村と精霊樹の森の整備に尽力した。
日が沈み、シルヴァリエルたちが丘から樹洞の家までの帰り道を歩くたびに、焼け落ちた家々は更地になり、精霊樹の森の焼け焦げた木々は伐採されていった。
四日目の朝。シルヴァリエルたちが最後に作った墓標を女王の墓に建てたとき、枯木の王は色とりどりの花が溢れるほど詰め込まれた大きな花束を持ってきて、女王の墓に供えた。その花は、枯木の王が育てた花壇に咲いていた花たちだった。
全ての墓標を建て終えて樹洞の家に戻る途中、急に枯木の王が精霊樹の森へ走り出した。
呆気にとられるシルヴァリエルたちを、枯木の王が大声で呼んだ。
「シルヴァリエル! 新芽だ!」
思わず三人が顔を見合わせて王の下へ駆け出すと、彼は大きな切り株の横にかがんで指を差した。
「俺たちが思ってる以上に、精霊樹ってやつは強いんだな」
焼け焦げた切り株の横からは、小さな緑が芽吹いていた。
「――!」
その芽を見た途端、シルヴァリエルの両膝は崩れ落ち、瞳からは大粒の涙が次々にこぼれ落ちた。
「こんな――こんなことがあってよいのでしょうか――」
「……リルからのお礼かもしれないな」
ぼそりと言い残すと、枯木の王は樹洞の家へと歩いて行った。
シルヴァリエルに遅れてたどり着いたカーラとヘリヤも、切り株の新芽を目にして涙をこぼし、三人はしばらくその場で抱きあいながら声を上げて泣いた。
シルヴァリエルは二百年あまりの自らの生において、自分がこんなにも温かい涙を流せることを、初めて知った。
最後までお読みいただきありがとうございます。
本作を「おもしろい」「続きが読みたい」と感じていただけましたら、ページ最下部のよりブックマークや【☆☆☆☆☆】での評価をお願いします。
星一つや星三つといった率直な評価も大歓迎です。
みなさまからのご評価が今後の執筆の励みになります。
お手数かとは思いますが何卒よろしくお願いいたします。




