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君に贈る最後の物語、最後の一輪に愛を込めて  作者: (R× Y)ヤジド パシャ
第一章 出会いを紡ぐ物語
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第一話 悲しい結末を書く少年

これは、一人の少年がまだ幸せの意味を知らなかった頃の物語。


そして、彼の書く物語を変えることになる、一人の少女と出会うまでの物語。

四月。


窓の外では、桜の花びらが春風に乗って舞っていた。


校庭からは運動部の掛け声が聞こえ、廊下には新しいクラスに慣れようとする生徒たちの声が響いている。


高校三年生。


進路、受験、将来。


誰もが少しずつ、自分のこれからについて考え始める季節だった。


そんな春の教室で、水野航平は机に向かい、一冊のノートにペンを走らせていた。


「……航平。また書いてんの?」


頭上から声が降ってきた。


顔を上げると、短い黒髪を少し乱した少年が、興味深そうにノートをのぞき込んでいた。


佐久間駿。


入学してからの付き合いである、航平の友人だ。


「またって、昨日は数学の課題をやってたぞ」


「その前の日は?」


「小説」


「ほら、やっぱり!」


駿は勝ち誇ったように笑った。


「お前さ、三年生になった自覚ある? 受験勉強とか、進路とか、もっとこう……青春らしいことがあるだろ!」


「受験勉強なら昨日やった」


「何時間?」


「四十分くらい」


「短っ!」


「お前に言われたくない。昨日、課題を写させてくれって連絡してきたのは誰だ?」


「……あれは友情の確認だ」


「便利な言葉だな、友情って」


航平が笑うと、駿は大げさに胸を押さえた。


「ひどい! 長年の親友に向かって!」


「長年って、まだ二年ちょっとだろ」


「細かいことはいいんだよ!」


教室のあちこちから、二人のやり取りに小さな笑い声が上がった。


航平は別に、目立つ生徒ではない。


成績は平均より少し上。運動は得意でも苦手でもない。教師から特別に期待されているわけでもなく、クラスの中心にいるわけでもない。


誰とでも普通に話せるし、頼まれれば手を貸す。


ただ、休み時間になるとノートを開いて文章を書き始めることが多かった。


それだけの、どこにでもいる高校生だった。


「ところで航平」


駿が机の横に腰を預けた。


「今度は何を書いてるんだ?」


「短編」


「それは見れば分かる。どんな話?」


「……病気の女の子の話」


「また悲しいやつ?」


航平のペンが止まった。


「どうしてそう思う?」


「お前の小説、だいたい誰かが泣くか、死ぬか、取り返しのつかないことになるだろ」


「全部じゃない」


「じゃあ、前に読ませてもらったやつは?」


「主人公が大切な人を失った話」


「その前は?」


「夢を諦めた少年の話」


「その前は?」


「……もういいだろ」


「ほら! やっぱり悲しい話ばっかりじゃねえか!」


駿が声を上げると、近くの席から一人の少女が振り返った。


「朝からよく飽きずに騒げるわね、佐久間」


呆れた口調で言ったのは、成瀬明里だった。


肩のあたりで揺れる髪を耳にかけ、彼女は手元の教科書を閉じた。


「お前、さっきから聞いてたのか?」


「聞こえるのよ。あんたの声は無駄に大きいから」


「無駄ってなんだ、無駄って!」


「静かな教室で大声を出すことの、どこに必要性があるの?」


「俺は親友の将来を心配してるんだ!」


「航平の将来を本当に心配してるなら、まず自分の課題を終わらせたら?」


「ぐっ……!」


駿は言葉に詰まった。


明里は満足そうにうなずき、再び教科書を開いた。


「はい、論破」


「まだ何も始まってねえだろ!」


「始める必要もないくらい簡単だったから」


「成瀬、お前なあ!」


「何よ?」


二人の視線がぶつかる。


航平は慣れた様子で、その間に自分のノートを引き寄せた。


「二人とも、朝から元気だな」


「誰のせいだよ!」


「誰のせいよ!」


声が重なった。


一瞬の沈黙。


それから、近くで会話を聞いていた男子生徒が吹き出した。


