12/枯木の王と勝利の宴
森を駆け抜けて泥山の前に飛び出すと、魔猪は大きく首を振って牙で木々をなぎ倒し、粉々になった木片が暴風と共にシルヴァリエルたちを襲った。
「こんのぉ……! 森を――壊すなぁ!」
コリーダの渾身の一撃が右前肢を斬り裂き、泥山から鋼鉄をつんざくような悲鳴が上がる。
「う、る、せぇっ!」
アースラが投擲した大剣が左の眼球を串刺しにし、再び森全体を震わすような悲鳴が響く。
シルヴァリエルは木々から跳躍すると、魔猪の顔面を一閃した。
(やはり浅い――!)
鋼のような体毛と皮膚に守られて、斬撃が致命傷とならない。
(恐らく腹側は皮膚が薄いはず、だが――)
片目を潰された怒りに身を任せて暴れ狂う魔猪は、まるで暴風の化身だ。
荒れ狂う魔獣の下に潜るなど自殺行為に等しい。
(致命傷を与えるなら脳か心臓……だけど、コリーダの腕力でも頭蓋骨を割れるかどうか……)
先ほどの剣の感触から推測するに、魔猪の頭蓋骨は相当に硬いはずだ。力比べは得策ではない。
ならば――
「四肢の腱を斬って動きを封じます! 私が囮になるのでふたりは脚を狙って!」
シルヴァリエルは再度跳躍し、わざと魔猪の視界に入るように動き、迫る。
「だぁからてめえがしきんなっつーのっ!」
魔猪の足が止まった一瞬の隙を狙って、アースラが横薙ぎの一撃を放つ。
しかし強靱な腕力を持つ彼女の剣でさえ、刃は皮膚を裂くだけにとどまった。
「くっそ硬ぇな……。コリーダ! こっちにこい! あたしとあんたで一カ所を交互に狙うぞ!」
「わかったよぉ!」
戦斧を振りかぶったコリーダは、アースラが斬り裂いた傷口に刃を重ねる。
一撃を受けた魔猪の脚が痛みに縮み上がる。
「効いてる! このまま押し切るぞ!」
「はいよぉ!」
ふたりの姿を確認したシルヴァリエルは、魔猪の視界を横切って右耳を斬りつける。
確かな感触と共に、斬りつけた傷口から血が噴き出す。
(皮膚の薄い箇所なら私の剣でもいける――!)
振るわれる牙を躱し、鼻先へと刃を振り下ろす。
鋭い一撃によって裂けた皮膚の隙間から血液がこぼれだし、天に向かって魔猪が怒りの咆哮を上げる。
至近距離で轟音を浴びたシルヴァリエルは、思わず耳を塞いだ。
(この鳴き声も厄介だが攻撃が効いている証拠! これくらいで――)
顔を上げたシルヴァリエルの目に飛び込んできたのは、天に向かって吠える魔猪の鼻先に展開された魔方陣だった。
(魔術を使える魔獣!? 話に聞いたことはあったけど、まさか本当に使えるなんて……!)
自らの見通しの甘さを呪う彼女を、更なる絶望が襲う。
――魔猪の鼻先に展開された魔方陣からは、炎が溢れ始めていた。
(まずい! 周囲は森、背後は畑! どこに放たれても悲惨なことになる!)
シルヴァリエルが魔猪の注意を自らに集めるべく、跳躍しようとしたそのとき。
「――いやぁ、遅くなってすまんね」
「我が王!?」
そこにはねじれた木の杖のようなものを持ったコノハの姿があった。
「アースラ、コリーダ。魔猪から離れてくれ」
コノハがそう声をかけるとふたりは魔猪から距離を取った。
「おいしいとこだけもらっちゃうけど、まあ、許してくれ」
杖を地面に突き刺して彼がつぶやく。
コノハを中心に魔力が渦を巻き、木の杖を伝って大地へと注がれる。
森の木々が怯えたようにざわめき、彼が目を閉じるとその音はぴたりとやんだ。
「――≪死枝散葉≫」
その言葉と共に魔猪の真下から無数の枝が飛び出して魔猪の巨体を刺し貫き、宙に浮かせた。
その鼻先にあった魔方陣は次第に光を失って消え去り、魔猪は断末魔さえ上げることなく、ぐったりと力尽きた。
「し、死んだ、のですか……?」
「うん、もう大丈夫」
そう言ってコノハが地面に突き立てられた杖に触れると、それは一瞬で枯れて大地へと還っていった。
「――さあ、これからが大変だぞ」
「これからなにをなさるおつもりですか?」
そうシルヴァリエルが問うと、彼はきょとんとした顔で言った。
「最初に約束したじゃないか、おいしく食べちゃうんだよ」
コノハはそう言ってコリーダを呼び寄せると、彼女に村人全員を今すぐ叩き起こしてくるよう頼んだ。
◆
「さあ、女衆は解体班と運搬班にわかれて作業開始! 男衆は村中から鍋という鍋を集めて村の中央に! 鍋はでかけりゃでかいほうがいいが、平鍋も使えるから忘れないで集めてくれよ!」
コノハの指示でミノタウロス族の村人たちがぞろぞろと動き出す。
