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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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八十七、麻瞥

 岸尾軍は本拠地へ戻ることができず、張掖郡の昭武城を襲撃し、そこに陣取ることとなった。

 付近で戦闘があったにしては、城内にはわずかな守備兵しかおらず奪取は容易だった。

 そのことは岸尾にとってはまだ天運が尽きていない証左に思えた。


 またこの城は、かつての師である夷分の亡くなった地である。

 亡き師の祖霊が守ってくれたのだろうと、岸尾は納得した。


「奇襲に埋伏、これは戦力の差があるゆえに我らを恐れたのだ」


 己に言い聞かせるように岸尾は分析する。


「その証拠に、我々の軍勢はそれほど減少してはおらぬ」


 戦死した兵は十人ほど、戦闘できないほどの重傷者は片手で足りるほどしかいない。

 ガアカと遭遇したせいか、脱走兵がいくらかいたようだ。

 合わせても三十やそこらしか兵は減っていない。


「存外に戦とは緩いものだ」


 驚愕と怒りを覚えたことはすでに忘却の彼方だ。


「ここで麻瞥が別軍を率いていることが最善の一手となる」


 籠城した自軍と麻瞥の軍が連携することで、この城が囲まれても内外で挟撃できる。

 包囲していると思っている方が包囲挟撃されるというのは士気が大きく下がることになるだろう。

 偶然そういう状況になったのか?

 いや、これこそが天運が我にあるゆえ!

