八十八、若武者と戦巧者、と怪物
武威郡にて段熲に敗れ、逃げ帰ってきた麻瞥だったが更に運が悪かった。
それは昭武城に逃げた岸尾を追う董卓隊と鉢合わせてしまったことだ。
「隊長!敵影、おおよそ三百」
葉雄の報告に董卓は目を細めた。
あれは岸尾軍のどれだ?
もし、董卓の知らぬ戦力なら狂いが生じる。
だが、と彼は笑った。
狂いが生じるならば、その前に消してしまえば良い、と。
「前軍ガアカ騎兵、行けッ!」
董卓隊は一丸となっている。
それは董卓とて頭では理解している。
しかし、実感として確証が欲しい。
ガアカや羌族出身の騎兵がちゃんと俺の言うことを聞くかどうか。
その閃きのような思考が、この命令となって下された。
命令を受けたガアカらもまた同じような気持ちであった。
けして董卓を裏切らぬ、その兵として全うするという思いだ。
命令が下されるとすぐにガアカ隊は馬の速度をあげた。
中でも狼蒙は緊張した面持ちに、興奮の色を浮かばせながら進んでいく。
卓越した指導者であった狼凱の息子として、不甲斐なさが残る己を奮い立たせ、せめて一個の武将として活躍したいという想いがそうさせているのだ。
「狼蒙!逸るなよ!」
「これが逸らずにいられましょうや!私の羌の血が敵を打ち倒せと叫んでいるのですッ」
言葉通りに狼蒙は一直線に敵に突っ込み、瞬く間に首級を挙げた。
死んだ敵騎兵が地面に落ちる前にもう次の敵に向かっている。
「狼蒙は武の才はあるようだな」
父の死後、氏族を乗っ取られた若君という印象とはうってかわって血しぶきを浴びながら奮戦する若武者となっている。
なるほど、父親の狼凱は優れた指導者であったが、また恐るべき武人であった。
どうやら、そちらの血の方を濃く受け継いだのやもしれぬ。
しかし、才のみで勝てぬのが戦だ。
ことに武の才を開花させた戦巧者には。
たとえ敗れて逃げる最中とはいえ、麻瞥は狼蒙より数段上の実力者であることには違いなかった。
「いかんな」
と董卓は呟き、馬を走らせた。
「隊長!?」
葉雄が驚き、そして元々の董卓隊の面々はまたか、という顔になった。
麻瞥の鋭い斬撃が避けるのもギリギリの速さで狼蒙を襲う。
この騎馬隊の指揮官であるガアカよりもこの若武者の方が与しやすいと判断してのことだ。
この狼蒙を手早く片付ければ、突破できるとも見ていた。
「羌の戦士が漢人に付くことは否定せん!だが、私の前に立ったことが不運だったな!」
麻瞥の必殺の一刀が狼蒙に振るわれる。
その太刀筋はどう避けても、若武者に致命傷を与えるかに思えた。
「チィッ!」
「とった!」
狼蒙は頭上に暴風の吹き荒れるような音を聞いた。
次の瞬間、バッと真っ赤な飛沫が視界を染める。
その赤の向こうに、董卓が立っていた。
「たい……ちょう?」
「お前の獲物であったが横取りした」
「横取り?」
見れば麻瞥は向こうの茂みにまで吹き飛んで、動かなくなっていた。
狼蒙の危機に、急行した董卓が刀を振り、力任せに吹き飛ばしたのだ。
死角からの攻撃に麻瞥は己が死んだことすら気付かずに飛んでいった。
「技巧を得手とする奴には、俺は相性が悪かったやもしれん」
とだけ言って、董卓は戦闘を止めた。
敵の指揮官が圧倒的な力の差で負けたのだ。
残った兵らはあとはただの命が助かるのを祈るのみだ。
董卓は自軍に加わる意志がある者を収容し、残りは解放した。
死体を検分したガアカは「これは麻瞥殿」と報告した。
「知っているのか?ん?麻瞥とは確か」
董卓は気付いた。
「左様。この度の乱の首謀者のうちの一人でございます」
ガアカも氏族間の争いの際に、この麻瞥と共闘し、あるいは敵対した経験がある。
おそらく、どの氏族にも顔見知りはいるはずだ。
