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君に贈る最後の物語、最後の一輪に愛を込めて  作者: R×Y (Yazid)
第二章 涙の向こうにある物語.
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第十四話 笑い声の集まる場所

誰かの家に集まって、ゲームをして、お菓子を食べて、くだらないことで笑う。


特別なことが起きたわけではないのに、なぜか帰り道まで心に残る一日があります。


第十四話では、航平、結衣、駿、明里、蒼太の五人が、初めて学校の外で一緒に休日を過ごします。


騒がしい駿に振り回され、明里にからかわれ、蒼太の意外な一面に驚きながら、結衣も少しずつみんなの輪に加わっていきます。


そして航平は、何気ない時間の中にも、物語に残したい瞬間があることに気づき始めます。

土曜日の午後一時。


駅から少し離れた住宅街に、春の柔らかな日差しが降り注いでいた。


水野航平は、スマートフォンの画面を確認してから、目の前の一軒家を見上げた。


佐久間駿の家。


昨日、教室で突然決まった集まりの場所だ。


「……本当に来ることになるとはな」


独り言のように呟いた航平の隣で、橘蒼太が小さく笑った。


「誘われたんだから、来るだろ」


「そうなんだけどさ」


「何だよ。佐久間の家に何か問題でもあるのか?」


「いや。あいつの家に来ることより、今日一日でどれだけ振り回されるのかが問題なんだ」


「それは否定できないな」


二人がそんな話をしていると、玄関の扉が勢いよく開いた。


「おっせーぞ、お前ら!」


現れた駿は、休日だというのに妙に元気だった。


「約束の時間ちょうどだろ」


「気持ちの問題だ、気持ちの!」


「時間に気持ちを持ち込むなよ……」


航平が呆れていると、駿は二人を招き入れながら胸を張った。


「まあ、いい。今日は俺が最高の休日を提供してやる!」


「その自信、どこから来るんだろうな」


蒼太の冷静な一言は、駿の耳には届かなかったらしい。


玄関を上がると、廊下の向こうからテレビの音が聞こえてきた。リビングには大きなソファとテーブルがあり、壁際にはゲーム機や何冊かの漫画が並んでいる。テーブルの上には、すでに袋入りの菓子と飲み物が用意されていた。


「おお、意外とちゃんと準備してるな」


航平が感心すると、駿は得意げに笑った。


「当然だろ。昨日の夜、母さんに言われたんだよ。友達を呼ぶなら、せめて部屋くらい片づけろって」


「自分から準備したわけじゃないんだな」


「うるせえ!」


駿が反論した、そのときだった。


玄関のチャイムが鳴った。


「お、来たな!」


駿はリビングを飛び出し、再び玄関へ向かった。


航平は何となくそちらを見た。


そして、聞こえてきた声に少しだけ背筋を伸ばした。


「こんにちは。お邪魔します」


早坂結衣だった。


制服姿で会うときとは違い、今日は柔らかな色のカーディガンにスカートという、休日らしい服装をしている。肩から小さなバッグを掛け、少し緊張したように笑っていた。


「お、おう。いらっしゃい!」


駿が一瞬だけ言葉に詰まる。


その後ろから顔を出した明里も、結衣を見て目を瞬かせた。


「本当に来たんだ」


「昨日、誘ってもらったから」


「いや、そういう意味じゃなくて……」


明里は言いかけて、航平を見た。


航平は何も言わず、視線を逸らした。


その反応だけで、明里には十分だったらしい。


「ふうん?」


「何だよ、その顔」


「別に?」


「絶対に別にじゃないだろ」


「航平くん、どうしたの?」


結衣が不思議そうに尋ねる。


「何でもない。気にしなくていい」


「そう?」


「そう」


即答した航平を見て、蒼太がぼそりと言った。


「分かりやすいな」


「橘まで何なんだよ……」


結衣は三人の顔を順番に見てから、とうとう小さく吹き出した。


「ふふっ。みんな、仲がいいんだね」


「どこがだよ!」


駿と航平の声が重なった。


明里はとうとう声を上げて笑い、蒼太も口元を緩めた。


結衣はその様子を見ながら、安心したように肩の力を抜いた。


「よかった。ちょっと緊張してたから」


その一言に、航平は彼女の顔を見た。


教室では何度も話している。二人で出かけたこともある。それでも、彼女にとって今日は、普段の学校とは違う場所で、まだそれほど親しくない友人たちと過ごす初めての時間なのだ。


