九十四、河東の董家
「太守様、お越しいただけますか?」
巨体、ではあるがその身に余分な脂は無い。
床を踏みしめる足には力が込められていて、大きな体を支えている。
「うむ。すぐに向かう」
安邑城の私室を出て、董卓は廊下を歩いていく。
今の肩書きは河東太守である。
河東郡は、司隷にある郡だ。
司隷は長安や洛陽を有するいわば漢帝国の中心地。
河東郡も塩や鉄の産地として有名な場所である。
歩きながら董卓は体を伸ばした。
先ほどまで執務をしており、体が固まっているような気がする。
思い起こせば数十年も昔、尊敬していた太守とか刺史に自分もなった。
それについて感動するとか誇らしいという気持ちはある。
だが、それよりも重責の方が肩にのしかかるのを感じている数年だ。
董卓を呼びつけたのは白泰という若者だ。
洛陽の商人、白然の息子である。
そして、董卓にとって娘婿でもある。
董卓が洛陽から脱出する前に生まれた娘の董啓も十七となり、先年結婚した。
董卓と鮑犖のようにむちゃくちゃな問題はまったく無い。
董卓の世話になった商人の劉甲が没した後、店を継いだ白然はあちこちに異動する董卓のもとを訪ねて来てくれており、その息子の白泰もそれについてきた。
そのため、董啓と幼なじみのような関係となり、婿をとるにあたってそれが決め手になった。
董啓と結婚すると白泰は董卓に仕えることになり、郡の政務に携わるようになった。
数字に強い部下が少ない董卓にとって、この義理の息子は大いに頼りになっている。
「太守様、歩きながらお聞きください」
「親子なのだから、義父と呼んでくれてもよいのだぞ?」
「公私の別をつけねば仕事に差し障りますゆえ」
「真面目よなあ」
「太守様の周りの方々が緩いだけです」
「それもそうか」
くっくっく、と董卓は笑う。
「解県の塩がよく売れております。臨時の収入として計上しようと思いますがいかがします?」
「新しい鎧を買うのに使おうか」
「いえ、なりません。無用な軍備費の増強は中央のいらぬ干渉を招きますぞ」
「しかし、全兵士がぴかぴかの鎧を着ていると士気があがるものよ」
「鎧は洛陽の店で買い付けてますので不用です」
「それは予算の範囲内で、だろう?」
「父の店なら格安なので」
「公私の別はどうした?」
「安く良いものを買うのは朝廷を休んじることに繋がります」
「物は言いようだな」
「郡の財庫に入れると使い勝手が悪いですしね」
「やはり鎧か?」
「いえ、街道整備費に当てましょう」
「ん?そんなに悪い街道があったか」
「いえ。将来の悪化に備えての蓄財ですね」
「で、その蓄財はどこかに消える、と?」
「さて」
父親の白然は誠実な商人だったし、その師の劉甲はそれほど悪どいことはしなかったと思うが、どうしてこんな風に育ったのか。
「義父上、こちらにおりましたか」
廊下の向こうから、颯爽とした若者がやってきた。
名は牛輔。
かつての護羌校尉の牛邯の後裔である牛鉄の養子である。
実際は董卓が羌族のもとにいた時の友人トゥウンとその妻スイナとの子供であり、両親が害されたあと牛鉄に引き取られた過去がある。
さらに言えば、輔の名前は董卓がつけたものであり、将来必ず引き取ると牛鉄と約束していた。
董卓もある程度出世し、余裕ができたのでこうして婿にとったのである。
牛輔の妻は董卓の次女である董祥である。
この娘は広武県令の任期中に生まれた娘で、母親のそれを受け継いだか、それとも董卓と仲良くしていた鮮卑の気質を継いだか、かなりのお転婆であった。
静かな長女の啓とは全然違う性格に育ったが、姉妹仲は良い。
妻に娶れと引き合わされた牛輔は、その性格に最初は面食らったが彼もまた羌族の血を引き、隴西の武人の家に育った男。