「お前ら、ほんと仲いいな」


「よくない!」


「よくないわよ!」


また声が重なった。


航平はとうとう笑ってしまった。


駿と明里は互いに顔を見合わせ、そろって不満そうに頬を膨らませた。


その様子を、少し離れた席にいた橘蒼太が静かに眺めていた。


「……朝から騒がしいと思ったら、いつもの二人か」


蒼太は淡々と言いながら、机の上に教科書を置いた。


「橘、お前までそんなこと言うのかよ!」


「事実だろ」


「お前はもっと俺を尊重しろ!」


「課題を写させてほしいという相談なら、尊重する以前の問題だと思う」


「なんで知ってんだ!?」


「昨日、お前が教室で大声で頼んでたから」


「……俺、そんなに声でかい?」


「今もな」


蒼太は表情を変えずに答えた。


再び教室に笑い声が広がる。


航平は三人を見回し、思った。


三年生になったからといって、急に何かが変わるわけではない。


昨日までと同じ友人がいて、同じような会話があって、同じように授業が始まる。


将来について考えなければならないことは分かっている。


けれど、こうしてくだらないことで笑っている時間も、決して嫌いではなかった。


「はい、席に着けー」


教室の扉が開き、男性教師が入ってきた。


藤本隆。


今年、三年生のこのクラスを受け持つことになった担任教師である。


年齢は三十代半ば。厳しいときは厳しいが、普段は比較的穏やかで、生徒たちからも話しかけやすいと思われている。


藤本は教卓に出席簿を置き、教室を見渡した。


「朝から元気なのはいいことだが、せめて俺が来る前にしてくれ。職員室まで聞こえていたぞ」


「すみません!」


駿が反射的に頭を下げた。


「佐久間、お前が中心だろ」


「なぜ俺だけなんですか!?」


「心当たりがあるからだ」


今度は教師まで加わった。


教室に笑い声が広がり、駿は肩を落とす。


「三年生になっても、俺の扱いだけ変わらない……」


「日頃の行いだな」


航平が小さく言う。


「聞こえてるぞ、親友!」


藤本は軽く咳払いをしてから、出席簿を開いた。


「まあ、いい。新学期だからといって浮かれすぎるなよ。進路のことも少しずつ考えていく時期だ。分からないことがあれば相談に来い。自分一人で抱え込む必要はないからな」


先ほどまでの笑い声が、少しずつ落ち着いていく。


藤本は進路希望調査について説明し、提出期限を黒板に書いた。


航平も話を聞きながら、ノートの端に小さく期限をメモした。


卒業後の進路。


自分は何をしたいのか。


どんな大人になりたいのか。


考えたことがないわけではない。


ただ、明確な答えを持っているわけでもなかった。


少なくとも今は、文章を書くことが好きだった。


それだけは、はっきりしている。


*


昼休み。


弁当を食べ終えた航平は、再びノートを開いた。


窓際の席に座る駿は、購買で買ったパンを頬張りながら、その様子を横目で見ている。


「なあ、航平」


「今度は何だ?」


「お前の小説って、なんでいつも悲しい結末になるんだ?」


今度の声には、先ほどのからかうような調子があまりなかった。


航平はペンを指先で回した。


「……書きやすいから、かな」


「悲しいほうが?」


「うん」


「なんで?」


「なんでだろうな」


自分でも、はっきりとは分からなかった。


航平はノートに視線を落とした。


そこには、病気を抱えた少女の物語が書かれていた。


少女は、自分の未来が長くないかもしれないことを知っている。


それでも、生きたいと願っていた。


友人たちと笑いたい。


放課後に寄り道をしたい。


いつか好きな人と約束した場所へ行きたい。


特別なことではない。


誰もが当たり前のように過ごしている日々を、彼女は何よりも望んでいた。


『明日も目が覚めたら、今度こそ、ちゃんと伝えよう』


少女はそう決めて、眠りにつく。


航平は、その先を書けずにいた。


少女が願いをかなえる結末も考えた。


病気が奇跡的に治る展開も、残された時間を精いっぱい生きる展開も。


けれど、どれも何かが違う気がした。


だからといって、彼女を死なせれば物語が完成するとも思えなかった。


