11/枯木の王と魔猪退治
東の空が白むより早く、まだ暗闇の帳が下りている間に、コノハたちは休耕地に布陣した。
「くぁ~……、すんげえ匂いだなこれ……」
夜明けよりも早く起こされたアースラは、まだ眠気の残る重いまぶたを擦りながら言った。
「砂糖菓子みたいに甘くていい匂いだろ? 本来は香りを嗅がせて身体を操る魔術なんだ」
「意外とエグい効果してんな……」
「砦の内部で開花させて、敵を無力化することも可能でしょうか?」
シルヴァリエルは顎に手を当て、至極真面目な顔で聞いた。
「……できるけど、やらないよ?」
「我が王が望まずとも、そういう場面がくるやもしれません」
「おい、コノハ。おまえが手綱をしっかり握ってないと、こいつはマジでやるぞ」
「失礼な。私は我が王の意に沿わぬことなどしません」
「コノハが『国盗りしよう』って言ったらどうする?」
「……実はもう既にいくつか計画のご用意がございます」
「ほらぁ!」
「いや、本当にしないからね……?」
コノハが改めて念を押すと、彼女は心なしか落ち込んだように少しだけ顔を伏せた。
シルヴァリエルの忠誠心は嬉しいが、気持ちだけ受け取っておこう。
「おはよぉ~、みんな早いねぇ」
朗らかなその声に振り返ると、コリーダがなにかを担いでやってきた。
「コリーダ? ここは危ないよ」
「いやぁ~、村のもんが誰も手伝わねぇってわけにもいかねぇよぉ」
そう言ってコリーダが担いできた包みを開けると、そこには丁寧な手入れが施された一本の戦斧があった。
「コリーダさん、貴方も戦えるのですか?」
「あんまり好きじゃねぇんだけどなぁ。農閑期には賞金稼ぎやら傭兵やらやらんと稼ぎが足りなくて」
「……いい戦斧じゃねえか。おい、コノハ。こいつはかなりやるぜ」
「アースラがそこまで言うほどなのか?」
「得物みりゃあわかる。傭兵が同業者に向ける目利きは厳しいぜ。てめえの命に関わるからな」
歴戦の傭兵であるアースラがそこまで言うのだ。
恐らく彼女の言うことは本当なのだろう。
「……絶対に危険な真似はしないで、必ず俺の指示に従ってくれるか?」
「もちろんだぁ!」
「……わかった。戦力が多いに越したことはないからな。よし、コリーダも交えて少し作戦会議をしよう」
コノハの呼びかけに応えて三人が集合する。
「もうすぐ夜が明ける。魔猪が姿を現すならこの時間帯だ。コリーダから話を聞いた感じだと、やつらは夜中に山から下りて、明け方に畑に現れている可能性が高い。基本的には、この休耕地に誘い出して各個撃破の戦法を取る」
「やつらの動きはどうやって止めんだ?」
「俺が魔術で止める。突進してきたところに魔術で分厚い木の壁を出して、衝突させるんだ。みんなにはその隙を狙って横から首を落としてほしい」
三人が黙って首を縦に振る。
「イノシシの中にはわたしよりでぇっかいのもいるんだけど、それも止められんのかい?」
「もちろん、畑の土すら踏ませないよ」
コノハはコリーダの瞳を見据えて、はっきりと言い切った。
その言葉で、彼女の胸に温もりが広がる。
「シルヴァリエルは速さを活かして、比較的小さめのやつをなるべく多く」
「かしこまりました」
「アースラとコリーダは力を活かしてでかいやつ狙いだ」
「おうよ」
「わかったぁ」
「なにかあっても必ず俺が援護する。安心して暴れてくれ」
その言葉を最後に、三人はコノハを中心にして休耕地へ散開した。
◆
東の山から太陽がほんの少しだけ顔を出した頃、その獣たちはやってきた。
「シルヴァリエル、左から小型が五。アースラ、中央から中型が三。コリーダ、右から中型が二だ」
探知範囲に入った魔猪の数を三方にわかれた仲間たちに伝えて迎撃態勢を取らせる。
「――≪断塞樹壁≫」
森の中から飛び出してきた魔猪たちの行く手を、コノハが地中から出現させた木の城壁が塞いでいく。
「おらぁ!」
壁に頭から衝突してひるんだ一瞬の隙を突いて、アースラの大剣がその首をはねる。
朝日が差し込む畑の外れに、魔猪たちが城壁に衝突する鈍い音と剣が空を裂く鋭い音が交互に響く。
「第二波がくるぞ。コリーダは中央へ。中型五頭を、左に三、右に二で分断するから右がコリーダ、左はアースラが対応してくれ」
「まっかせてぇ!」
樹壁に行く手を塞がれた魔猪の首をコリーダが振るう戦斧が両断し、それと同時に土塊が宙を舞う。
