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八、解けゆく謎:中編

                        ※

「ブワックションッ!」

 我ながら見事なものである。自分のくしゃみの大きさに、フロントマネージャーのハルトは呆れてしまった。時を置かず四、五回もたて続けに同じものをさせればさすがに鼻がムズムズしてきた。間違いなく風邪であろう。今朝から微熱もあったし喉もイガラっぽかった。

「まったくついてないもんだな」

 フロント奥の控え室でひとりごちながら、薬を飲むためポットの湯をティーカップに注いだ。原因はわかっていた。昨日の爆発騒ぎのせいだ。

 ホテルエリザベートは築館以来火事で焼け出されたこともなく、百五十年も昔のゴールドラッシュ時の雰囲気を今に伝えている古風な造りなので、星で唯一の高級ホテルとして指定されてきた、いわば由緒のあるところであった。それが、昨日の不意の爆発事故によりVIPルームを含む最上階から数階が破壊され、十数名の死者と三名の重傷者を出してしまった。警察は事故とテロの二つの線で捜査を進めているらしい。

 だが、ホテル側にとって不幸だったのは、漏れたガスがなんらかの形で引火したらしいという噂が宿泊客に瞬く間に伝わったことだった。またそれがいかにももっともらしい話であるだけに、恐怖を抱いた客の大半が宿泊のキャンセルを迫るという深刻な事態を招いた。昨夜はいってみれば、そういった宿泊客への応対と警察との話し合いで不眠不休を強いられた悪夢の一夜であった。

「当ホテルは安全性を重視しております。原因は早急にわかりますから、どうか落ち着いてください!」

「お願いします、早く原因を調べてください!」

 お客や警察官に対して、何度頭を下げ手を合わせたことだろう。商売とはいえ、昨日ほどハルトは謝ったり相手に頼み込もうと卑屈な態度さえ取らねばならぬこの仕事が嫌になったことはなかった。

勤続二十年以上かけて、ようやく中間管理職まで登りつめたが、同族経営でガッチリ固めているここではこれ以上の出世は望めまい。彼自身もその気はないが。ハルトにとって腹立しいのは、この災難に対する経営者側の反応だ。

「まったくひどいことになったものだ。それでなくても、今年に入ってから客の入りが悪いというのに、なんでよりによってこんなことに……。万が一、ウチの落ち度ということになったら保険は下りないだろうし、そうなったら経営は成り立たんぞ、まったく!」

 現在ホテルの実権を握っている総支配人は社長の長男であり、地球の大学で経営学を専攻していたせいもあってか、頭はたしかに切れる。ただし情がない。

「なんにしてもこのホテルを存続していくには、従業員のクビを切っていくしかないだろう。な、そうだろう。そうするしかあるまい。仕方ない。うん、仕方がないことだ。大丈夫だ、その点君は当社にとって重要な人材だからな。夏のボーナスは支払ったからやむを得ないとして、冬のボーナスのほうは涙を呑んでもらい、むこう一年間は月給も五十パーセントカットということで承知してくれるな。辞めさせねばならんのが大勢いるんだ。それよりかましだろう。な、な」

 不満げな彼をよそに、総支配人は一人勝手に納得してすべてを決めてしまった。上に立つ者としては、経営そのものが大事だというのはよくわかる。だが、働く側の都合を少しも聞こうとしないのは一方的だ。なにより、死傷した宿泊客及び従業員への補償問題が一言も口に出なかったのは、不人情を通り越して異常でさえある。

(これでは従業員に嫌われるはずだ)

 退職金さえも貰えずに辞めさせられるであろうと、親しい仲間数人の顔を思い浮かべてフロントマネージャーは暗澹とした思いにとらわれた。前の社長の時はもう少し温かみがあったのだがと、昔を懐かしみさえした。もっと許し難いのは、その総支配人が今日は出社してないことだ。

「いずれにしても、近いうちに署長と話をつけておかなくちゃいかんなあ。ウチの落ち度じゃないということを証明するためにも」

 社長室を去ろうとしたハルトへ、独り言のようにつぶやいた彼の真意をその時点では読めなかった。一夜明けて午前中に、総支配人の細君から電話がかかってきたことで、ようやくその謎は解けた。

「ちょっとお、ウチの主人さ出てなあい?まったくせっかくの日曜だから庭先で子供たちと焼き肉パーティーやるはずだったのに、肝心の父親がいなくちゃ話にならないじゃあないのお。悪いけど主人のとこへつなげてくださるう?」

「奥様、申し訳ございません。只今支配人は取り込み中ですので、後で連絡するようお伝えいたします」

 ウソである。総支配人はいつもなら十時三十分に出社してくるところを、今日は見えていなかった。むろん本当のことを話したところで、先方のヒステリーを高じさせるだけでなんにもならない。手を尽くして納得させたものの、気が収まらないのは当の彼自身だ。

 恐らく総支配人は、警察署長とゴルフであろう。接待と称して日曜・祝日となると、日を置かずに街の有力者とゴルフへ行くのがここの経営者の日課なのだ。家族サービスもやらないでと奥方には嫌味を言われているらしく、毎週決まってこのように無関係なはずのハルトまでがとばっちりを食らうのだ。

「自分んとこのホテルが壊れかけたんだぞう。少しは自重してもらわんと……」

 頭を下げつつ電話を切った後、フロント・マネージャーは吐き捨てるようにつぶやいたものだった。彼などはここ数年は中間管理職の立場上、平日休日を半月に一回取る程度のため、家族とのコミュニケーションも途絶えがちになってしまっている。場合によっては、休日返上ということも珍しくはない。

「あなたが過労死してもあたしたちは生活できそうね。なにしろ休みも取らずに会社に尽くしていらっしゃるんですから」

 時々妻が、皮肉めいた一言を背中へ投げかけたりもする。生活のためである。しかしなんと報われない日々であることか!