「……まあ、駿はうるさいけど、そんなに気を遣わなくていいと思う」


「おい、紹介の仕方!」


「明里も遠慮なく言い返すし、蒼太はだいたい何とかしてくれる」


「最後だけ妙に信頼されてるな」


蒼太が肩をすくめる。


航平は結衣に向き直った。


「だから、普通に楽しめばいいよ」


結衣は一瞬だけ目を丸くした。


それから、穏やかに笑った。


「うん。ありがとう、航平くん」


ほんの短いやり取りだった。


けれど、その言葉を聞いた明里の目が、また少しだけ細くなったことに、航平は気づかなかったふりをした。


*


「よし! まずはゲームだ!」


リビングに全員が集まると、駿は待ちきれない様子でゲーム機の電源を入れた。


「何をするの?」


結衣が尋ねる。


「レースゲーム! 四人まで同時にできるから、まずは俺たちで勝負だ!」


「五人いるけど」


航平が指摘した。


「……交代制だ!」


「今考えただろ」


「細かいことは気にするな!」


結局、最初の試合は駿、航平、明里、結衣の四人で行い、蒼太が観戦することになった。


「俺、こういうゲームはあまり得意じゃないんだけど」


結衣はコントローラーを持ちながら、画面を覗き込んだ。


「大丈夫だって。慣れれば簡単だぞ」


駿が余裕たっぷりに言う。


「そう? じゃあ、頑張ってみる」


「ちなみに、俺は負けないからな」


「駿、まだ始まってもいないんだけど」


明里が冷たく返す。


カウントダウンが始まった。


画面の中で、四台のカートが一斉に走り出す。


「うわっ、速い!」


結衣が慌ててハンドルを切る。


「結衣ちゃん、そこでアイテム!」


明里が声を上げた。


「アイテムって、これ?」


「そう、それ!」


直後、結衣のカートが放ったアイテムが、先頭を走っていた駿に命中した。


「はあああっ!? 何で俺なんだよ!」


「えっ、当たったの!?」


「当たったんだよ! しかも、俺に!」


「ご、ごめん!」


謝りながらも、結衣の顔には隠しきれない笑みが浮かんでいた。


その隙に、明里が駿を追い抜く。


「はい、いただき!」


「成瀬、お前まで!」


航平は二人の騒ぎを聞きながら、コースの先を走った。


ところが、最後のカーブで操作を誤り、順位を落としてしまう。


「……あ」


「航平くん、今の惜しかったね!」


結衣がこちらを見た。


「いや、完全に自分のミスだよ」


「じゃあ、次は一緒に頑張ろうね」


「一緒に?」


「うん。次のゲームでは、同じチームになれたらいいなって」


彼女は何気なく言っただけなのだろう。


それでも航平は、なぜか返事をするまでに少し間が空いてしまった。


「……そうだな」


「約束だよ?」


「分かった」


その会話を聞いていた明里が、にやりと笑う。


「へえ。約束ねえ」


「ゲームの話だろ!」


「まだ何も言ってないけど?」


「言いたそうな顔をしてるんだよ!」


「顔だけで決めつけないでくれる?」


「お前な……!」


駿が笑いながら二人の間に割って入る。


「はいはい、次! 次はチーム戦だ! 航平と結衣、俺と明里で勝負しようぜ!」


「どうして私と駿が組むのよ!」


「お前なら遠慮なく戦えるからだ!」


「それ、褒めてないでしょ!」


「蒼太は審判な!」


「俺に拒否権はないのか?」


「ない!」


「そうか」


蒼太は淡々とコントローラーを置き、審判席らしい場所へ移動した。


結衣は隣に座った航平へ、小さく身を寄せた。


「ねえ、私、足を引っ張らないかな?」


「最初から上手い人なんていないよ。さっきのアイテムの使い方はよかったし」


「本当?」


「本当。駿の顔を見れば分かる」


「おい、聞こえてるぞ!」


駿が叫ぶ。


結衣は楽しそうに笑った。


「じゃあ、よろしくね、航平くん」


「ああ。よろしく」


画面の中で、二人のカートが並んでスタートラインについた。


航平はコースを確認しながら、結衣に簡単な操作のコツを教えた。彼女は真剣に聞き、分からないところは素直に尋ねる。失敗してもすぐに笑って、もう一度挑戦した。