コリーダの戦斧は魔猪の首だけでは飽き足らず、大地すらもその一撃の餌食にしていた。
「ひゅう! すげえ威力だ! やるじゃねえかデカ女!」
「ありがとねぇ! わたしも村のみんなのためにがんばるよぉ!」
振り下ろされる剣と戦斧が、魔猪の首を次々に切り落としていく。
「シルヴァリエル、小型を更に五、そちらへ誘導する。時間差で送るから一匹ずつ仕留めてくれ」
「かしこまりました」
シルヴァリエルの剣は迅く、鋭い。
彼女は素の膂力こそアースラやコリーダには劣るが、戦闘中は常に魔力で肉体を強化している。それ故にその動きは誰よりも素早く、剣速も並の剣士では目視すらできない。
音もなく魔猪の首を落としたシルヴァリエルが、次の瞬間にはまた別の魔猪の首をはねている。
戦場を駆け、踊るように死を振りまく彼女の姿には、恐怖を越えて美しさすら感じてしまう。
「第三波、でかいのがくるぞ。壁と木の根で動きを止める。両側から斬撃を重ねて落とせ。右がアースラとコリーダ、左が俺とシルヴァリエルだ」
コノハが腰裏の鉈を抜き放つと、森の木々を蹴散らして大型の魔猪が飛び出してくる。
その眼前に木の城壁がそそり立つと同時に、大地から木の根が這い出してその四肢を縛りつける。
「――俺が合わせる、好きに斬れ」
「それではお先に失礼します」
道でも譲るかのような気安さでそう言葉を交わした瞬間に、ふたりの刃が音もなく振るわれる。
刃についた血をふたりが振り払うと、それを待っていたかのように魔猪の首がずるりと地に落ちた。
「――我が王は、剣の腕もお見事でいらっしゃるのですね」
「そうか? 木の枝を払うぐらいでしか振ったことないけどな」
――そんなはずはない。
シルヴァリエルはコノハの前ということもあって、つい、格好をつけて必要以上に魔力で強化した剣を振るったのだ。
なのに彼は、魔力で強化したその剣とほぼ同じ速度で鉈を振るった。
彼は言葉通り、本当に合わせた。
なんの魔力的な強化もなしで、だ。
シルヴァリエルは自分の剣士としてのプライドよりも、主君の底知れなさに寒気を感じざるを得なかった。
「一通り片付いたか?」
「うちの畑を荒らしてたのは、たぶんこのイノシシだねぇ」
最後に現れた大型の魔猪二頭は、確かにコリーダの身長よりも大幅に大きかった。
「なに食ったらこんなでかくなんだ……」
「うちのコロ芋がよかったのかねぇ?」
「んなわけね――」
その異様な気配を、その場の誰もが感じ取った。
――森の奥から、泥の山が地響きと共に迫ってくる。
「おい、コノハ。こいつはもしかして――」
「――ああ、この魔猪たちの母親だろうな」
一歩進むごとに森の木々が踏み砕かれ、住処を失った鳥たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「こんなに巨大な……まるで竜種ではないですか」
「ひえぇ……! 山の主を怒らせちまったのかなぁ……!」
徐々に近づいてくる地響きに、思わず息を呑むシルヴァリエルたち。
その緊迫した空気の中で、鼻歌でも歌うようにコノハは言った。
「――なあ、シルヴァリエル。こいつ、ちょっと頭が高くないか?」
シルヴァリエルが思わず振り返ると、彼はいたずらっぽく口の端をつり上げた。
「――ええ、仰るとおりです。我が王の御前だというのにこの不遜で不敬な態度。やはり魔獣に品性を求めるというのは無理なようです」
シルヴァリエルは自らの頬が緩むのを抑えられなかった。
――ああ、本当にこの人のことがわからない。
なのに、こんなにも心が躍る。
「つきましては少々礼儀についてご理解いただこうと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ、しっかり教えてあげなさい」
胸に手を当ててうやうやしくうかがいをたてるシルヴァリエルに、わざとらしく胸を張ってコノハが応える。
「――聞きましたね? アースラ、コリーダ、行きますよ」
「てめえがしきんな性悪女」
「みんなで一緒にがんばろうねぇ!」
三人は森の中を進む鈍重な泥山に向けて、風のように駆け出した。
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