「辞められるものなら、今すぐにでも辞めてしまいたいもんだ……」

 風邪薬の苦さが口の中に広がる。むせながらゆっくりと白湯を流し込み、ハルトはやれやれと一息ついた。机の一番上には辞表が入っていた。耐えきれなくなったらいつでもと忍ばせてあるのだ。三ヶ月前に書いたものなので、封筒もそろそろ古びてきているころだ。

「もう少し経ったら、新しいのに書き直さにゃいかんな……」

 控え室のドアがノックされたのはちょうどその時だった。

「失礼します。マネージャーにお客様が見えているんですが」

「女房か、弁当なら悪いがお前が代わりに受け取っておいてくれ。もう四時過ぎだというのに、相変わらず嫌味ったらしいことをする奴だ。ついでに今日は六時までには帰ると伝えてくれ。今は会いたくない」

 入ってきた二十歳そこそこのフロントボーイに、物憂げにハルトは言い渡した。正直なところ、風邪でつらいところへデスクワークをしている最中なのだ。そこへ妻の毒舌にあてられでもしたら死にたくなってしまう。

「いえ、違います。奥様ではありません。ザトペック土木建築株式会社の社長だとおっしゃる方が見えているんです」

「ザトペック土木?」

 聞き覚えのあるようなないような名前だった。さりとて、あああそこかとすぐに浮かばないところから察して、彼にとっては重要ではない相手のようだ。

「土建屋がなんの用だというんだ。悪いが今は手が空いてないと断っておけ。大体お前もお前だ。そんなことは電話口ですませればすむことだろう。わざわざこんなところまで報告などせんでもいいことだ。時間の無駄だ」

 早く行けと手を振りつつ、フロント・マネージャーは机に視線を落とした。

「いえ、実はですね……」

「なんだ」

「もう来てしまっているんです」

「どういうことだ」

「その方が……その……すぐ後ろに……」

「なっ……」

「いやあ、どうもどうもすいません!お世話になります!フロント・マネージャーさんはこちらのほうだと聞いたもんですから!」

 ガタッと腰を上げかけたところへその男は入ってきた。グレイのスーツ姿のその男は、いかにもその関係の人間という風にがっしりした体格をしていた。それなりにスーツを着こなしてはいるが、ガニ股でノッシノッシと歩いてくるさまだけは失笑を買わずにはいられない。誰あろう、ザトペック親方にほかならない。

ハルトのほうは強引ともいえる男の登場に唖然としたが、こうなってしまっては追い返すわけにもいかない。

「なにをしている、お客様にコーヒーでも持ってきて差し上げなさい!」

「いやあ、あっしゃあできればココアのほうが嬉しいんですが」

 お構いなくと言わせるつもりだったのに、相手は図々しくも好みまで注文してきた。

「申し訳ございません。マネージャーの執務室といっても、物置きに毛が生えたような殺風景なところですので……。どこかにソファーがあったはずですから、ご遠慮なくおかけください」

 部下が去って二人だけになると、ハルトは今度は皮肉っぽい口調で座を勧めた。ザトペックは室内を見回して苦笑した。なるほど、たしかにフロント・マネージャーが専用であてがわれている部屋にしてはどこか貧相だ。仕事用の古ぼけた机とテーブル、ソファーといった応接一式を除けば、床に平積みされた資料やら雑誌の類があるほかは、少なくとも来客を招き入れるにはふさわしくない場所といえた。おまけに日当たりも良くなく、まだ昼間だというのに煌々と灯をつけていなければ薄暗くなってしまうという条件の悪さだ。

(こんなところに閉じこもって仕事してるなんざ、変り者としかいいようがないな)

 改めて部屋の主へ目を向ければ、机にかじりついて一心不乱にペンを走らせている。お前など邪魔だという態度がありありと浮かんでいた。痩せぎすの逆三角形の顔には鬼気迫るものさえ感じさせ、仕事に口出しでもしようものなら飛びはねんばかりに雄叫びを上げそうだ。

「ところで、なんの御用ですかな?」

「いやいや、今日改めて拝見させていただきましたが災難でしたな。最上階はおろか、その下の数階まで吹き飛んでいるもんですから、てっきり今日は営業を中止してると思ったんですよ。しかし、さすがに“エリザベート”さんだ。へこたれずによくやりますよ」

「社長の意向でしてね。まあ、もっとも半分引退しているような方ですが、お客様が望む限りはホテルは開けていなくてはいけないとおっしゃるもんで」

「そいつは立派なことだ。やはり経営者というのは考えるところが違いますな」

 単に業突く張りなだけさと、ハルトは内心で吐き捨てた。そのために彼は昨夜泊まり込みで、無事だった宿泊客の慰労に煩わされたのだ。おまけに今は今で、警察や保険会社への経緯報告書もまとめねばならない。真相がまだつかめていないにも関わらずである。

「しかしあれだけ派手に壊れたとなると、修復にもだいぶ費用がかかりましょう。決してこいつは馬鹿になりませんからな」

 ハハーンと思った。この男それが目的だったのか。あっけなく謎が解けたことで、フロント・マネージャーはやや尊大な口調となった。

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