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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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七十四、西潁推参

 縁談を断ろうと旅に出た鮑犖ほうらくは郿県から一日ほど歩いた陳倉ちんそう城へたどり着いていた。

 故郷から東の長安には何度か行ったことがあり、その賑わいや華やかさに憧れてもいた。

 だが、西側にある陳倉には初めて訪れた。

 この陳倉は長安を中心とした三輔地方、あるいは関中と呼ばれる地域の西の防壁である。

 正確には漢陽へ向かう山中に隴関ろうかんという関所があるが、兵がある程度駐屯している城という点ではこの陳倉城が最後の防壁だ。


 もし、涼州が異民族の手に落ちた時、秦嶺山脈を突破してきた賊を止めるのが陳倉であり、そして犖の故郷である郿だ。


 そういうわけで陳倉は街というよりは軍事基地の側面が強く、住人も軍の関係者が多い。


「私もこの城に勤めていたことがあります」


 と護衛の一人である青帽せいぼうが言った。

 護衛二人のうち年かさの方である。

 鮑家に仕える前は軍人だったようなので、そのころの話なのだろう。

 ちなみにもう一人の護衛は三十過ぎの剣士で名は魚鱗ぎょりん

 代々、鮑家に仕えている魚一族の一人で顔面に三筋の傷痕が残っている。

 これは熊だか虎だかと戦った時にその爪で裂かれた跡だという。

 物静かな男であり、自らそれを吹聴するような性格ではない。

 そのため、その真偽のほどはわからない。

 また、世話係としてついてきているのは茉麻ふうまという犖より五つほど上の女性だ。

 元々、鮑家で侍女をしており、犖にとっては姉のような存在である。

 細身で、優しげな顔立ちは犖に安心感を与えてくれる。


 さて陳倉の宿に併設されている酒場で取る食事というものは、お転婆な犖にとっても新鮮なもので、内心わくわくしながら彼女は食事をしていた。


「そうなのか?帽爺ぼうじいは将軍だったのか?」

「はっは。ご冗談を将軍など一握りしかなれませぬ。その下の中郎将ちゅうろうじょう、そのさらに下の校尉などでもよほどの実力がなければ、あるいは家柄が無ければなれませぬ」

「はあ、そうなのか」

「それで言えば鴻様は大器だと思いますな。幸い、鮑家は良い家柄。血筋と才覚が揃っております」

「お兄様はやはり凄いのだな」

「ゆえに今回のことは少し残念ではあります」

「残念?私の婚姻のことか」


 兄の才覚と犖の婚姻と何が関係するのだろう、と断る前提ながら興味を覚えて彼女は聞いてみた。


「そうですな。ひとかどの人物の者が頼りにするのはまず家族でしょう。続いて家に仕える従者などですな」

「家族かー。けれど鮑家に男子はお兄様一人だけなのよね」

「確かに犖様が男子なればそういった役割もあったでしょう。しかし、もし犖様が結婚されればそのお相手は、いわば家族でしょう?そういった縁で鴻様に仕えることもありましょう」