彼女が失うものを考えるたびに、胸の奥に小さな痛みが生まれる。


自分が生み出した架空の人物にすぎない。


そう分かっているのに、彼女の願いを簡単に踏みにじることができなかった。


「……なんか、難しい顔してるぞ」


駿の声に、航平は顔を上げた。


「そうか?」


「そうだよ。さっきまで普通に笑ってたのに」


「ちょっと考え事」


「小説?」


「うん」


駿はパンの袋を丸めた。


「俺、小説のことはよく分からないけどさ」


「うん」


「悲しい話を書けるのは別にいいと思う。でも、登場人物がかわいそうだからって、無理に助けなきゃいけないわけでもないんじゃね?」


航平は少しだけ目を見開いた。


「……どういう意味?」


「その子がどう生きるかを、お前がちゃんと考えて書いてるなら、それでいいんじゃないかってこと」


駿は照れくさそうに頬をかいた。


「まあ、俺は読む側だから、好き勝手言ってるだけだけどな」


「……そうだな」


航平はノートを見つめた。


駿の言葉が、すぐに答えをくれたわけではない。


それでも、書きかけの少女をどうするべきか、もう少し考えてみようと思えた。


「ありがとな」


「おう。感謝するなら、次の数学の課題を――」


「自分でやれ」


「まだ最後まで言ってないだろ!」


「言わなくても分かる」


二人が笑っていると、少し離れた席から明里が口を挟んだ。


「佐久間、いいことを言ったと思ったら、結局それなのね」


「俺だってたまには真面目なことを言うんだよ!」


「たまに、という自覚はあるのね」


「お前、本当に一言多いな!」


「余計なことを言う人には、余計なことを返すのが礼儀でしょ?」


「そんな礼儀、聞いたことねえ!」


「今、私が作ったの」


「勝手に作るな!」


航平は笑いながら、ノートを閉じた。


いつもの昼休み。


いつもの友人たち。


いつもの教室。


その中にいる自分は、決して不幸ではなかった。


家族との関係も悪くない。


学校で孤立しているわけでもない。


大きな挫折を経験したことも、人生を変えるような別れを経験したこともなかった。


だからこそ、時々不思議に思う。


どうして自分は、悲しい物語ならこんなにも簡単に書けるのだろう。


どうして、誰かが泣く場面や、取り返しのつかない別れなら、いくらでも思い浮かぶのだろう。


反対に、登場人物が心から笑って、何の不安もなく明日を迎える結末を書こうとすると、手が止まってしまう。


幸せな結末が嫌いなわけではない。


むしろ、物語の登場人物たちには幸せになってほしいと思っている。


それなのに、自分のペンはいつも、その願いとは違う方向へ進んでしまう。


「……変なの」


誰にも聞こえないほど小さく、航平はつぶやいた。


*


放課後。


帰り支度をする生徒たちの声が、教室に満ちていた。


部活動へ向かう者、友人と寄り道の相談をする者、教室に残って課題を片づける者。


窓から差し込む夕方の光が、机の表面を淡く照らしている。


航平はノートを鞄にしまい、最後に窓の外を見た。


桜の花びらが一枚、風に押されて窓辺を通り過ぎていく。


その姿を、なんとなく目で追った。


花は、いつか散る。


どれだけ美しく咲いていても、その時間は永遠ではない。


それでも、人は桜を見上げる。


散ることを知っていても、その一瞬を美しいと思う。


航平は、そんなことを考えた。


悲しい結末を書くことと、悲しいことそのものを美しいと思うことは、同じなのだろうか。


答えは出なかった。


「航平、帰ろうぜ!」


廊下から駿の声が聞こえた。


「先に行っててくれ。ちょっと先生に提出するものがある」


「分かった。校門で待ってる!」


「俺も行くわ」と蒼太が続き、二人の足音が遠ざかっていく。


「水野、忘れ物するなよー」


明里も鞄を肩にかけながら声をかけた。


「今日は忘れてないよ」


「昨日は?」


「……昨日のことは忘れた」


「都合のいい記憶ね」


明里はくすりと笑い、教室を出ていった。


ようやく静かになった教室で、航平は机の中を確認した。


提出するプリントを取り出し、鞄を持ち上げる。


そして、教室を出た。