そして、最後の周回。


航平が相手を引きつけている間に、結衣が内側のコースを抜けていく。


「今だ、結衣!」


「うん!」


彼女のカートがゴールラインを通過した。


勝者は、航平と結衣のチームだった。


「やったあ!」


結衣が両手を軽く上げた。


その笑顔を見て、航平も思わず笑っていた。


「おめでとう。最後、うまかったよ」


「航平くんが教えてくれたからだよ!」


「いや、最後に抜いたのは結衣だろ」


「でも、一緒に勝てたのが嬉しい」


その言葉は、ゲームの勝敗について話しているだけのはずだった。


それなのに、航平の胸の奥には、妙に温かなものが残った。


「……俺も、嬉しいよ」


結衣は一瞬だけ黙り、それから照れたように笑った。


「えへへ。次も勝とうね」


「次もあるのか?」


「もちろん!」


駿が頭を抱えた。


「くそっ……! 俺の家で、俺が負けるなんて……!」


「自分の家だから勝てると思っていたの?」


明里が容赦なく言う。


「ホームアドバンテージってものがあるだろ!」


「ゲームにそんなものある?」


「ある!」


「ないわよ!」


蒼太が静かに口を開いた。


「ちなみに、次は俺も参加する」


「お、いいぞ! 蒼太、俺と組め!」


「いや、さっきの二人が強かったから、対策を考えてからにする」


「お前まで本気になるな!」


リビングには、また笑い声が広がった。


*


ゲームを何度か繰り返したあと、五人はテーブルを囲んで休憩することにした。


駿が菓子の袋を開け、明里が飲み物を配り、蒼太が散らかったコントローラーをまとめている。


「蒼太、何かお前だけ妙に家に慣れてないか?」


「駿の家には何度か来ているからな」


「俺の家を管理するなよ」


「管理しないと、帰る頃には床が見えなくなりそうだから」


「そこまで散らかさねえよ!」


「去年、一度だけそうなったことがある」


明里がさらりと付け加えた。


「成瀬! 余計なことを言うな!」


結衣は菓子を手に取って笑った。


「みんな、昔からこんな感じなの?」


「まあな。駿が騒いで、明里が怒って、蒼太が呆れて、航平が巻き込まれる」


「おい、俺の役割が一番ひどくないか?」


航平が抗議する。


「でも、なんだか楽しそう」


結衣はそう言って、部屋の中を見回した。


その視線には、ただ面白がっているだけではない、少し羨ましそうな色が混じっていた。


「結衣ちゃんは、こういう集まりってあまりしないの?」


明里が尋ねた。


「うーん。友達と出かけることはあるけど、誰かの家に集まって、こんなふうにゲームをするのは久しぶりかな」


「そっか。なら、今日は遠慮しないで楽しんでいってよ」


「ありがとう、明里ちゃん」


結衣が微笑むと、明里も自然に笑い返した。


「それにしても、航平と一緒に来るなんて思わなかったなあ」


「いや、別々に来たけど」


「そういう意味じゃないってば」


明里は肩をすくめる。


「航平って、誰かを自分の時間に招き入れるのが、あまり得意じゃないでしょう?」


航平は少しだけ言葉に詰まった。


自分では、そんなつもりはなかった。


けれど、確かにそうなのかもしれない。


放課後は一人で図書室へ行くことが多かったし、休日も家で本を読んだり、物語を書いたりして過ごしていた。誰かと予定を合わせるより、一人でいるほうが気楽だった。


「……そうかもしれないな」


「だから、ちょっと意外だったの」


明里はそれ以上、追及しなかった。


結衣も、からかうようなことは言わなかった。


ただ、航平の方を見て、柔らかく微笑んだ。


「でも、私は誘ってもらえて嬉しかったよ」


「……そっか」


「うん」


その短い会話のあと、結衣は手元の菓子を一つ食べた。


航平も飲み物に口をつけた。


何か気の利いた言葉を返せばよかったのかもしれない。


それでも、彼は彼女が嬉しかったと言ってくれたことを、そのまま大切に受け取ることにした。


