八十五、岸尾包囲網の算
「さて、どう攻める?」
対先零における指揮官の張奐は、董卓と尹端を前に聞いた。
先に口を開いたのは尹端だ。
彼は張奐と共に戦うという経験では、董卓よりも長い。
後に楊州会稽郡の太守になる程度には才覚がある人間だ。
その尹端はこう言った。
「まずは張中郎将の隊で羌族に当たります」
「ほう」
「精鋭の中郎将隊と当たれば羌族などは蹴散らされることは必定。そこを私の隊で追撃し、敵の大将を討ち取ります」
「俺の隊は何をすれば良いのかな?」
意図的に、であろう董卓隊を外した攻め方に董卓は不審を見せずに問う。
「董卓隊は街道の安全を確保していただきたい。西域との往来の保証は我々漢帝国の軍人の大切な務めです」
「それは郡太守の手勢に任せておけばよいだろう?わざわざ軍から兵を割くことではない」
若干の苛立ちを込めて董卓は意見を述べる。
「ほう?ならば董司馬殿には別の案がある、と?」
尹端はケンカを売っているのだろうか。
「張掖は豊かな土地だ。不用意に攻めれば要らぬ略奪を招く」
「ふむ……続けなさい」
張奐が董卓を促す。
「ならば敵が対応できぬ速さで攻め、こちらの用意した狩場へ追い込み。全軍で包囲、すりつぶす」
「待て、それこそ羌族は騎馬に長けた民族だ。それが対応できぬ速さを出せるものか」
「出せる」
「何を根拠に」
「俺の隊は三分の一以上が騎兵だ。速さでは羌族にも劣らぬ」
「劣らぬ、だけでは敵の予想以上にはならぬ」
董卓は尹端の反論にニヤリと笑う。
「四年前にも羌族の侵略があった。俺の隊はその時、隴西太守軍、あるいは遊撃隊として従軍している。この張掖郡はその時も戦場であり、俺の隊は実戦も経験している。さらに言えば戦の最中と戦後しばらくここで部隊の調練もしていた。土地勘は信用してもらいたい」
「む、むう。い、いや、貴殿の騎兵はそのほとんどが羌族の騎兵であろう?戦の最中に敵に寝返る危険性がある。そうなっては勝つことはおろか、戦いすら覚束ない」
「その懸念は分からぬでもない。確かに俺の隊の騎兵は羌人だ。しかし、十年以上も隊におり、その間羌族との戦いも幾度かあったがそのようなことはなかった」
「過去に無くとも、それが今から起きぬという保証はない」
「……これは確かな情報だが」
董卓が口を開くと、張奐がこちらをさきほどより凝視した。
「確かな情報?」
「今回の敵、先零氏族は先代の豪帥が亡くなった後、岸尾という人物が族長となった」
「がんび?」
「その岸尾は先代の一族、それに従うものを氏族より追放した」
「それは本当かね?」
張奐が思わず、と言った様子で口を挟んだ。
董卓は頷き、話を続ける。
「ええ。その追放された豪帥の息子、及び先代の戦士長が俺の隊におります」
「……張中郎将!」
尹端がほとんど泣き言のように上司を呼ぶ。
「どうしたのかね、尹司馬」
「これ以上、私には無理です」
「まだ二、三確認しなくてはならないことがあるでしょう?」
「そんなのは些細なことです!私はもう董司馬の圧に心胆が潰される思いです!」
そのおかしな態度と、張奐の呆れたような身振りから董卓は感付いた。
「尹司馬は、芝居をしていた、と?」
尹端のあまりにも無礼な態度は、どうやらこちらを試したものであるようだ。
そしてそれは張奐の指示、らしかった。
「尹司馬を攻めぬように頼みます。彼は実直な人間です」
「それはわかりますが」
「君が、若くして功を挙げた者である以上、その背景にはなにがしかの力があるはずです。それが袁家の力なのか、異民族の力なのか、あるいは本人の資質か。それをハッキリさせておきたかったのです」
