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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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七十六、商人と離れたものの今度は名家に世話になる今日このごろ

「縁談を断る?」


 旅は再開し、鮑犖が加わった一行は秦嶺山脈を越えた。

 劉甲たちは漢陽に用があるのでそこで董卓と別れることになるそうだ。

 劉甲たちの目的地である漢陽郡冀県まではまだかかる。


 そんな旅路で、鮑犖の旅の目的を聞くことになったのだが、その答えが“気に入らない縁談を断る”というものだった。


 そういうことは普通は親がやることだということは知っています、と鮑犖は言った。

 相手のことを知らぬままに結婚するのは普通のことだ。

 なんならその当日まで自分が結婚することを知らない娘だっている。

 慣習ふつうだってわかっているけれど、鮑犖はそんな慣習ありきたりに抗いたいと思った。

 自分が一生を添い遂げる相手なら、ちゃんと見極めたいと思ったのだ。


「シーエイ様のような方なら良いのですけど」


 とすっかり懐いた鮑犖はちらちらと董卓を見ながら言う。


 董卓もまた似たような問題を抱えていることは説明してある。

 父親である董雅が報せてきた縁談を、董卓は受けようと決めていた。

 鮑犖のように、慣習に抗うなどとは考えなかった。

 その妻となる者も特に気にしていない。

 邪魔さえしないのなら、何も問題ない。


 山中の騒動が嘘のように一行は漢陽郡冀県に到着した。


 三輔、関中とは空気が違う。

 巨大な山脈によってある程度湿度が保たれた長安周辺とは違い、涼州は乾いていた。

 抜けるような青空なのに、どこか砂混じりのような気がする。

 それは遥か漢の果ての敦煌、あるいはその先にあるという西域の国々と砂漠の風なのだろうか。

 ここでやっていけるのか、という微かな不安とここならもしかして今までより自由なのかもしれない、という期待が犖の中に入り混じっている。


「我々はここからさらに西、張掖のあたりへ向かいます」

「世話になりました」


 劉甲一行は、復興しつつある張掖郡、酒泉郡へ向かう。

 ここで別れるのだ。


「では、またお会いする日まで」

「劉殿もお元気で」


 簡単な挨拶をして、二人は別れた。

 先へ進む劉甲らを見送って、犖と“シーエイ”も歩き出す。


「すっかりお世話になったのに、何もお返しできませんでした」

「いや、あの人は商人だ。物をこちらからあちらへ運ぶだけで益を生み出すのが生業だ。ましてや人と人との縁がどれだけの利を生むか」

「私との縁ですか?私にはそれほど価値があるとは思いませんけど」

「確かに犖殿は傾城の美女でもなければ武人でもない。しかし」

「それって私のことを貶してます?」

「い、いや。言葉のあやだ……しかし、鮑家はどうだろうか」

鮑家じっかですか?」

「それなりに家格があり、将来有望な跡継ぎがいる。それだけで良い取引相手になる」

「うちは貧乏ですよ?」

「そこはそれ、先行投資という奴だ」


 董卓が私兵を持つとなった時に金銭的にも物資的にも支えになったのが劉甲だ。

 三百の兵を十年食わせ続けるというのは並大抵のことではない。

 いくら、それが利益として今返って来たとしても、だ。

 いわんや、貧すれど潰れたわけでない鮑家など大きな商売の好機だと劉甲は思っただろう。


「では、恩には思えどへりくだることはない、と?」

「そういう心持ちでいると良い」

「わかりました……ところで、今夜はどうしますか?劉殿の押さえていた宿は無いのでしょう?」


 鮑犖と出会った時、緊急で借りた宿の他はみな劉甲が旅の行程に合わせて押さえていた。

 待たされることなく食事もでき、寝床も用意されているという快適な旅であった。


「いや、当てはある」


 と董卓シーエイは鮑犖を連れて歩き出した。

