ダブルブッキングと停止したモーター
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ピロリン、ピロリン。
端末からの着信音。
ディスプレイには「A.A.」の文字が表示されている。
「はい、ヒサカキ」
「エバンズの居場所は掴めましたか?レシピは?」
開口一番キンキンと耳をつんざく機械の声。俺に依頼してきたA.A.の窓口担当のメカ型の女。名前は忘れたけど、ダブルブッキングの先行の方。
「今その最中だよ。終わったら電話すると言っただろう」
「ですがね、ヒサカキさん。こちらにとっても重要事案なのですよ」
A.A.の奴の長広舌を聞き流しながら、地に伏せたワイリーに目をやる。モーター音もしない。死んだように静かなそのネイビーの髪をエバンズのディスプレイの光が照らしている。
ここに寝かせるのはダメだ。近すぎる。
密閉性の高い容器とUSBを使うからと言って一切漏れないとも限らないし、この手の事故は3年前もよく起こっていたし。
ワイリーの腕を掴む。力を込めるが、右腕しか持ち上がらない。その右手自体もとんでもなく重い。バーベルを持ち上げている気分だ。
見た目は人間の腕だけど、ワイリーは機械なんだもんな。あれだけガチャガチャドスだの車輪だのに変形してたわけだから、相当高度な変形機構が組み込まれているのだろうから重いのも納得だ。
この重さでは引きずって移動させるのも骨が折れるだろう。
それに、うつ伏せで引きずって新郎の顔に傷でもつけてボロボロの顔でウェディングフォトを取る羽目になったら俺への恨みも増しそうだしな。
ワイリーは自己購入費用を無理して払ってるから金欠気味だし。
ま、今から彼をどれだけ傷つけようが、俺への恨みがこれ以上増えるとも思えないけど。
ワイリーの移動は諦め、コンクリートの地面に敷かれた上着ごとエバンズを掴んで反対側の端に移動させた。
電話口のA.A.への対応に戻る。
「レシピはお渡ししますって」
エバンズのディスプレイを隈なく触って端子の入口を見つける。
エバンズが焦ったように瞬いたような気もしたが、無視してそのカバーを開ける。旧式のMC-A146の筐体だから心配だったが、幸いにして手持ちの接続端子が使えそうだ。小型アンテナの接続口をUSBに差し替えてエバンズと接続する。
端末を操作してセキュリティを無効化してメモリをハックする。
「おいおい、削除しただけか。お粗末だな」
科学者のデジタルリテラシーの低さに半笑いしながら削除済みの砂上楼のレシピを復元し、俺のメモリに移す。
「ほら、これでいいでしょう?」
冒頭の数KBの内容をA.A.に転送する。
A.A.の担当者は感謝を述べながら甲高い声で続きを催促してきた。
「残りは事務所で渡す、明日…いや、明後日そちらに伺うよ。ああ、最短でも明後日だ。それでは」
終話。
どこもかしこも腐ってやがる。
でもそれでいい。金さえ払えばお客様だ。マフィアでも行政でも、過激派偽善活動家集団でも。おかげで格好の機会が巡ってきたのだから。
胸ポケットに手を突っ込んで小瓶を取り出し夜空にかざす。白地に金で書かれた『天国』。
「さて、待たせたなエバンズ」
再び無線通信を許可すると、エバンズからしつこく音声ファイルが何通も届く。
イライラしつつ開くが、恨み言とか命乞いばっかで嫌になった。途中で再生を止めてファイルを全部削除する。
『朝菊』で悪逆非道のバイオメタル忍者が金メッキ縦ロールお嬢様の嘆願に負けて朝菊を殺せなかった時、敵からの言葉で心が動く悪役ってありえないだろって思ったけど、実際やられてみると、憎い相手であっても心に来るものがあるな。
もちろん、同情というわけじゃない。
これから加害する相手が人間だと思い出させられるのが不快なだけ。
いや、こいつは機械なんだから人間じゃないけどね。
機械だからこそ、考えうる最大限の苦痛を与えるためにレンヤに魂を売ってまで致死量の電子ドラッグを用意したわけだし。
つまり…まあ、いいか。
そこら辺もどうでもいい。
大事なのはエバンズも砂上楼もマフィアの手元に戻らないってことだ。
ガスマスクを装着し直す。
小型アンテナの通信機部分を外して小瓶を軽く装填した。まだ銀紙の内蓋で密閉されているが、もう少し押し込めばこのUSBを通って十倍濃縮した電子ドラッグがこいつのメモリを悪魔的な情報量で犯しつくす。
エバンズからの無線ブロックをもう一度解除すると、また堰を切ったように命乞いのメッセージが届いた。
「死にたくない」だの「せめて物理的に壊してくれ」だの。
贅沢な奴だな。
マナトも死に方は選べなかったのに。
いや、病院を抜け出して自分の死体を売ってまで薬を買ったんだ。ある意味選んでたのか?
