七十一、洛陽日々あれこれ
洛陽は漢の都である。
周の洛邑という都城が建てられたのをはじめに、長い年月の間、国家の重要拠点あるいは都として繁栄を続けた。
漢帝国は光武帝の時代に遷都し、それまでの長安から都へとなった。
爛熟しきって、栄華を極める漢の都。
そこに董卓はいた。
袁隗に辟招され半年あまり、事務仕事にも慣れてきたし、この洛陽という都会にも慣れつつある。
隴西に残してきた董卓隊は、仕送りをしつつ弟の董旻に任せている。
この仕事は意外に楽しいが、長く続ける気はない。
頭の出来と家柄でもっと早く出世する者がたくさんいる。
その中で知謀の臣として成り上がるには董卓の能力は不足している、と自分でも思っている。
とはいえ、洛陽を楽しむことは悪くはない。
活気にあふれ、どんな辺鄙な場所の産物とて手に入らないことはない。
街を歩く董卓は屋台や露店の合間を器用に抜けていく。
そして、彼は一軒の店に到着した。
店先にいた主人が董卓の顔を見て、笑顔になった。
「これは!仲穎様!お久しぶりでございます」
「いえ、こちらこそ。世話になっているのにろくに挨拶もせず、失礼しておりまする」
「そんなことはありませんぞ」
主人は董卓を中に誘った。
董卓を笑顔で迎え入れた主人は、名を劉甲という。
十年前、隴西を訪れた商人である彼は、董卓の兄の起こしかけた騒乱に巻き込まれてしまった。
当時の大将軍への反意を盗み聞きし、役所へ報告しようとした時に悪漢に襲われてしまう。
その時に、董卓に命を救われたのだった。
その事件の後は董卓が私兵を募る際の資金援助や、彼への支援をしてくれていた。
洛陽から長安、そしてその先の西域まで商路を確保しようとした商売魂は今こうして洛陽で店舗を持てるまでに成功したようだ。
劉甲自身はまだ隴西以西の開拓を諦めていないらしく、しばしば店を空けることがあったため、董卓が洛陽に来てはじめて再会できたというわけだ。
しばらく見ないうちに恰幅が良くなっている。
それに年の割に髪も髭も黒々としているのが印象的だ。
「立派な店ですな」
「いえいえ、まだまだです。この洛陽も古い都でございますゆえ。商人の横の繋がりが太くてなかなか入り込めませぬ」
「そういうものか」
「それよりも聞きましたぞ。羌族の反乱を迎え撃ち、羌兵を千切っては投げ、千切っては投げという破格の活躍をした董従事殿」
「ははは、それは誇張が過ぎまする。私なぞは刺史や太守様に兵を借りてようやくといった有り様でした」
「しかし、その中核は貴殿の兵でございましょう?」
「ええ。大商人劉甲様に飯を食わせていただいた精兵ですな」
「はっはっは。そう言っていただければなによりでございます」
「涼州復興でだいぶ稼いでいらっしゃるようですな」
董卓は昭武城で療養していた時に劉甲に涼州羌族の乱が平定されたことをいちはやく伝えていた。
こういった生の情報は商人にとても重要であることは承知していた。
劉甲は荒廃した武威郡、酒泉郡、張掖郡の復興に物資や食糧などが必要であると見抜き、その事業に早い段階で関わることになった。
それが彼を大儲けさせ、また都と涼州を往復させ忙しくする原因となったのだった。
「ええ。あの情報だけで今まで董殿に投資した金銭を上回る収益になりましたからなあ」
洛陽に来る前の董卓なら何を大げさなと思っているところだが、袁隗のもとで勉強したことでそれが大げさでもなんでもなく、大きな金銭が動いたことはわかるのだった。
これはつまり、劉甲に大きく恩を売ったということだ。
董卓への投資へもう少し無理がきく、ということでもある。
「なれば私の私兵ももう少し増やしてもよいかもしれませんな」
劉甲の目がきらりと輝く。
「ええ、ええ。それがよろしいかと。糧食、鎧兜、武器まで用立てましょう」
「私が更に儲けをもたらす未来でも見えますか?」
「ふふふ。どうも董殿とお付き合いをいたしますと、私の財産がどんどん増えていきます」
「では私も劉殿を大いに利用させていただきましょう」
「お互いに、ですな」
そこへ董卓と同じ年頃の青年がやってきた。
「劉様、何猪商会の使いが参っておりますが」
「うむ。応接間に通しておきなさい」
「はい」
「ああ、少し待て」
「はい?」
劉甲はその青年を止めて、董卓のほうを向かせた。
「董様。この者は白然と言います。この店の番頭で洛陽に常駐しております。私がいない時はこの者に用を申し付けてください」
青年、白然は理知的な顔立ちをしている。
その目には劉甲と同じような商人の目の色が垣間見える。
「董卓、字を仲穎と申します」
予想外な董卓の丁寧な挨拶に、白然は戸惑ったようだった。
商人というのはその有用さの割に下に見られることが多い。
そのため、このような挨拶をされた経験が白然はなかったのだ。
劉甲に促されて、白然ははっとし頭を下げた。
「白然、字を長陽と申します」
「白長陽殿、これからよろしく頼む」
「こ、こちらこそ」
その様子を微笑ましく見ていた劉甲はゆっくりと立ち上がった。
「では董様。どうぞゆっくりとしていってくだされ」
「お言葉に甘えます」
劉甲は待たせていた客に会うため退出した。
その後、董卓と白然は雑談をした。
二人は妙に気が合ったようで、董卓が涼州に帰った後も交友は続いていくことになる。
「武威太守に新たに張然明様が着任されたそうです」
「というと、あの張奐殿か?」
白然が口にしたのは、あの戦いで戦死した武威太守の後任の話である。
実のところ、武威太守は羌族の内通者によって殺されていたのだが、本筋には関わってこない。
新たに着任することになる張奐然明は敦煌郡出身の武将である。
若い頃より文才に優れ、また武にも大きな才を持っていた。
匈奴、鮮卑、羌との間で戦いを繰り広げ、使匈奴中郎将などに任官している。
あの大将軍梁冀と関わりがあったらしく、梁冀が罪を得て誅殺された時、張奐も罷免されたらしい。
しかし、同じく涼州で英雄視されている皇甫規らの強い嘆願があり復職している。
「ええ。それに羌の乱も完全に平定されたようですし」
「のようだな」
董卓らが引いた後、戦いを続けた并州刺史兼護羌校尉の段熲は前述の通り、羌の残党の降服をもって今回の乱の平定を完了した。
このように混迷していた涼州も新太守の着任や乱の平定などで平静を取り戻しつつあった。
董卓に父から帰郷の頼みが来たのはそんなおりである。
使者として洛陽にやってきたのは張済だった。
「父君が」
「父がどうしたというのだ?」
危篤の知らせかと危うんだのは確かだ。
兄のことも含め、父には心労を重ねてきた。
まだ老人とは言えないが、既に孫のいる年でもある。
だがそれは杞憂だった。
「大将に縁談の話が来ているから帰ってこい、とのことだ」
「……は?」
「ほれ、大将が一応司徒の袁隗様に呼ばれてその手下になったろう?そうなると実家の董家は中央に認められた名家の扱いなのだ」
「はあ?そうなのか?」
「そうなんだよ。んで名家董家の当主、董仲穎様が独り身だと知れば涼州各地のご令嬢がよりどりみどりってことだな」
「よくわからん。俺は名家のくくりなのか?」
「そうだぞ」
「今までそうでなかったのにか?」
「それだけあんたのした功績が凄かったんだろうよ」
董卓は狐につままれたような気持ちになった。




