八十、党錮の禁
董卓と鮑犖の婚姻はつつがなく済んだ。
縁談話が持ち上がった時のぐちゃぐちゃな感じが嘘のように。
どちらかというと都の人間ではなく、胡服の似合う側の人間である鮑犖はその馬の扱い方もあいまってすぐに董卓隊の面々と仲良くなった。
一年がたつと犖も涼州の気候に慣れ、そして夫婦仲も睦まじかった。
さて、涼州がこのように平和だった延熹9年(166年)、洛陽は揺れた。
外戚の梁冀が排斥され、宮中では宦官が権力を握るようになっていたが、それに反する士大夫たちがいた。
外戚の専横はそれはひどいものだったが、宦官たちもそれに劣らぬ腐敗ぶりを見せた。
彼らは自らの権力を追求し、それにともなって汚職が横行していき、朝廷はガタガタになっていたのだ。
反する士大夫たちは自らを清流派と呼び、宦官に与し益を得ている者たちを濁流派と呼んだ。
清流派の拠点となったのは洛陽にある高等教育機関である太学である。
儒教を正当学問として教える太学が清流派の中心地となるのには大きな理由がある。
儒教では宦官を一人前の人間として認めず、士大夫から見て劣った存在として扱っていた。
そのため、劣った存在である宦官が権力を握り、益を得ている状況に忸怩とした思いを抱く者が太学には多くいた。
いや、そのような考えを太学自らが教えていた。
清流派がそこに集ったのではなく、そこに生まれたのだ。
そして、司隷校尉である李膺と太学の学生の郭泰や賈彪は朝廷に宦官、中常侍の専横とその罪状を訴えた。
しかし、宦官たちは逆に李膺らを朝廷を誹謗したとし、清流派の面々は捕縛された。
他の豪族たちの嘆願により、彼らは死罪を免れたものの終身禁固の刑に処されたという。
洛陽や長安のある司隷を鎮護する司隷校尉、国の学問の機関である太学の学生らが禁固刑を受けたことで人々は宦官の権力の高さを知り、恐れることになった。
そして、難を逃れた清流派の面々はさらに反感を強めることになった。
この朝廷の腐敗を象徴する事件を(第一次)党錮の禁という。
袁隗もまた清流派の人物ではあったが、事件の中心にはおらず難を逃れていた。
しかし、息のかかった者が何人も捕縛されていた。
その者らの死罪免除の嘆願に関わり、それが良い方向に一段落した袁隗は腹心の蔣義渠と話し合っていた。
「ひどいものだったな」
「ええ。かの大将軍に負けず劣らず」
「まったくだ。単超殿が亡くなって落ち着いたと思ったが、候覧をはじめ権力の濫用の留まることころがない」
袁隗の宦官批判は長く続き、蔣義渠はうんうんと頷きながら聞いていた。
袁家の屋敷の周囲は蔣義渠の手下によって秘密裏に防御されており、万が一にも宦官の耳に袁隗の文句が入ることはない。
ないが、相当危ない発言だらけである、と蔣義渠はひやひやしながら聞いていた。
やがて袁隗の話は董卓の話題になった。
「それにしても仲潁は良い時期に都を離れたものよ」
「それは確かに」
董卓が都を離れたあたりから太学への人の出入りが多くなっていたし、司隷校尉の動きも怪しかった。
よく気をつけていれば清流派が何かをしようとしているのがわかったはずだ。
まあ、縁談の話は本当のようだったので董卓が都を離れた時期は偶然のようだが。
あの野心を持つ性格なら、もしかしたら宦官側について弾圧に回る可能性もあった。
そうなったら董卓とは敵対するしかない。
あんな袁隗の目でも見極められない者とは対峙したくないのが、袁隗の本音だった。
それは蔣義渠も同意するところである。
党錮の禁の影響は数年続き、皇帝の近衛軍の補充の計画も大きく遅れることになった。