 見知った場所のように街を歩く。

 鮑犖はそれについていくしかない。


 到着したのは、立派という言葉すら形容するのに不足するほど立派な建物だった。

 長安ですらこれほどの屋敷は少ないだろう。

 少なくとも犖の経験の中では無い。


 犖は足がすくんで動かなくなった。

 なのに、シーエイは門を無造作に叩く。


「え?え?ここシーエイ様の家ですか?」

「いや、違う」

「え?え?何か事前に約束を?」

「いや、約束は無い」

「え?え?え?え?」


「何者か?」


 屋敷の門番が誰何してくる。


 こういう大きな屋敷に住んでいるのはいわゆる名家とか名士とか名族と呼ばれる人々だ。

 鮑家も名家の端くれだが、そんなのは比較にならないくらいの豪勢さだ。

 そんな名家は私兵や私的な衛兵を雇っている。

 この門番の存在だけで、格の違いを理解できるのだ。


「とう……いや、シーエイが来たとお伝え願う」

「シーエイ様!?」


 門番はばっと門を開けた。

 え?門番の意味!?


「ん?見覚えがあるな」

「はい!先年の戦いで旦様の元で従軍いたしました!」

「そうか。世話になったな」

「いえ!光栄であります」

「では当主殿か、姜旦殿に伝えてくれぬか」

「は!すぐに!どうぞ中の応接間でお待ち下さい」


 と犖の素性すら聞かれずに、二人は屋敷の応接間に通された。


「……!?」


 外側に比例するように屋敷の応接間も予想以上の豪勢さだった。

 犖も用意された椅子に座っているのも申し訳ないような気分になる。

 深く座ればふかふかしているのはわかるのだが。


「どうした?緊張しているのか?」


 と董卓シーエイが聞いてくる。

 そちらを見ると彼はもうゆったりとくつろいでいる。

 なんでまるで自室でもあるようにゆっくりできるのだろう?

 度胸か?無遠慮?


「シーエイ様は緊張しないのですか?」

「ん?するぞ」

「本当ですか?」

「本当だ。敵がこちらの倍はいて、高所を取られ、夜襲され、城の中に敵が入り込んでいた時に勝てと言われた時は」

「それは普通絶体絶命というんでは?」

「まあ勝てて良かった」

「勝ったんかい!?」


「ほっほっほ、なかなか元気なお嬢さんじゃのう」


 犖の声が聞こえていたらしく、応接間に入ってきた老人は楽しげに笑う。


「これは姜常様、お元気でしたか」

「貴殿の活躍を耳にする度に寝てはいられぬ、という心持ちになりもうしてな。こうして矍鑠としておりまする」

「そうでしたか」


 姜?姜家って天水四姓の?漢陽郡で四強の一角を占める名家中の名家じゃないか?

 そしておそらく、この姜常という老人はその当主なのだろう。

 当主?姜家の?

 と犖は頭がぐるぐるしてきた。

 その当主と対等に話をしているシーエイは本当に何者なんだろう。


「して、貴殿は洛陽にて司徒曹掾の職についていたはず。ここで何を?」

「ははは、実は父より縁談の話が来ておりまして」

「ははあ、ついに羌族の英傑も身を固めるつもりで?」

「まあ、そんなところで」

「となると、隣のお嬢さんが奥方様で?」

「それが……」


 縁談のために帰る男が、その相手と違う娘と行動している、というのはなかなか理解しがたいことだろう。

 しかし、一瞬の混乱のあと姜常は、董卓という人物は常識で量ることはできないと思い起こした。


「……わかりもうした。漢陽にいる間、ここを拠点としたいということですな?」

「いや、一夜の宿を頼みたく」

「それではこの姜常の気持ちが収まりませぬ。それに旦が兵を連れて調練に出ております。明日には戻りますゆえ、どうぞゆるりとお過ごしくだされ」

「そこまで言われては……と、犖殿は大丈夫か?」


 犖は頷くしかない。

 そもそもシーエイと離れては行くも帰るもままならぬ身だ。

 縁談の相手先に行くのも、死んだ者たちへの意地でしかない。

 それでも予想以上のことが次々におきて、逆に鮑犖は落ち着いてきたのだった。

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