「それこそ戦場で寝返らないように、ですか」
「はい。寝返りが起こると算が乱れます。寝返りをも計に入れた算は私でも数えることはできません」
「俺はどうでしょうか」
「あなたは己の力を中心に持つ人のようです。そのため、漢帝国が大きな内は寝返りはないと断言できます」
漢帝国が大きな内は、か。
「そうですか」
「あなたの攻めにいくつか算を加えましょう。基本的な計は速さで追い、狩場に誘い、皆で討つ、これで行きます」
張奐は地図を示した。
いくつかの城の位置が赤い点で記されている。
「このどこに敵を誘い出すのですか?」
尹端が聞いた。
「董司馬、どこかいい場所はありますか」
董卓はすぐに一点を指す。
「ここです。昭武城」
「少し遠いですが、何かあるのですか?」
「ここは一見堅固な城に見えますが、以前羌族に襲われた時に城壁が崩されています」
「それは……統治上問題はありますが、今の状況では一番の場所になりえますね」
昭武城は四年前に涼州諸郡軍が駐屯していた城である。
この城を中心に張掖郡、酒泉郡の奪還を果たしたのだ。
しかし、この城には重大な欠陥があった。
城壁の一部が意図的に脆くなっており、そこから羌族に侵入されてしまったのだ。
夜襲でもあった侵入者との戦いはなんとかこちらの勝利に終わった。
後に董卓はこの城を点検し、城壁の問題を発見していたが意図的に報告しなかった。
何かに使える、と思っていたのもあるし、下手な報告をしてその修復をさせられるのも嫌だったのだ。
まあ何かに使える、と言ってもまさかここに敵を誘きだし一網打尽にする策のためでは無かったが。
董卓の案を張奐がまとめた策はこうだ。
張掖郡を略奪せんとしている岸尾の軍を包囲するように張奐と尹端が進軍する。
二隊の埋伏が済んだら董卓隊が奇襲を仕掛ける。
敵の統率が取れていたらそのまま当たり、張奐と尹端が包囲しすりつぶすように倒す。
この場合はこちらもある程度の被害が出るだろう。
なのである程度、強攻したら包囲の一点をあける。
こうすれば、逃げ道を認識した敵は士気を喪失してそこから軍の瓦解が始まるだろう。
そこから誘導されて、昭武城に逃げこみ、そして城の罠によって討ち取られてしまうだろう。
また、董卓隊の一撃で敵が屈服してしまったら、適度に包囲してるぞと見せつけつつ、やはり昭武城へ誘い込み一網打尽だ。
細かい算段を経て、誘引の方法を吟味し、ついに董卓たちは岸尾軍に攻撃を仕掛けることとなった。
張奐と尹端はそれぞれの隊を率いて出発していった。
規定の位置に潜んだら合図をよこしてくるだろう。
その時が来たら董卓隊が一気呵成に進み、岸尾と対峙することになる。
「兵の数は四年前より少ない。しかしその質は比較にならぬ」
と董卓は遠くをみながら言った。
進んで行った張奐たちの姿も、先にいるであろう岸尾の影も見えない。
「例えばお前が岸尾を倒し、すべての羌族を率いることも可能だ」
隣にやってきたガアカが言った。
「俺が?」
「お前は羌の王帥の資格がある」
「それは断ったはずだ」
「お前がどう思おうと、資格は資格として存在する」
「俺の意思に関わらず、か?」
「うむ。羌族は強い指導者を求めている。もしかしたら狼凱様はそうなりたかったかもしれん。しかし今残っているのはお前だけだ」
「俺は俺のやりたいことをするだけだ。そのようなものを背負う気はない」
「気にするな。わしも言ってみただけだ」
その時。
遠くから鳥の鳴き声がした。
それはこのあたりにはいない鳥の声、だそうだ。
「合図だ」
張奐か、尹端か。
どっちにしろ準備はできた。
董卓は出撃を命じた。