「よし! 休憩終了!」


駿が突然立ち上がった。


「次はボードゲームだ!」


「切り替えが早いな……」


「休日は時間との勝負だからな!」


「誰と勝負してるんだよ」


航平の呟きに、蒼太が頷いた。


「自分自身じゃないか?」


「妙に納得できるのが腹立つな」


*


次に始まったのは、簡単なルールのボードゲームだった。


プレイヤー同士で交渉しながら、資金や土地を増やしていくタイプのゲームだという。


「いいか。ここでは友情も信頼も関係ない」


駿が説明書を掲げ、妙に真剣な顔で宣言した。


「全員、俺の敵だ!」


「始める前から友達を失いそうな発言ね」


明里が呆れる。


「勝負なんだから当然だろ!」


「じゃあ、駿とは取引しない」


「待て! それは話が違う!」


「友情も信頼も関係ないんでしょう?」


「そういう意味じゃねえ!」


結衣は説明書を読みながら、くすくすと笑っていた。


「これ、思ったより難しそうだね」


「分からないことがあったら聞いて。最初はみんなで確認しながらやろう」


蒼太が丁寧に説明する。


「ありがとう、蒼太くん」


「どういたしまして」


ゲームが始まると、駿は予想どおり強気な交渉を繰り返した。


明里はその条件を片っ端から拒否し、蒼太は冷静に利益を計算する。航平は全員の動きを見ながら、無理のない範囲で資金を増やしていった。


そして、結衣はというと。


「……駿くん」


「ん?」


「この土地、譲ってくれない?」


「おう、いいぜ。条件次第だな!」


「じゃあ、これと交換でどうかな?」


結衣が提示した条件を見て、駿は一瞬、黙った。


「……お前、初心者だよな?」


「うん。さっきルールを覚えたところ」


「本当に?」


「本当だよ?」


結衣はにこにこと笑っている。


その笑顔に騙されたわけではないだろうが、駿は少し考えたあと、取引に応じた。


数ターン後。


「あれ? 駿くん、私のほうが有利になってない?」


「何でだよ!?」


「えっ、違った?」


「いや、合ってる! 合ってるけど!」


明里がテーブルを叩いて笑った。


「駿、初心者に交渉で負けてる!」


「うるせえ! これは戦略的撤退だ!」


「さっきまで友情も信頼も関係ないって言ってなかった?」


「今は関係ある!」


「都合がよすぎるでしょ!」


航平もとうとう笑いをこらえきれなくなった。


結衣はそんな彼を見て、嬉しそうに目を細めた。


「航平くん、笑ってる」


「……え?」


「ううん。いつもより楽しそうだなって」


航平は、自分の頬に触れた。


言われてみれば、今日は何度も笑っていた。


駿に振り回され、明里にからかわれ、蒼太の冷静な言葉に感心して。そして、結衣と同じチームで勝ったことを、思っていた以上に嬉しく感じていた。


特別なことが起きたわけではない。


誰かの人生を変えるような出来事も、忘れられないほど劇的な瞬間もない。


ただ、友人たちとゲームをして、菓子を食べ、くだらないことで笑っている。


それだけだった。


「……そうかもな」


航平が答えると、結衣は小さく頷いた。


「うん。そういう航平くんも、いいと思う」


その言葉に、航平の手が止まった。


「……それは、どういう意味?」


「どういう意味って?」


「いや……」


結衣は少し考えてから、いたずらっぽく笑った。


「秘密」


「えっ」


「だって、私ばっかり質問されるのも不公平でしょう?」


「質問したのは俺だけど……」


「じゃあ、お互いさま!」


彼女はそう言って、ゲーム盤へ視線を戻した。


航平は返す言葉を見つけられず、しばらく黙っていた。


向かい側では、駿と明里がまだ取引のことで言い争っている。


蒼太はその二人を無視して、自分の次の手を考えていた。


結衣は楽しそうに駒を動かしている。


その光景を眺めながら、航平は思った。


彼女は、いつも自分の知らない一面を見せてくれる。


物語の続きを読みたいと言ったときも。


一緒に本を選んだときも。