しかし、渡り鳥のようなその生き方のせいで本当に友人といえる者は少ないとガアカは以前に本人から聞いたことがあった。
「なぜ乱の大将がこのようなところに?」
岸尾のように軍を率いるでもなく、三百という隊で、そして逃げるように行軍することの意味が董卓にはわからなかった。
「おそらく、彼は武威の羌族への救援に行ったのでしょう」
「ああ、なるほど」
「おそらくはそこにいた漢の軍隊に敗れ、逃げ帰ってきた、ということではないだろうか」
とガアカが予測した。
董卓はそれを裏付ける情報があった。
「そうか。武威には段熲殿がいたな」
あの豪放磊落で強硬な御仁なら、たとえ羌族の勇士といえど遅れはとるまい。
もしあの賢しらげな若者がまだいるとするならば、こちらより静かに確実に包囲したかもしれぬ。
ただ、水も漏らさぬ包囲なら三百も生きて戻るのはおかしいので、違う策をとったかもしれない。
あるいは空気も策も読まぬ若い豪傑が一騎討ちを挑んだか。
色々と想像し、董卓は微かに笑った。
「このことを触れ回りますか?」
葉雄がそう提案してきた。
確かに大将の一人が戦死したとの報は、敵の士気を大いに挫き、勝ちの確率を上げることだろう。
「いや、それは然るべき時に使う。が中郎将様には報告しておくほうが良かろう。張済」
「おうよ」
歩兵を率いる張済であるが、その部下には文武を修めた武威張家兵がいる。
騎馬の扱いなら王方の鮮卑騎兵か、羌の騎兵の方が巧い。
だが漢人同士のやり取りや、郡内の近道の把握など張家兵の方が便利だと張済は確信しているし、董卓もそう思っている。
「張中郎将に麻瞥戦死の報、それと城攻めの開始をお願いします、という内容で伝えてくれ」
「それを触れ回るな、とも言い添えておくか?」
「ああ、頼む。まあ中郎将様なら言わずとも伝わるとは思うが」
伝令はその報を持って張奐の陣に向かった。
董卓の予想通り、張家兵の伝令を受けた張奐は面白げに口の端を上げた。
この微かな笑みは、直属の部下でもなかなか見ないものだ。
「なかなかにやる男だ」
「どういうことでしょうか?」
部下の一人が、なぜ麻瞥を討ったことを隠すのかと疑問を呈す。
「敵の士気を十として、我々の士気を五とする。この時、士気で勝るにはどうするか、という問いだ」
「は、はあ?」
「例えば、麻瞥の死を触れ回れば三下がるとする。今、ここでそれをすれば敵の士気は七。まだ勝つことはできぬ」
「?」
「また例えば、敵が籠城の構えを見せれば士気は二上がる」
「それは今まさに我が軍が行おうとしていることでは?」
敵の士気を上げてどうするのか?
「その城に罠が仕掛けてあり、簡単に侵入できることがわかれば士気は三下がる」
「通算すると一下がる、と?」
「また我々が敵の本拠地への道を封鎖しているため、士気は二下がる」
部下は段々数がわからなくなってきた。
兵の数ならなんとなくで把握できるが、士気を数値化するなど聞いたことがない。
「つまり、城に我々が侵入した時点で敵の士気は七となる。そこに麻瞥の戦死の報だ」
「士気は三下がって四になる?」
「そうだ。その時点で我々が五のままなら、我らの勝ちとなる」
「我々の勝利!?」
「という勝ち筋もある、ということだ。実際は様々な要因で士気も戦力も増減し、戦況は刻々と変化していく」
「はあ」
これは勝てる、と張奐が断言することはない。
長い付き合いの部下もそれはわかっているが、なんとも雲を掴むような話をしている、とも思った。
「古来、戦の全てを見通したものなどおらぬ。我らにできるのはそんな勝ちを積み上げていくことのみだ」
どこか透徹した張奐は、遠くを見ていた。
その視線の先には今まさに包囲が完成しようとしている昭武城があった。