 岸尾はその城が意図的に脆く、城壁はすぐに突破され、抜け道も多くあるということに気付かなかった。

 そのように作為を働いたのは同じ羌族の且凍氏族の者なのだが、先零氏族中心の岸尾はそんなことは知る由もなかったのだ。



 ここで岸尾が当てにしていた麻瞥だったが、その部隊は敗走中だった。


 麻瞥は羌の一氏族であるカンの出身である。

 この氏族は二十年ほど前の漢安年間に当時の護羌校尉である趙沖ちょうちゅうに抗い、降伏した。

 その後は漢人に蔑まれながらも、羌族としての誇りを失わず血脈を繋いでいたが、麻瞥はその生き方への行き詰まりを感じ、氏族を抜けた。

 その後は様々な羌の氏族を傭兵のように渡り歩き、多くの戦に参加し、戦士として名を馳せた。

 だが四年前に大病を患い、生死の境をさまよった。

 そしてその時に滇那の乱が起きた。

 麻瞥はそれに参加できずに生き残った。

 幸い、病は完治したが、己の肉体がいつ滅んでも不思議ではないことを知った。

 そのうえでこの体でできることは何かを考えはじめた。

 そんな折りに岸尾に誘われ、先零の戦士長となったのだ。


 麻瞥の戦いは羌の騎兵を使ったごくごく当たり前のものだ。

 騎兵で接近、短弓を射ち、矢の雨を降らせる。

 この矢は敵を殺すものではなく、怯ませるもの。

 空から尖ったものが降ってきたなら、誰でも避けなければと思う。

 それがそれほどの威力がなくても、当たるまではわからない。

 そうやって敵の隊列が崩れたところに集中して騎兵を突っ込ませる。

 あとは遮二無二敵を切り倒して敗走させるか、大将を討ち取れば勝ちだ。

 この当たり前のことを麻瞥は誰よりもうまくできた。

 呼吸、というのだろうか。

 戦の機微が息を吸うようにわかってしまう。

 それが彼を羌族の中で名を知らしめることに繋がっていったのだ。


 今までは。


 武威郡にて蜂起した羌族の一団を救援するため、岸尾は麻瞥の部隊を派遣した。

 相手がどれほどのものであろうと騎兵中心の麻瞥隊ならば、勝ちは拾える。

 そう思ってのことだ。

 だが、相手の背を狙っていたはずの麻瞥は逆に包囲されていた。

 本当にどの時点で囲まれたかわからなかった。

 敵の姿が見えた、と思った瞬間には前後左右に漢の旗が見えた。

 特に目立つ“段”の旗。

 護羌校尉の段熲の軍だと気付いた時には、もう手遅れだったと後に思う。


 ほぼ反射的に得意な戦法を繰り出す。

 すなわち、射って、突っこみ、切りまくる、だ。

 しかし、その一手目から対策されていた。


 短弓の矢は、漢人の鉄鎧に対してまったく無力であり、足止めにすらならなかった。

 怯むことがないので、麻瞥はその息を止められたように感じた。

 突撃する機会が無い。

 敵の陣形に穴を開けることができないので、攻撃ができない。

 そうやって戸惑っているうちに敵の包囲は狭まっていく。


「やあやあ、そこなる羌族の武者よ。どうかね、俺と一騎討ちせんかね?」


 漢側から一騎飛び出してきた騎馬武者が大声でそう言った。

 虚をつかれた麻瞥だったが、ここは好機と見てひらりとその騎馬武者の前に進み出た。


「我こそは罕氏族の麻瞥。この隊を率いておる」

「おお、漢語が巧みなのだな。俺は段煨だんわい。字は忠明ちゅうめいだ」


 段と言った。

 つまり、この軍の大将の縁者か何かだろう。


「良いのか?大将殿が呼んでいるようだぞ」


 敵陣の奥で段熲らしき人物が青筋をたてながら、段煨に戻ってこいという手振りをしていた。


「ははは。伯父御は心配性なのだ。それに貴殿は自分の心配をしたほうがいい」


 段煨は長物を取り出した。

 いわゆる戟だ。

 それを頭上でぐるぐると回す。

 その膂力を一目で見せつけるつもりのようだ。


 麻瞥は勇猛だが、愚かでないと自負していた。


「一騎討ち、か」


 麻瞥は刀を抜いた。


「得物の長さによる有利不利はそれを選んだ時にもう決まっている。文句などは言うまいね?」


 段煨の言うとおり、戟と刀では圧倒的に戟の方が有利だ。

 刀で戟の間合いを掻い潜り、攻撃をするなど命がいくらあっても足りないだろう。


 だが、麻瞥は馬の頭を段煨の方へ向けた。


「行くぞ」

「そうこなくちゃ」


 段煨は嬉しそうに手綱をとった。


 そして両者、ほぼ同時に馬を走らせた。


 段煨は相手の馬の逞しさに驚く。

 良い馬だ。

 さすがは羌族の戦士だと。

 そして、その馬の脚力から麻瞥の攻撃しうる最速の機会を予測。

 その地点より先へ届くように戟を振るう。

 相手の攻撃が始まる前に戟の刃で断ち切れれば、それで終わりだ。


 予測されていることは、麻瞥も予測していた。

 息が出来ている。


 段煨の戟が麻瞥に届く寸前。

 麻瞥は馬を急停止させ、手綱と馬の瞬発力に任せて急転回した。

 そのまま、段煨の前から走り去り配下を連れ、包囲の薄い場所を見極め突破をはかる。


 空を切った戟は地面に激突し、段煨は態勢が崩れてしまう。

 それは麻瞥を追う機会を逸したことを意味していた。


「己ッ!卑怯な!」

「こちらが忍び寄って包囲したのだ。卑怯と言いたいのは向こうの方だろうな」


 いつの間にか、こちらへ来ていた段熲が甥の頭を拳で殴り付けながらそう言った。

 鈍い音が響く。

 兜がへこむかのような衝撃に、段煨は頭をかかえた。


「痛えじゃないか、伯父御」

「馬鹿者。羌族の大将に一騎討ちを挑むなど呆れてものも言えんわ」

「いやさ。俺なら勝てると思ってな」

「それはこちらが勝てる状況を作ったからだ。己一人の力ではないと知れい」

「けどよ。張掖にいる董卓とやらは羌の総大将と一騎討ちをして勝ったのだろう?」

「あれは桁が違う怪物だ。同じ人間とは思わぬ方がいい」

「そんなあ」

「然明もずいぶん楽をしているだろうな」


 と段熲は笑う。

 伯父のそういう笑いかたを見た記憶があまり無いことに段煨は気付いた。

 少しだけ、いやかなりそういう笑いをもたらした董卓という人物のことが、段煨は気になったのだった。



 そして、段軍の包囲をなんとか突破した麻瞥だったが、満身創痍となり兵も半分以上脱落し、まさに敗走という有り様だった。


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