「なるほど。しかし、もしもその相手と私の仲が悪ければお兄様に仕えることは難しいのでは?」

「そこは犖様がどのようにお相手と接するか、ですな」

「うーむ」


 いつの間にか、縁談を進めた場合の思考に犖は誘導されていた。

 この話術は青帽の年の功というものだが、彼自身鮑家に仕える者として主家の発展を願ってのことでもある。

 良い結婚は、お互いの家を発展させていく。

 家と家の繋がりがこの時代の結婚観である。

 個人の幸せというものはそこには無いが、それでも青帽は犖の幸せも祈っている。

 犖が言うように長安の青年文官とやらと結婚したとしても、都の暮らしはおそらく彼女には合わないだろう、と青帽は確信している。

 胡服を着て馬を乗り回すような彼女に堅苦しい生活はできないと鮑家の誰もが思っている。

 ならば逆に涼州武者の出世株に嫁いだほうが彼女のためになる、楽しい暮らしができるのではないだろうか。


「むう。ちょっと待って。私は断る話をしに行くのだから、この仮定は無意味だわ」

「意味が無いかどうかはまだわかりませぬぞ」


 とは言いつつも、青帽は犖が本当に望むのなら縁談を断っても良いとも思う。

 結局は彼女が決めることなのだ。


「さあ、犖様。殿方との話はこれくらいにしまして。そろそろ就寝の時間でございますよ」


 話の切れ目を見計らって、芙麻が口を開いた。

 この侍女がそういう風に断言したときは、物事は覆らないことを犖はよく知っていた。

 もう寝るしかないのである。


 そしてこれが平和な最後の夜だった。



 血の臭いは嗅いだことはあった。

 犖も年頃の娘である。

 月のものが重い時などは自分の中から、血の臭いを感じることもあった。

 だが、それが他人の、いや生まれた時から側にいた人たちのものである時、犖は恐怖しか感じなかった。


「走りなされ!爺がついてますゆえ!」


 陳倉城を出発し、秦嶺山脈の中の街道を進んでいた時、一行は襲われた。

 五、六人ほどの野盗である。

 それも漢人ではない。

 髭が顔面を覆うような半裸の男たちは、革鎧に刀を持ち襲ってきた。

 そのどこが口かわからないほどの髭の中から聞こえた声に、犖は聞き覚えがなかった。

 何を言っているかわからなかった。


 魚鱗が「羌族か!?」と言いながら一太刀で切り殺され、芙麻が悲鳴をあげて煩いとばかりに首を落とされた。

 そこで青帽が動いた。

 硬直していた犖の手を引き、走れと言った。


 街道を外れ、森へ入る。

 いかな羌の賊とて森の中では走る速さも落ちるだろう、という青帽の予測は当たっていた。

 だが、もつれる犖の足が文字通り足を引っ張っていた。


「犖様、護衛の任途中で放ること申し訳ございません」

「爺!?」


 青帽は犖を一人で走らせ、その場に立ち止まった。


「陳倉百人将“列刀”青帽叔帯、わしを抜けるものなら抜いてみよ!」


 裂帛の気合いを発して、青帽は賊に立ち向かった。

 その一太刀が賊を一人斬り倒す。


 だが多勢に無勢、残っていた賊の刃が次々に青帽にめり込んでいく。


 三人目の刃が心の臓まで届き、青帽は絶命した。


 残された犖はもう足が動かなかった。



 賊たちは先年の滇那軍の残党である。

 張掖居延属国での戦いで逃げ出し、しかし投降した者らには合流せず、この秦嶺山脈までやってきていた。

 そこで野盗と化し、旅人を襲っていた。

 男二人に女二人の鮑犖一行は彼らにとって美味うまそうな餌に見えた。

 男らは腕が立ちそうだが奇襲で一人倒してしまえば問題はない。

 女はなぶりものにする。

 食べるものにも、女にも飢えていた彼らはなんの躊躇もなく襲いかかったのだった。


 犖にはそんな事情は関係なかった。

 親しかった者が殺され、そして自分もいずれそうなる。

 縁談がどうとか関係なく、犖は死ぬ。

 けれど諦めたくなかった。

 まだやりたいことがある。

 美味しいものを食べたい。

 涼州の景色が見たい。

 兄や両親に会いたい。

 生きたい。


 だから叫んだ。


「助けて!」


 答えは期待していなかった。

 奇跡は起きない。

 死ぬ運命は覆らない。


「助ける!」


 だが彼は運命に屈することはない。


 犖に迫っていた賊が一人、首を落とされてぐらりと倒れる。

 血しぶきの中から現れたのは、青年だった。

 その姿が揺らいで、次の瞬間賊の一人が膝から崩れ落ち、そのまま動かなくなった。


 生き残った賊がはっと何かに気付いた。


『シーエイ!?』


 その名前らしき単語だけは犖は理解できた。


「そうだ。俺がシーエイだ」


 賊が全員倒れるまでそれほど時間はかからなかった。

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