そして今日、友人たちの中で笑っているときも。


自分がまだ知らない彼女の姿は、きっとこれからも増えていくのだろう。


そう考えると、少しだけ楽しみだった。


*


午後四時を過ぎる頃には、テーブルの上の菓子はほとんどなくなり、ゲームの勝敗をめぐる騒ぎも一段落していた。


「いやあ、楽しかった!」


駿はソファに背中を預け、大きく伸びをした。


「俺は悔しいけどな……」


「交渉の仕方を勉強してから出直してきなさい」


明里が笑う。


「成瀬、お前は本当に容赦がないな!」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


「褒めてねえ!」


蒼太は空になった飲み物の容器をまとめながら、窓の外に目を向けた。


「そろそろ帰る時間だな」


「あ、もうそんな時間?」


結衣も時計を確認した。


「うん。今日はありがとう、駿くん。すごく楽しかった」


「おう! また来いよ!」


駿は即答した。


「次こそは絶対に勝つからな!」


「ゲームの話?」


「もちろん!」


結衣は楽しそうに笑った。


「じゃあ、次も頑張らないとね」


「……お前、まだ勝つ気なのか?」


「だって、楽しかったから」


その言葉に、駿は一瞬だけ口を閉じた。


そして、照れ隠しのように頭をかいた。


「……まあ、楽しかったならいいけどよ」


明里がその横顔を見て、少しだけ笑った。


「駿、たまにはいいことするじゃない」


「たまにはって何だよ!」


「普段の行いを振り返ってみたら?」


「蒼太、俺は普段そんなにひどいか?」


「今、答える必要があるか?」


「あるだろ!」


いつもの調子で騒ぎ始めた二人を見て、結衣はまた笑った。


帰り支度を終え、玄関へ向かう。


靴を履きながら、航平はふと、今日一日のことを思い返した。


朝、家を出たときは、ただ友人の家でゲームをするだけの休日だと思っていた。


実際、したことはそれだけだ。


それなのに、いつもより時間が早く過ぎたような気がする。


「航平くん?」


結衣に呼ばれ、彼は顔を上げた。


「どうしたの?」


「いや。何でもない」


「またそれ?」


結衣は少しだけ頬を膨らませた。


「航平くん、何でもないって言うことが多いよね」


「……そうかな」


「そうだよ」


彼女は靴を履き終え、玄関の扉へ手を伸ばした。


「でも、今日楽しかったってことは、ちゃんと言っておくね」


振り返った彼女の表情は、穏やかだった。


「私、今日ここに来てよかった」


航平は、今度こそすぐに答えた。


「……俺も、そう思う」


結衣は嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、また学校でね」


「うん。また月曜日」


彼女が先に外へ出る。


航平はその後ろ姿を見送りながら、胸の中に残った温かさを確かめるように、静かに息を吐いた。


「おーい、航平!」


背後から駿の声が飛んでくる。


「何ぼーっとしてんだよ!」


「ぼーっとしてない」


「いや、してただろ。しかも、いい顔してたぞ?」


「……うるさい」


「おっ、否定が弱い!」


「駿、いい加減にしなさい」


明里の声が響く。


「何だよ、俺は友達としてだな――」


「はいはい。結衣ちゃんが帰っちゃうわよ」


「だから、もう帰っただろ!」


蒼太が静かに付け加えた。


「今日一番、落ち着きがなかったのは駿だったな」


「お前ら、全員敵か!?」


その叫びを背に、航平はとうとう声を上げて笑った。


家を出ると、春の風が頬を撫でた。


少し先の道を、結衣が歩いている。


彼女もこちらに気づいたのか、振り返って小さく手を振った。


航平も手を振り返す。


それだけのことだった。


けれど、月曜日に学校で会ったら、今日のゲームの続きを話せるだろう。


駿が負けたときの顔も、明里の容赦のなさも、蒼太が意外と勝負に強かったことも。


そして、結衣が笑っていたことも。


そんな何気ない記憶が、少しずつ増えていく。