また連年の出兵により府庫の財は空となり、百官の俸禄や王候の租税から借銭するような状況に陥っていた。
漢帝国はその巨大な版図を持ちながら、財政破綻寸前に追い込まれていたのだ。
しかし、皇帝やその周囲にいる宦官は汚職や専横によって得た金銭で贅沢を極めているというひどく歪んだ状態になっている。
その中で権勢を伸ばしつつあるのが中常侍の候覧である。
彼は困憊する帝国に、多額の寄付をし財政を立て直した。
この功により、彼は関内候の爵を授けられた。
これは宦官でも爵位を得られるということと、個人の財産が帝国の財産を越えつつあるということを示している。
いよいよ、が近づいている、ということだ。
ともあれ、候覧の寄付により息を吹き返した帝国は次代の皇帝近衛軍の編成に取りかかった。
各地の反乱が増えるにつれ、それに対応する地方の軍は経験を積み強化されている。
例えば涼州で言えば、涼州三明と呼ばれる英傑がいる。
段熲、皇甫規、張奐の三名はそれぞれ私兵を保持しており、羌族の反乱などに即応し鎮圧している。
そのため、相対的に中央軍の実力は下がっている。
なので将来の中央軍の指揮官になる近衛軍を強化することで、中央軍も強化しようとしているのだ。
年号が代わり永康元年(167-168)。
六郡から才ある者を集め羽林郎に任命することになった。
この六郡とは天水(漢陽)、隴西、安定、北地、上郡、西河のことであり、涼州と并州にまたがる地域だ。
伝統的にこの六郡は異民族と戦うことが多く、そこに住む者たちは精鋭であると言われている。
そのためにこの六郡から将校候補を募ることは漢の時代を通じてよく行われた。
またこの羽林郎は皇帝近衛の羽林騎の士卒であり、秩三百石。
羽林中郎将に率いられ、皇帝の行幸や狩猟の護衛をするのが役目だ。
羽林郎は128名だが、定まった数は無いと言う。
旗下の羽林騎は定員1800人。
それが左右に別れ、それぞれ900人で構成される。
そして隴西郡からは董卓が羽林郎に選出された。
こうして董卓は再び、洛陽に赴くことになったのだ。
「私、洛陽に行ったことないんですよね」
旅支度を整えた犖が言った。
「家で待っていても良いのだぞ」
董卓がにやりとしながら妻に言う。
「嫌ですよ。洛陽、一度くらい見てみたいじゃないですか」
「今、大変らしいぞ」
「それは頼りになる夫君がおりますから」
「まあ、な」
「それに洛陽には美女が多いらしいですから」
「それが俺に何か関係があるのか?」
「仲潁様は女の方を惹き付けますから」
董卓には自覚はないのだが。
出発すると旅人の中に、普通の民とは違った目付きの若者がちらほらと見える。
「お仲間さんだな」
「仲潁様?」
笑みを深くする董卓に犖は不思議そうな顔をした。
「今回、六郡で羽林郎が選ばれた。涼州でも漢陽、安定、北地からそれぞれ選ばれているはずだ。何人いるかは知らんが同じく洛陽に向かうなら同じ街道を通るだろう」
「楽しそうですね」
「そう見えるか?」
「そりゃあ、仲潁様のことを一番知っているのは私ですから」
「うむ。まあな」
犖は決して話が上手いとかいう訳ではないが、犖の雰囲気が董卓の心をほぐして思わぬ話までしてしまうのだった。
そのせいで、義姉への反抗心とか、羌族の地へ出た理由とかまで犖には把握されていた。
「どんな方がそれっぽいのか教えてくださいね」
「そうだな。まずはあの騎馬の男だ」
「あー、あの明るい髪色の?」
「そうだ。異様に目付きが鋭いだろう?あれは騎射を得意としている」
「なるほどー!」
騎兵隊の将校に選ばれ、都に向かうとしたらあまりにも呑気そうな旅をしている二人だった。