廊下には、まだ帰宅する生徒たちが行き交っていた。


誰かの笑い声。


遠くから聞こえる運動部の掛け声。


階段を駆け下りる足音。


いつもと変わらない学校の風景。


航平は人の流れを避けながら、職員室へ向かおうとした。


そのときだった。


曲がり角の向こうから、一人の少女が歩いてきた。


「あっ――」


気づいたときには、もう遅かった。


肩がぶつかる。


手に持っていたプリントと、鞄に挟んでいたノートが床へ落ちた。


「ご、ごめんなさい!」


少女が慌ててしゃがみ込んだ。


「いや、こっちこそ前を見てなくて……」


航平もすぐに膝をつき、散らばった紙を拾い始めた。


何枚かのプリントに混じって、ノートから抜け落ちた原稿用紙が床に広がっている。


まずい。


そう思ったときには、少女の手が一枚の原稿用紙を拾い上げていた。


「これ、あなたの?」


「あ、それは……」


航平が手を伸ばす。


けれど、少女は紙面に目を落としていた。


ほんの数秒。


書かれた文章を追う少女の表情が、少しずつ変わっていく。


最初は何気なく。


次に、不思議そうに。


そして、最後には何かを考えるように。


航平は、思わず息を止めた。


そこに書かれているのは、病気を抱えた少女が明日への願いを綴る場面だった。


見知らぬ人に読まれることを想定していなかった文章。


まして、物語の途中を切り取った一枚だ。


説明しようにも、何から話せばいいのか分からない。


やがて、少女は顔を上げた。


彼女の瞳は、まっすぐ航平を見つめていた。


「……この子は、最後まで幸せになれないの?」


静かな声だった。


責めているようには聞こえなかった。


同情しているだけでもない。


ただ、本当に知りたいと思っているような声だった。


航平はすぐに答えようとした。


けれど、言葉が出てこなかった。


幸せになれないのか。


自分で書いている物語なのに、その問いに答えられなかった。


少女は原稿用紙を見下ろし、もう一度、そこに書かれた文章を読んだ。


「この子、明日も生きたいんだよね」


航平は小さくうなずいた。


「……うん」


「だったら……」


少女は何かを言いかけて、口を閉じた。


少し迷ったあと、手に持っていた原稿用紙を航平へ差し出した。


「ごめんなさい。勝手に読んじゃって」


「あ、いや……」


航平は原稿用紙を受け取った。


「落としたのは俺だし。気にしなくていいよ」


少女はほっとしたように微笑んだ。


その笑顔を見て、航平はなぜか、すぐに視線をそらせなかった。


初めて会った相手だ。


名前も知らない。


どんな人なのかも分からない。


それなのに、彼女が口にした言葉だけが、胸の奥に残っていた。


この子は、最後まで幸せになれないの?


少女は拾い終えたプリントを手渡すと、軽く頭を下げた。


「それじゃあ、また」


そう言って、廊下の向こうへ歩いていく。


航平はその背中を見送った。


呼び止める理由はなかった。


聞きたいことがあったわけでもない。


ただ、彼女が去っていくのを、しばらく見つめていた。


やがて、廊下の向こうにその姿が見えなくなる。


航平は手元の原稿用紙へ視線を落とした。


何度も書き直した文章。


まだ結末の決まっていない物語。


その一枚に、彼女は何を感じたのだろう。


そして、どうしてあんな質問をしたのだろう。


答えは、まだ分からない。


ただ一つだけ、確かなことがあった。


いつもと変わらないはずだった春の日に、航平は初めて、自分の物語の結末を他人から問いかけられたのだ。


その問いが、自分の書く物語だけでなく、自分自身の何かを変えていくことになるとは、このときの航平はまだ知らなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


悲しい物語を書く少年と、その結末に疑問を抱いた少女。


二人の出会いから、少しずつ物語が始まっていきます。


これから航平と結衣がどんな時間を過ごし、何を知っていくのか、見守っていただけたら嬉しいです。

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