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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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九十三、都落ち

「わかりました。我々百名は仲穎様に従いまする」


 と葉雄以下、元羽林騎の面々は頭を下げた。

 彼らは董卓隊に組み込まれることになる。

 羽林騎は元々、涼州と并州の六郡から選抜された者である。

 そのため、向かう地が并州の果てである雁門である聞いてためらうことは無かった。

 むしろ、本来の敵である鮮卑族などの異民族と戦えると喜んでいる者が多かった。

 今回の政変による対応の違いはもとより、平素の朝廷からの侮られぐあいが気に入らない者もかなりいた。

 涼州并州の田舎者、辺境の荒くれなどと面と向かって喋られた者もいた。

 そういう都の水が合わなかった者らにとって雁門はちょうどいい任地だったようだ。


 葉雄はこれを期に姓を変えた。


「父はもう気概もなく宦官らに屈しました。その葉家を継ぐことなどできませぬ」


 真面目なことよ、と董卓は思ったが指摘はしなかった。

 己も、理由こそあれ家を出たことのある人間だ。


「ではなんと名乗る?」

「は。葉の字に近く、また武人なら茂る葉よりは花のように散りたいと思い、“華”の姓を名乗ろうと思います」

「“華”。そうか、つまりこれからは華雄かゆうと呼べばよいのだな?」

「まことに勝手ながら」


 と、葉雄改め、華雄は頭を下げた。


 姓を変えると言えばもう一人いた。

 狼蒙である。

 先の先零氏族の族長にして豪帥であった狼凱の長子である。

 岸尾によって氏族を追われ、董卓の配下となった若者だ。

 その後見人として氏族の戦士長であったガアカがいたが、先の戦いの後引退した。

 ガアカに預けられていた旧先零氏族の騎兵たちは、狼蒙に譲られた。

 これは董卓も認可している。


「己は父の職務を受け継ぐことができなかった人間です。ゆえに狼の姓を名乗ることはできませぬ」


 若者はこれから励み、父祖の名声を超えるよう努めればとは董卓は思ったが、若者ならではの焦りもまた感じていた。


「ではどう名乗る?」

「尊敬する李傕兄貴から、姓を貰い李蒙りもうと」

「尊敬する李傕?」


 狼蒙もとい李蒙が姓を変えることよりも、李傕が若い兵士から尊敬されていると知る方がなぜか董卓には衝撃だった。


 だって、李傕だぞ?

