本物とパチモン
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数時間後。
俺はスクリュードライバー片手に排気口の蓋と格闘していた。
夜のお供はスクリュードライバーよりオレンジブロッサムなんだけどな。
一度も開けたことがないのだろう。錆び付いた四隅のネジは成人男性の全力を持ってしても壊れたオルゴールくらいゆっくりとしか動かない。
やっとの思いでひとつ外せた。
かすかな足音に振り向くと、一対のネイビーの光がさながら鬼火のように瞬く。
「間取り図に書いてある排気口は全部塞いだよ」
ワイリーだった。
コンクリートの集合住宅の暗闇に紛れるダークスーツにはおよそ不似合いなブルーシートと養生テープを小脇に抱えている。
「で、マジでやるの?」
「マフィアが遵法精神か?」
「まさか。アレを使うのは大事レベルでいえば20人を物理的に破壊するのとどっこいだと思ってさ」
頷いて二つ目のネジに取り掛かる。
「マフィアなのにドラッグは嫌い?」
「好き嫌いとかじゃなくてあんなもの使ってコーヤは大丈夫なのかって話だよ」
ワイリーが俺の肩を掴み、自分に向き直らせる。
「何のために俺がついてきてるのか考えてよ、コーヤ」
「監視だろ、相棒?」
「真面目に聞いてよ」
その顔はいつもの陽気さは消え、かなり真剣だ。
「君の本業は人探しだろ?…今回は物探しだけども。見つけた先はマフィアに任せればいい。コーヤが危ない橋を渡る必要なんてないだろう?」
さて、なんと答えたものか。
一対のネイビーのネオンライトを直視できなくて、遠くの街灯の光に照らされるコンクリートの隙間に咲く雑草を目でなぞる。
本当のところはワイリーには言えない。言えるわけがない。
「…相棒にちょっとかっこいいところを見せたいってだけじゃダメか?」
肩をすくめる俺にワイリーは意外そうに眉を上げる。
「君と組んだこの数日がすごく楽しかったから、終わりも派手な花火を上げてやろうとね」
「コーヤ…意外と仕事で遊ぶタイプなんだな?」
「遊び心がなきゃこんな仕事やってられないさ」
俺はワイリーの手を払い除け、折りたたんだガスマスクで軽く肩を叩く。
「というのは嘘。ワイリーが思ってるような大惨事にはならないから安心して」
ワイリーはまだ釈然としていないようだが、ガスマスクを受け取った。
「コーヤのこと信じるよ」
ガスマスクで顔を覆うワイリーを尻目に排気口の四隅のネジとの格闘を再開する。
これは嘘じゃない。彼らは不快な目に遭うだろうが、命までは取らない。蜃気楼で死んだ1万人や5000体と違って。
不意に肩を叩かれた。
代われとばかりにワイリーが顎をしゃくり、右手をガチャつかせてインパクトドライバーに変形させた。
やっぱいいな、それ。俺も利き手サイボーグにしようかな?