「バーン!はい、死んだ!」
最初にレンヤがマナトのメモリをリセットした日がフラッシュバックする。
3年前から変わらないあの悪魔みたいな容貌が俺を嘲笑う。
「マナトはお前よりドラッグを選んだんだよ?勝手に野垂れ死んだヤク中なんて諦めて新しい友達探しな」
違う、違う。あんなの自分の意志じゃない。殺されたようなもんだ。自殺でさえない。
ああ、やめよう。こういうこと考えるのにもううんざりだからこいつを殺して終わりにしようと思ったんじゃないか。
元凶を討伐して、マナトへの弔いは完了。喪に服すのも今日で最後。ほとぼりが覚めたらレンヤの件もなんとかする。当てはないけどなんとかする。
ディスプレイを持ち上げてエバンズと視線を揃えた。一対の楕円がおどおどと揺れる。
「自分で作った天国を見ながらとべるんだから科学者冥利に尽きるだろ?まあ行き先は地獄だと思うけど。で、人類史に誇る天才様。何か言い残すことは?」
「私を殺して何になる!マフィアは黙っていないだろ!後悔するぞ!」
ああ全く。
言われずとも後悔ならずっとしてるよ。今更増えても気にならないくらいに。
「ごちゃごちゃうるさいな、いいから逝けよ」
小瓶をUSBに押し込む。
銀紙を端子が突き破ってかちりと噛み合う確かな手応え。
手持ち無沙汰なので、しばらくの間、見るともなしに砂時計のようにゆっくりと目減りしていく小瓶を眺めていた。
エバンズのディスプレイは一瞬ブルースクリーンに変わったかと思うとホワイトノイズがゆらめいている。耳をすませば屋台通りのざわめきに紛れてサァサァと砂のような音がする。
天国と地獄とはよく言ったもんだ。
天国で死んだ奴の方が多いのに。
使用者の母数が違うから当たり前なんだけど。
依存症の末の餓死者は意外と少数派で急性中毒での死者の方が多かったんだろうか。もっと強烈な快楽を求めて。
マナトはどっちだったんだろう。
マナトはどんな天国を見ながら死んだんだろう。
エバンズは一周回って今地獄だろうな。
気持ちよさなんて感じられないだろう。
無線を解放したのにエバンズからはもう一切何も送られてこないのがその証拠。情報処理に忙しくてこちらへの通信に割けるリソースさえないのだ。
ほら、ディスプレイから煙が出てきた。
不意に、耳鳴りが聞こえた気がした。
唸るような重低音。
耳鳴り?いいや違う。
この数日間呼吸と同じように聞いてきた。
ワイリーのモーター音。
振り向く間もなかった。いや、振り向こうと考えた時にはすでに俺は冷たいコンクリートに転がっていた。
何が起きた?
見慣れたダークスーツの背中。
立ちあがろうとして、自分が後ろ手に縛られていることに気づいた。これは手錠か?