 あの野盗顔の。


 よくよく若い者から話を聞いてみると、野盗のような貧相な顔だと思っていたのは董卓や張済といった最古参だけで若い兵は研ぎ澄まされた鋭い顔だと認識しているようだった。

 ちなみに四角い顔の郭汜は重厚な武人の顔。

 粗野な樊稠は精悍な頭領の顔つき、だそうだ。


 これについて張済に話を聞くと「俺らの見方には昔の顔っつう膜が張ってあるのかもな」と言っていた。

 なるほど、付き合いの長さから自分等には李傕が野盗顔に見えるが、そういった先入観がない若者には頼りになる顔に見えるわけか。

 董卓の目は特別良く見える目ではあるが、そういった先入観は取り払わなければな、と実感した出来事であった。


 洛陽を出発した董卓らは途中で、涼州からやってきた董卓隊と合流、一路并州雁門郡広武県を目指した。


 雁門は漢土と北の異民族との境界である。

 東西の山の切れ目がそこにあり、その境目を雁が飛んでいくことから雁門の名がついたという。

 その境目に、関所が設けられ古くは戦国七雄の趙国が、その後は秦帝国、漢帝国が異民族からそこを守っている。

 ただ、時折現れる異民族の英雄が境界を突破することがある。

 匈奴の伝説的首領の冒頓単于ぼくとつぜんうは漢帝国の代国を襲い、都である馬邑を侵略した。

 救援に訪れた高祖劉邦の軍をも匈奴は撃破し、匈奴が上の同盟を結んだ。

 また、鮮卑族も檀石槐に率いられた軍が雁門関を突破している。

 董卓が赴任するのはそんな場所である。


 しかし、董卓の顔に憂いは無かった。

 洛陽のぐちゃぐちゃした権力闘争は苦手だ。

 それならば力こそ全ての羌や鮮卑と戦う方がよっぽど楽しい、と思うのだ。


 それから董卓は雌伏の時を迎える。

 しばらくの間、董卓の名が中央で囁かれることはなかった。


 数年間、広武の県令を勤めた董卓は次に蜀郡の北部都尉ほくぶといに昇進した。

 これは涼州の南にある益州蜀郡を南北に分けた北側の軍事責任者である。

 それを勤めた後、今度は西域戊己校尉さいいきぼきこういに昇進している。

 これは西域との往来を守護する部隊の指揮官である。

 また校尉となったことで官秩比二千石の高級将校になった。

 官秩はいわゆる給料の基準であるが家柄を示すものでもある。

 例えば羽林郎は比三百石、県令は千石、都尉も比二千石だ。

 赴任している場所は辺境ばかりだが順調といえば順調な出世とは言えなくもない。


 その頃、鮮卑の勢力は過去に類を見ないほど強大化した。

 幽州、并州、涼州の三州に檀石槐率いる鮮卑族は侵略を繰り返した。

 熹平年間に連年のように侵略をしたが、熹平6年(177)についに漢帝国は大々的な反撃を画策した。

 朝廷は護烏桓校尉の夏育かいく、破鮮卑中郎将の田晏でんあん、使匈奴中郎将の臧旻ぞうびんを派遣し、南匈奴の屠特若尸逐就単于ととくじゃくしちくしゅうぜんうの軍とともに雁門関から長城の外へ討って出た。


 夏育は涼州北地郡の太守であったが、侵略してきた鮮卑を撃退した功績で護烏桓校尉となった。


 田晏は護羌校尉であったが罪を得て、それを武功によって返上したいと上奏した。

 その武に一定の信頼があったため、皇帝が破鮮卑中郎将への任官を強行した。


 臧旻は元々、盗賊討伐に功があった人物である。

 対異民族の強化を朝廷は推進しており、彼も使匈奴中郎将へ任官している。


 屠特若尸逐就単于ととくじゃくしちくしゅうぜんうは漢に臣従した匈奴の単于であり、北の騎馬民族に対抗するために、いわば毒をもって毒を制すという目論見のもと動員された。


 これは漢帝国の全力である。

 対異民族の校尉、中郎将、そして匈奴の単于まで使って鮮卑族に大打撃を与えんとしたのだ。


 鮮卑の領土、二千里(約八百km)に侵攻した漢軍は、しかし檀石槐の巧みな用兵と強靭な鮮卑兵に襲撃され敗走した。

 その敗北の状況は筆舌に尽くしがたく、軍勢は十分の一ほどになるまで壊滅。

 軍事的な責任者であることを示す節や伝は失われ、多くの糧食も奪われた。

 大敗も大敗であった。


 指揮官の夏育、田晏、臧旻は生き残りはしたが敗戦の責任を取り、檻に入れられ庶民に落とされた。

 屠特若尸逐就単于ととくじゃくしちくしゅうぜんうは自らの領地へ逃げ帰ったが病を得てその年に亡くなってしまった。


 またこの軍勢を仕立てるために大司農の財庫は不足し、周辺諸郡に大規模な徴収をすることで賄っていた。

 それに対して、新たに領地を得ることもなく、財物を奪うでもなく、鮮卑の大人の一人も倒すでもなく、敗北したため、一気に財政が悪化している。


 史書にはその戦いに董卓の名は無い。

 しかし、対匈奴、対鮮卑、対烏桓の兵を動員したこの軍に、西域を守護する戊己校尉が参加している可能性はある。

 していなくても、何らかの形で関わっていたことは確かだ。

 その証拠、でもないがこの頃董卓は校尉の職を罷免されている。


 だがある事情で鮮卑の侵略は止まることになり、北の三州に一時的な平穏が戻った。


 董卓の名は徐々に、その強さと共に知られるようになっていた。

 すぐに并州刺史に任官、そして河東太守を拝命している。


 中央を追われてから十余年がたっていた。

 漢帝国の終わりの始まりである黄色の年がすぐそこまで迫っていた。

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