コリーダと村の女衆たちは村中から集めてきた刃物で、魔猪の肉を次々に切り出していく。
「運搬班はこっちの木から葉っぱを一枚取って、それに肉を載せて村まで運んでくれ! 肉を載せるまえに葉っぱの上に冷却用の木札を敷くのを忘れるなよ!」
運搬班に振りわけられたミノタウロスの女たちが、休耕地から生えた樹木から大きな葉を一枚取り、布袋を持ったシルヴァリエルから木札を受け取る。
あらかじめ用意されていたその木札には、冷却保存用の魔術刻印が刻まれていた。
「にいちゃん、あたしたちは?」
「おう、ちびっ子どもは男衆と一緒に村で料理の準備だ。これからうめえもんいっぱい作るから手が足りねえ。いっぱい手伝っていっぱい腹空かせてこいよ!」
コノハが村の子供たちと順々に手を打ち合わせると、彼らは歓声を上げて村へと走っていった。
「なあ、アースラ。傭兵なら冒険者ギルドの登録証は持ってるよな?」
「そりゃ仕事で使うもんだから持ってるけどよ」
「あの一番でかい魔猪いただろ? あいつたぶん特別討伐指定手配書に載ってるんじゃないかと思うんだよ」
「あ~……、そういやすっかりその可能性を考えてなかったな。それはあり得るな」
「これからボンデイルのギルドまで一緒に飛んで、鑑定官を連れてこよう。もうひと儲けだ」
「……おまえを選んだあたしの目に狂いはなかったな、行こうぜ」
アースラは満足そうに口の端をつり上げた。
コノハはミノタウロス族への指示をシルヴァリエルに任せると、転移魔術でボンデイルの冒険者ギルドへと向かった。
◆
コノハとアースラがボンデイルの冒険者ギルドから鑑定官を連れて戻ってくると、鑑定官は手配書を片手に超巨大魔猪を細かく調査し始めた。
彼はずれた眼鏡をかけ直して、言った。
「――確認しました。特別討伐指定手配書に登録済みの魔獣で間違いありません」
鑑定官は手配書を開いてあるページを指さした。
「山崩しの魔猪、ドン・フルス。賞金額はヴァース金貨で五百枚となります」
「おいおいおい……、マジか」
賞金額を聞いたアースラが興奮に震える。
ヴァース金貨が五百枚あれば、平民であれば一生働かなくても生きていけるだろう。
「なあ、これ、山わけだよな……? 四人、四人か? 四人でわけるなら、ええと……」
「ひとりあたり百二十五枚」
「ひゃ、ひゃくにじゅうごまい……!」
突如目の前に現れた金貨の幻影に、アースラは頬を緩め、夢の世界へ旅立っていった。
「この階級の魔獣なら牙と毛皮にも魔力が宿ってるだろうから、そっちの買い取りもギルドに任せられますか?」
「お任せください。これほど大型の魔獣はうちのギルドでも数百年ぶりでしょう。いやはや、久しぶりに腕が鳴りますな」
鑑定官をギルドまで送り届けると、彼はすぐに素材の回収部隊を編成し始めた。
コノハが『早めにくれば新鮮な魔猪の肉が食べ放題ですよ』と言うと、豚鬼族の鑑定官は満面の笑みで握手を求め、『明朝には第一陣を必ず到着させますよ』と力強く言った。
◆
コノハが再び休耕地に戻ると作業はほとんど終わっており、ミノタウロス族の女衆がシルヴァリエルの指示の下で、残骸を一カ所にまとめているところだった。
「――お帰りなさいませ。ご指示通り、皆さまに一カ所に運んでいただきました」
「助かるよ。女衆で手の空いてる者は木槌と革袋を持ってきてくれ」
「残骸もなにかに利用できるのですか?」
「残骸というか、骨だな。これから魔術で一気に燃やし尽くして、灰になった骨を木槌で砕いて粉にするんだ。そうすると骨粉と呼ばれる肥料になる。骨は大地に還って、栄養になるんだ」
「――我が王は本当に物知りでいらっしゃいますね」
「ふふ、ちょっと人より土いじりが好きなだけだよ」
コノハが照れくさそうに笑うと、シルヴァリエルも柔らかな笑みを返した。
「おぉ~い! 持ってきたよぉ!」
コリーダが初めて会った日に持っていた木槌を担いで、数人のミノタウロス族の女たちと共に戻ってきた。
「よーし、これで最後だ! 村に帰れば男衆がうまい料理を作って待っててくれてるぞ! もう一息がんばろう!」
「おぉ~!」
コノハがそう檄を飛ばすと、コリーダたちミノタウロス族は力強く拳を突き上げて応じた。
日が傾きかけた休耕地に炎が灯り、あたりを柔らかく照らし出した。
◆
ミノタウロス族の男衆が作ったイノシシ料理は、どれもコノハが手を加える必要がないくらい絶品揃いだった。
その荒々しい見た目とは裏腹に、丁寧な血抜きや臭み消しが施された上で繊細に調理されたイノシシ肉は、鍋で煮込まれ、焼かれ、様々な味わいとなって舌を楽しませた。
