八十一、夫婦の旅すること
秦嶺山脈で董卓と鮑犖は、かつてここで命を落とした鮑家の従者たちの墓に手を合わせた。
事の顛末は鮑家には伝えられていて、あの時急ごしらえで作ったものより立派な墓が建てられていた。
その後、山脈を抜け、陳倉城で休み、郿にある鮑家に立ち寄ることになった。
「このたびは畏れ多くも羽林郎に選出されたとのこと。まことおめでたい限りでございます」
義父である鮑班が頭を下げた。
「義父上、頭を上げてくだされ。この卓の義父上に対する孝がならぬではありませんか」
「そうは言っても、州の従事、司徒府の曹掾、そして都の羽林郎の董仲潁殿に礼を尽くさねば、この鮑班の名がすたる」
そのどれもが秩三百石の官職に相当する役目、この時点で董卓は県令並の扱いである。
もちろん、郡太守や州刺史よりは低いが次への段階として悪くない。
それが鮑班の態度に現れている。
さらに言えば、娘の犖が言っていたようなことを鮑班もまた思っていることは確かだ。
涼州は辺境、胡族が跋扈し、戦の絶えない荒れ地。
そこに住む者はまた胡人のように野蛮で、粗暴だと。
全員がそうだ、とは思ってはいないが董卓という青年がそうではないとは限らない。
問題はあれほど嫌だと言っていた犖が、断りに旅に出たと思ったらやっぱり嫁ぐと言ってきたことだ。
そこで班も興味が湧いた。
怖さ半分、好奇心半分といった気分で、娘夫婦がやってくるのを待っていたのだった。
やってきた董卓は、大きかった。
肥えているわけではなく、筋肉が詰まっているような印象を受けた。
背も高いので、まるで自分に倍する大男が現れたような気持ちを鮑班は抱いたのだった。
その印象とは裏腹に、物腰に粗野なところは無かった。
優雅とは言えないが、質実剛健という言葉が当てはまる。
「失礼する」
と部屋に入ってきた若者がいた。
ほとんど初対面の二人では話を繋げない。
犖も久しぶりの実家ということで、母親に会いに行っていた。
そのため、沈黙しかかっていたところだった。
「おう鴻よ」
「義兄上……の鮑伯長殿ですな」
鮑班の長子であり、犖にとって兄に当たる鮑鴻だ。
引き締まった体躯の若者で、董卓を見る目は鋭い。
「仲潁殿。少し外で話をせぬか」
と、鮑鴻は董卓を連れ出した。
立ってみれば、董卓も鮑鴻も体格は似たようなもので、まるで本当の兄弟のようにも見える。
話すネタが無くなりかけていた鮑班は、少しホッとしながらもそう思った。
鮑家の外は緩やかな風が吹いている。
それは涼州の乾いた風とは違う。
犖はこのような土地で育ったのだと董卓は思った。
「犖は……その、ちゃんとやっておりますか」
静かに義兄は言う。
「ええ。私などよりよっぽど父母と仲良くしてくれております」
「そうですか」
「やはり心配でしたか」
「妹や父は涼州のことを夷狄の地と思っておりました。しかし、私は違うと思っていました」
「それはなぜです?」
秦嶺山脈の壁はやはり大きくその内と外では考えや習俗は違うものなのだと董卓は知っていた。
あまりにも広いのだ、という実感があった。
漢帝国はあまりに広く、その領土の外には夷狄蛮戎がひしめいている。
だから、犖や鮑班が涼州を自分たちとまったく違う人種だと思っても不思議ではない。
むしろ、鮑鴻の考えの方が珍しいのではないか。
「漢帝国は途中、断たれながらも四百年という歳月を、この中華の地の上に成り立っている国です。その黎明期ならまだしも百年も同じ法のもとにあればそれは同じものではなかろうか、と私は思うのです」
「伯長殿は法家主義でいらっしゃるか」
「ふふふ。ここは元より法家の権化たる秦帝国の跡地。中華のどの地よりも法家の勢いが強いところですぞ」
秦帝国の国都である咸陽は今の長安の近くにあった。
それは劉甲らと共に旅した時に教えてもらった。
鮑家のある郿県もまたかつての秦帝国の一部である。
そしてその秦帝国は法を重視し、法に統治される国家であった。
漢帝国はその仕組み、制度をある程度受け継いでいるがその根本にあるのは儒である。
孔子の唱えた儒教は、皇帝を頂点とした高い地位にいる者を敬う“忠”、親を敬う“孝”が重視されている。
この儒教の考え方は上に従うという構造になっていることで、反乱が起こりにくいという長所があるために漢帝国で採用された。
もちろん、この郿県でも儒教は大切にされているが法の考えも大きく残っている。
だからどうした、ということはない。
鮑鴻はそういう下地があるゆえに、同じ法、同じ考えを持っているなら同じ民族だろう、という結論を出したということだ。
「同じ法のもとにあっても、同じとは限りません」
「仲潁殿はそう思うか?」
「やはり土地というのは人格の形成に大きく関わってくるでしょう。風も、水も、土も違うのです。始まりが同じでもそこに住まう人は変わっていく、と俺は思う」
「そうですか……私の狭い知見ではやはりわからないこともえるのですな」
「義弟が野卑で、粗暴ではいけませんか?」
「そういう類いの人物が縁戚にいるのは、いただけないですな」
「ならば、俺は少しおとなしくしておいた方がよいな」
「そうしてもらいたい」
思ったより、この義兄とは仲良くできそうだ、と董卓は感じた。
「仲潁様、兄上!そろそろご飯にしますよ。屋敷に入ってくださいな!」
と犖が呼びに来るまで、義兄弟は話を続けたのだった。
その日は鮑家に泊まり、ゆっくり休んで董卓と犖は出発した。
次に向かうのは長安である。
そこにある劉甲の店に宿を斡旋してもらうつもりだ。
長安を出発し、二日たったあたりで董卓は足を止めた。
「仲潁様?」
「ここは函谷関だ」
「函谷関……名前だけは聞いたことがあります」
「かつて秦帝国が中華を統一する前に、秦国の国境であった城塞だ」
「でも、私の記憶ではもっと遠くにあったと思うんですけど」
「ああ。ここは秦の函谷関だからな」
「秦の?」
「そうだ。想像してみよ。秦一国を倒すために五つの国の合従軍が結成され、ここに押し寄せた。しかし一度としてこの函谷関は落とされなかった」
「男の方は、そういう話が好きなのですね」
董卓としては古の戦いの想像に身を震わせるつもりだったのだが、呆れたような犖になんだか萎えてしまった。
「……で、ここは秦の函谷関だが、武帝の時代にもっと洛陽の近くに新たな函谷関が造られたんだ」
「それが、私の知ってる方の函谷関なんですね」
「うむ。その函谷関から西の一帯を“関中”というのだ」
「関中の“関”は函谷関の“関”なんですね」
「そうだ」
「勉強になりました!」
結局、仲良く旅を再開した二人はそれから二日かけて“漢の”函谷関を通過した。
そこから目的地である洛陽まで1日ほどの道のりである。
そして洛陽が近づくにつれ、犖の気分は徐々に沈んでいった。
董卓にもそれはわかった。
「なんだか……どよーんってしてますね」
「大勢が投獄されたようだが、まだ影響が残っているのか……」
「どうします?」
「ちと治安が悪いようだ。急ぐぞ」
二人は大通りを急いで歩き、劉甲の店へ向かった。
「すまぬ。劉甲殿か白然殿はいらっしゃるか?」
店員に話をし、あわててやってきた番頭の白然の顔を見て、董卓はようやく息をつけたのだった。