ご丁寧に足にも銀色の輪っかがはめられている。
手の方は血管を圧迫するほど容赦無く締め上げられていて、手首から先がだんだん冷たくなっていく。
手をガチャガチャと動かしてみたが、チェーンが短すぎてびっくりするほど自由が効かない。どういう仕様なんだこれ。鍵穴の位置さえ探れない。
「ワイリー、シャットダウンしたはずじゃ…!?」
「ヲチミズの循環が一定時間止まると再起動するようにできてんの。寝つきが悪いんだよ、アンデッドだから」
軽妙な口調だが、一度もこちらを見ようともしない。
「蜃気楼直打ちはエグいだろ、死ぬぞ。ああ、それが目的か」
ワイリーは力任せに引き抜いた空の小瓶を背後に放った。俺の顔面スレスレに落下する。
俺は芋虫のようにコンクリートを這ってワイリーの方へと近づく。
足元に到達したところで、ワイリーの革靴が俺の背を踏みつける。
「邪魔すんな、殺すぞ」
首だけを持ち上げた。
ワイリーが何をするか、俺には予想がついた。
「やめろ!」
悲鳴のような叫びが喉をつく。
ワイリーがグリグリと俺の背中を強く踏む。
「黙ってろ」
その指はさっきまで小瓶のUSBが刺さっていたエバンズの端子に刺さっていた。
「レシピを取り返さなきゃいけないんだ」
「レシピならある!さっき取り出した!」
無線でレシピを送信するが、容量不足のエラーで失敗する。
「うるさい」
再送しようとしたら回線をブロックされた。
「お願い、ほんとやめて!『天国』がまだ残ってる」
「悪いけど、一度裏切った人間の言葉なんて信用できないから」
次の瞬間、鳩尾に強烈な痛みが走る。
コンクリートの床にもんどりを打って転がっていく俺。顔どころか全身が擦れて痛い。
「ワイリー、どうか…」
ああ、全然声が出ない。痛い。口の中も血の風味で気持ちが悪い。
ワイリーのネイビーのネオンライトが俺を捉えた。
「レシピは8GBくらいあるな。これだけで俺のメモリ埋まっちゃうよ」
「まさか…」
ああ、やめてくれ。本当にそんなこと。
俺を見つめるネオンライトの光がチカチカとシアンとネイビーとに明滅する。
「全部が終わったらお前に預けた記憶を俺に返してくれるか?それだけは頼むよ、相棒」
一際大きくモーター音が唸ったかと思うと、ピタリと停止した。
光を失ったネオンライトの瞳は悲しげな笑顔を湛えたまま、動かない。
「おい、ワイリー!」
立ちあがろうとしてまたこける。膝を強打したが、それどころじゃない。
地面を這ってようやくワイリーのところまで移動する。
鳩尾に耳をつけるが、何の音もしない。
嘘だろ、おい。
どういうことだよ。死んだのか?
処理落ちか?それとも天国のせい?
メモリを覗きたい。まだ打つ手があるかも。
でも、この体勢じゃ小型アンテナもつけられない。
「ごめん、本当に…」
ぶぅうん。
呼応するかのようにその胸が震えた。
物理的に。
ぼやけた視界にネオンライトが点る。
「鼻水だの涙だの体液をつけないでくれ、俺は高いんだ」
呆れたような困ったような。それでもいつものワイリーの軽い口調。
「ワ、ワイリー?頭は大丈夫なの、か?」
何を言ってるのかわからないとばかりに首を傾げる。
「それは俺のセリフだ。あんた、なんで縛られてるんだ?そもそも誰だ?」
新たな涙が込み上げるのを抑えつつ、俺は努めて明るく返した。
「君の相棒だよ、ワイリー。見ての通りの状況でね。とりあえず、助けてくれないか?手錠の鍵は多分君が持ってる」
ワイリーはコンクリートの屋上を見渡す。
煙をあげる旧式のアンドロイドの残骸と、傷だらけで縛られたサイボーグ。
「なるほど、わからない」
そう言って右手を振って人差し指を鍵の形に変形させた。