「はぁー……、イノシシの出汁がコロ芋に染み込んでうまい……」
熱々のスープをすすりながら、コノハの口から思わずため息がもれる。
「このスープの香りづけに使ってる香草ってなんですか?」
「旦那ァ、良いところに目をつけたね。パーセルだよ」
「えっ、本当にパーセル? 全然苦みを感じないんですけど」
「朝一で採った柔らかい葉だけを使うんだ。日が経つと葉が固くなって苦みが増すからな」
「なるほどなぁ……、まだまだ知らんことがあるもんだ」
火加減を見ながらスープの具が焦げないように鍋をかき混ぜているミノタウロス族の男性と話していると、背後から誰かがコノハの肩に手を回した。
「あっつ! アースラぁ~……、スープ持ってるときに揺らすなよ」
「あっはっは! わりーわりー! おい、それよりも飲んでるか? コリーダたちが出してくれた酒、めっちゃうまいぞ」
「そのご機嫌な顔を見てたらうまいんだろうなってのはわかるよ」
「しかもミノタウロスの女どもは酒に強ぇときてやがる。これは負けられねぇよなぁ?」
「返り討ちにされても知らないからな」
「よゆーよゆー、まあ見てろって」
すでに足元が怪しくふらついているアースラを見送ると、村の広場の端から歓声が上がった。
「お嬢ちゃんすごいねえ! 次はあたしだ!」
「――この程度、造作もありません。我が王の臣下として、私は誰にも負ける気はありませんよ」
「いい度胸だ、気に入った!」
そこにはミノタウロスの女傑たちと飲み比べ勝負をしているシルヴァリエルの姿があった。
彼女の目の前には、勝負に負けて酔い潰れた数人のミノタウロスが屍のように横たわっていた。
――シルヴァリエルと飲むときは、気をつけよう。
コノハは自らの心にその言葉をしっかりと刻み込むと、広場の一角にあった丸太に腰掛け、周囲をぼんやりと眺めた。
大人たちは酒を飲んで笑いあい、子供たちはたき火の周りでじゃれあっている。
こんな光景を眺めるのも、久しぶりだ。
「――隣、いいかい?」
声の方に振り向くと、そこには両手に酒杯を持ったコリーダがたたずんでいた。
「もちろん。あぁ、ありがとう」
コノハがコリーダから差し出された酒杯を受け取ると、彼女は隣にそっと腰を下ろした。
「それじゃあ、コロ芋畑の無事を祝して」
「かんぱ~い」
コノハが酒杯を掲げると、そこにコリーダが軽く自らの杯を合わせる。
「うおっ……、これ火酒か。ミノタウロス族はずいぶん強いの飲むんだな」
「火酒はあんまりお好みじゃなかったかい?」
「いや、むしろ好きなほうだ。普段はもっと薄めて飲んでるけどね」
「よかったぁ」
原液の火酒を少しずつ味わいながら、温かいスープの中でとろとろに煮えたイノシシ肉を頬張る。
口の中で甘い脂がさらりと溶けて、肉を噛むたびにあふれるうま味が舌を喜ばせる。
「飯も酒もうまくて最高だね」
「本当だねぇ」
コリーダは膝を抱え、そこに自らの頭をのせてコノハをじっと見つめていた。
広場の中央に据えられたたき火の光が、ほんのりと彼女の顔を照らす。
「……どうしたの?」
「不思議だなぁ、と思って」
「なにが?」
「だってそうでしょぉ? コノハさんは急に現れて、あっという間にうちの村を救っちまったんだから」
「別にそんな大層なことはしてないよ。俺がしたのはちょっとした手助けで、あとはミノタウロス族のみんなが自分の力で立ち上がったんだ」
「でもコノハさんが来なかったら、きっとうちの畑はこの先も荒らされてたよぉ?」
「……まぁ、それはそうかもね」
「だから――」
コリーダの瞳にたき火の明かりが反射する。
炎に照らされた彼女の頬が、ほんの少しだけ赤く染まっている気がした。
「――ありがとうね、コノハさん」
「どういたしまして。ミノタウロス族のみんなもありがとうね」
「なしてコノハさんがお礼を言うんだい?」
「俺はずっと魔界の辺境でひとり暮らしだったからね。こういう賑やかなのは久しぶりでさ。うん、楽しいよ」
コノハは眩しいものを見つめるように目を細めて、村人たちを眺める。
そんな彼のまなざしに、コリーダの胸の奥がじんわりと熱くなる。
「――それは、よかったなぁ」
今日だけは、ほんの少しだけ、夜が長く続きますように。
コリーダはコノハの横顔を見つめながら、そんなことを思った。
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