しばらくするとすっかり気があったようで二人で遠乗りに行くような間柄になった。
「牛輔か。いかがした」
「は。私にお預けいただいた部隊のことで相談が」
「何か問題か?」
「いえ、親交を深めようと酒宴を開こうと思うのですが、どうにも予算が」
「酒宴はよいがあまり贅沢をすると反感を買うぞ」
「反感?」
「このところ、凶作が続いておる。冀州あたりで乱の兆しありとの噂もある。そんな時に民草の感情を逆撫でしてもよいことはない」
「民草の感情を逆撫でしても、何もできぬでしょう」
「甘い。秦帝国を滅ぼすきっかけとなったのも陳勝呉広といった民だ。そも漢の高祖自体が民の出だ」
「義父上、それはさすがに口にするのはどうか、と」
「ともかく、だ。民を慈しみ愛せよなどとは言わんが、要らぬ反感を買うのは控えよ」
「は」
「酒宴については貴様の義兄がどうにかしてくれる」
「え?」
突然話を振られて、白泰は目を見開いた。
「いえ、それには及びませぬ。親交は調練で深めようと思いまする」
と牛輔は一礼をし、去っていった。
「……ええと、私、義弟殿に嫌われてますか?」
「さてな。俺が言いすぎたのやもしれん」
と口では言ったものの、牛輔の方が白泰にわだかまりがあることは察していた。
同じ婿とはいえ、商人の白泰が兄、武人の牛輔が弟というのが気に入らないのかもしれぬ。
董卓自身は二人で董家を支えて欲しいと思っているのだが。
二、三話をした後、政務の残っている白泰は離れていった。
ふらりと外に出るとそこに弟の董旻と甥の董璜がいた。
どうやら隊の運営について甥に教えているらしい。
政務関係は白泰が取りまとめているが、董卓の私兵の運営は董旻に任せていた。
しかし一族である董璜にもそのまとめをさせなくてはならない。
李傕たちを相手に遊んでいるのはいいが、逆に率いる立場になることも覚えていかなければならないのだ。
それが董家に生まれた、いや董卓の甥に生まれた宿命というものであろう。
「精が出るな」
「お疲れさまです、兄上」
「叔父上!」
董旻はすっかり肥えて歩くのも億劫そうなのだが、馬に乗るとしゃんとする。
運営も慣れているからやっているだけで、さっさと甥に譲って草原を、あるいは戦場を駆けていきたいと思っているようだ。
「そういえば兄上、この間登用した幽州の男、ご覧になりましたか?」
「幽州の?……確か徐栄とかいう奴だったか?」
「ええ。かなりの豪傑で故郷では名の知れた男だったとか」
「ほう。ならば少し話して見るか」
たくさんの荒くれ者を統率してきたからか、董旻の武将を見る目は確かだ。
ただ豪傑とか猛者とかを見るのは得意らしいが知将とか軍師とかいうのはどうも見極められないとか。
だから、例えば数年前に亡くなった段熲将軍の配下にいた賈詡とかいう軍師のような人物は董旻には薄ら笑いを浮かべる雑兵にしか見えない、というような感じだ。
そんな話をしていると「ちちうえー!」と可愛らしい子供の声がした。
声の方向を見ると鮑犖と八、九才の子供が走ってくる。
走りすぎて転びそうになるところを董卓は抱き抱えた。
「転ぶところだったぞ、承」
「ちちうえがいるから大丈夫です」
この子供は董承。
董卓の長男だ。
そして、鮑犖の腕の中には赤ん坊がいる。
女子である。
名前は“清”。
董清。
この一男三女が董卓の子供である。
娘婿が二人、弟と甥。
年をとったが可愛い妻。
いつの間にか、董卓には家族ができていた。
地位、立場、家族、おおよそ幸せというものを董卓は掴んでいた。
しかし、それだけでは満たされない野心が腹の中にあることを董卓は自覚していた。