航平は歩きながら、今日の出来事を忘れないうちに書き留めたいと思った。


悲しい結末へ向かう登場人物にも、こういう一日があったらいい。


何も起きない日。


誰かと笑い合って、また明日会おうと約束できる日。


物語の中で、いつか失われることになるとしても。


その時間まで、最初からなかったことにしたくはなかった。


*


その夜。


自室の机に向かった航平は、開いたノートの上でペンを止めていた。


書きかけの物語には、病気になる前の少女の日常が少しずつ描かれ始めている。


朝寝坊をして、家族に急かされて、学校へ向かう。


友達と話して、くだらないことで笑って、帰り道に小さな寄り道をする。


これまでは、物語の終わりへ向かうために必要な出来事ばかりを考えていた。


けれど、今日の自分が楽しかったのは、何か特別な事件が起きたからではない。


友達とゲームをしたこと。


結衣が笑っていたこと。


帰り際に、また学校で会おうと言えたこと。


そんな些細なことが、今日という一日を確かなものにしていた。


航平は、ゆっくりとペンを動かした。


――誰かと過ごした時間は、何かが起きたから大切なのではない。


――何も起きなかった日にも、忘れたくない瞬間はある。


書き終えた文字を見つめてから、彼はノートの端に今日の日付を書いた。


スマートフォンが震えた。


グループチャットには、駿から大量のメッセージが届いていた。


『今日は楽しかったな!』


『次は絶対に勝つ!』


『特に水野、お前は覚悟しておけ!』


すぐに明里から返信が入る。


『まずはルールを覚え直してから言いなさい』


蒼太も短く続けた。


『次回は別のゲームも用意しておく』


そして、少し遅れて結衣からメッセージが届いた。


『今日は誘ってくれてありがとう! みんなと過ごせて、本当に楽しかった。また一緒に遊ぼうね』


航平はその文章を読み、少しだけ笑った。


何と返せばいいか、以前なら長い時間考えていたかもしれない。


けれど、今は難しく考える必要はない気がした。


『こちらこそ、来てくれてありがとう。またみんなで遊ぼう』


送信してから、彼はスマートフォンを机に置いた。


窓の外には、静かな夜が広がっている。


明日は日曜日。


学校は休みで、今日のように友人たちと会う予定もない。


それでも、月曜日になれば、また教室でみんなに会える。


結衣とも話せる。


航平はノートを閉じる前に、最後にもう一行を書き加えた。


――笑い声の集まる場所が、いつの間にか、また行きたい場所になっていた。


彼はその一文を読み返し、今度こそペンを置いた。


まだ知らないことは、たくさんある。


結衣がどんな未来を望んでいるのか。


自分が本当は何を書きたいのか。


そして、何気ない日々が、これからどんな物語につながっていくのか。


その答えは、まだ分からない。


けれど、分からないからこそ、続きを知りたいと思えた。


航平は机の明かりを消した。


明日が来ることを、少しだけ楽しみにしながら。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、五人が駿の家に集まり、ゲームや会話を通して少しずつ距離を縮めていくお話でした。


航平と結衣の関係は、まだ恋人と呼べるものではありません。


けれど、一緒に笑うことが楽しいと思えたり、相手が喜んでくれたことを嬉しく感じたりする気持ちは、少しずつ積み重なっています。


また、結衣にとっても、航平の友人たちと過ごす時間は、普段の学校生活とは違う新しい一面を見つける機会になりました。


何気ない休日の記憶が、いつか彼らにとってどんな意味を持つのか。


その答えを急がず、これからも一日一日の積み重ねを描いていきたいと思います。


次回は、今回の休日を終えた彼らが、それぞれ何を感じ、どんな変化を見せるのかを描く予定です。


引き続き、航平たちを見守っていただけたら嬉しいです。

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