俺はワイリーほど上手くは使えないだろうけど。
人力では一つ外すのに10分かかったネジをワイリーはものの10秒とかからず三つも抜いてしまった。
俺は「地獄」の小瓶を鉄の容器から恭しく取り出す。そして、その排気口の中に投げ込み、すぐさま後ろへ下がった。
ガラスの転がっていく音が遠ざかる。
ワイリーは右手を排気口に突っ込み、続け様にガラスの割れる高い音がくぐもって聞こえた。煙が逆行する前にすかさず木板で排気口を抑え、上からインパクトドライバー状の右手でネジを打ち込む。
「じゃあ手筈通りに」
俺の返事も待たず、ワイリーはガスマスクのまま入口の方へと走っていく。
コンクリート打ちっぱなしの外壁に不似合いな木板をぼんやりと見つめる。
賽は投げられた。実際投げたのは瓶だけど。
まだ引き返せる。
なんて甘いことを考える自分を思わず鼻で笑った。
レンヤに自分から電話した時点で道は一方通行になった。
通知音。
「こちらワイリー。持ち場についた。いつでも始めてくれ」
ワイリーからのメール。
ノロノロとPC端末を操作し、ワイリーの脳と接続する。間も無く暗視モードでのワイリーの視覚情報が送られてくる。
蜘蛛の子を散らすようにアンドロイドたちが出てくる。
その顔を一人一人拡大して照会するが、MC-A146と一致するものはいない。
「なんかアレみたいだね、煙で焚くタイプの殺虫剤」
ワイリーがいる階段の方向に走ってきた運の悪いアンドロイドのスピーカーとカメラを潰しながらつぶやく。
「ああ。「鼻がもげるほどの悪臭を嗅いでいる」っていう幻覚を見せてるからね」
「幻覚なら呼吸をしないアンドロイドにも効くわけだ。でもさ。蜃気楼って任意の幻覚を見せられるようなものだっけ?使用者に都合がいい幸せな幻覚を勝手に見せる、みたいなやつじゃなかった?」
訝しんでいるというより心底不思議そうに尋ねるワイリー。
これくらいなら話してもいいか。
「できるんだよ。あれ、蜃気楼の進化版だから」
「進化版?それは砂上楼のことだろ?」
ドラッグ製造の大本山の構成員でも末端の戦闘員レベルじゃあれのことは知らないか。いや、マフィアにとって都合が悪いものだからこそ、か。
「地獄版蜃気楼は、本家蜃気楼とほとんど同じ成分なんだけど、圧倒的に中毒性が少ないんだ。そりゃ生理的に不快にさせるだけの薬なんて誰も使わないだろ?むしろ二度と電子ドラッグなんて手を出したくなくなる」
「へぇ、ワクチンみたいなパチモンだなぁ」
パチモンね。
右目がピクリと痙攣する。
「ワイリー、あれもあれで本家なんだよ。作ったのはトリスタン・エヴァンズだから」
「失敗作ってこと?ん?でも進化版なんでしょ?退化してない?」
俺は答えなかった。
蜃気楼の被害規模を前に、罪の意識に苛まれたエヴァンズが贖罪のために作った自己満足の代物だというのは教科書に載ってない事実だ。
そして任意の生理的な苦痛を「感じさせる」電子ドラッグが病院での薬物依存治療ではなく、犯罪組織の倉庫にストックされている事実も。
罪を償うどころか、レンヤみたいな悪党の罪の片棒を担いでることも。
一度死んでアンデッドロイドになったエバンズは知っているんだろうか。
懲りずに蜃気楼を正統進化させた砂上楼なんて代物を開発してる時点でお察しだけど。
エヴァンズの人となりは知らないが、きっと彼もこう言うのだろう。
「俺もシステムの歯車の一つだ」と。
蜃気楼だって発明しただけで流通させたのは俺じゃない、と。
「確かに組織のドラッグ販売を統括してるのはおれだ。それは認める。だが、個々の店はオーナーに任せてるから俺が直接マナトとやらにドラッグを飲ませたわけじゃない。それに、俺だって所詮はトカゲの尻尾の一つ。営業ノルマを達成しなきゃこうなる」
親指で首を切るジェスチャーをしてヘラヘラ笑ったレンヤのように。
「てか、いい大人なんだから自己責任だろ。俺らは売っただけ。無理矢理飲ませたわけでも買うのを強要したわけでもない。お前もいい加減現実見ろよ」
うるさいな。うるさい。それ以上言うな。
「コーヤ。これで15体。もう出てこなくなった」
ワイリーの声が脳内のイマジナリーレンヤの嘲りをかき消す。
「このまま待ってたら逃げた奴らが戻ってくるんじゃないか?」
「ああ、そうだな」
額の嫌な汗を手の甲で拭いて小走りに駆け出す。
「合流したら突入だ」




