六十六、賈文和
合図である骨笛の音に二人の鮮卑人は速やかに対応した。
王方と卜完である。
共に鮮卑の大人、檀石槐の元にいた武将である。
王方もまた卜完と同じくらいには大人に信頼されている将である。
その彼が鮮卑の領土を離れ、涼州にやってきたのは檀石槐の命令である。
一つは罪人の南架宜の監視だ。
彼が逃げずに董卓の元にたどり着き、戦いを挑めるかを見るのだ。
もう一つは漢帝国の領内における鮮卑の戦力の浸透だ。
ひそかに涼州や司隷、并州に侵入している鮮卑人は千を超えているらしい。
王方もその一隊となるはずだったが、董卓との出会いによって彼の隊に取り込まれていたのだった。
大人の命令を遂行できないことは大罪であるが、檀石槐は王方を咎めなかった。
それは董卓との連絡役を欲していたためと、その友人に協力したいという思いがあったからだ。
王方は許され、そしてそのまま董卓のもとにいることになった。
恩義と忠節を同時に果たせるのならばそれに勝るものはない。
王方はその想いを胸に隊を動かした。
三日目に大きく陣形を変化させた時、董卓は強力な騎馬隊を持つ鮮卑兵を本隊から離脱させていた。
それは本隊だけで防御だけならできる、と確信していたことと鮮卑兵なら発見されずに滇那軍の後方へ回り込ませることができると信じていたからだ。
本来の構想では本隊が弓兵と騎兵に組み合わせで敵を削り、業を煮やした相手が攻めてきた時に後方から挟撃するものだった。
しかし、董卓が単身乗り込み、一騎討ちで敵の総指揮官を倒したことで敵が混乱したため、ここが好機と骨笛を鳴らしたのだった。
王方と卜完は完璧な機動で滇那軍の本陣を襲った。
まったく予期していなかった相手は散々に打ち破られる。
董卓本隊と鮮卑の騎馬隊に挟撃される形となり、上手い連携も取れずに潰されていく滇那軍。
“百騎”の面々もそれぞれが勝手に対応しようとして、効果的な行動ができなかった。
そうなると、ただただ擂り潰されていくだけだ。
問題はその中心に董卓がいることだけだ。
混乱した敵の中心で、余力の無い董卓の命は風前の灯と言ってもいい。
だから。
急に隣で聞こえてきた声に、董卓は驚いたのだった。
「いやあ、寡兵で敵の本隊を破るとはなかなかの武勇ですね。感服いたしました」
そこには鎧もまとわず薄い笑みを浮かべた青年がいた。
とはいえ、護衛らしき屈強な兵がその後ろに控えている。
「羌人ではないな?何者だ」
敵では無いような口振りだ。
その青年は笑みを絶やさずに答えた。
「わたくしは賈詡。字は文和と申します」
「その賈詡とやらが、こんなところに何用だ?」
董卓が悠長に話ができるのは、賈詡が連れてきた精兵が次々に“百騎”やその部下たちを討ち取っていくからだ。
徐々に董卓本隊と鮮卑兵の包囲も狭まってきている。
戦が終わるのも目前だろう。
「わたくしはあなたを助けに来たのです」
「俺を?」
初めて会った人間を助けようとはなかなか思わないものだが。
「ええ。わたくしを始め、ここに来た兵らはあなたに恩義がございます」
「恩義も何も……初対面だろう?」
「わたくしとこの兵らは皆、涼州武威郡は姑臧の出身でございます」
「……ああ、そうか。そうだったか」
姑臧はこの戦いにおいて、漢軍がはじめて奪還した場所である。
その戦いの中心に董卓は居た。
「そして同じく姑臧の出身である叔父貴がぜひ、あなたを助けたいと言い出しまして。わたくしが先行した次第であります」
「そなたの叔父貴?」
「血縁ではないのですが、同郷出身ということで目をかけていただいております。……ああ、来たようですね」
収まりつつある戦場で二種類の旗が新たに翻っていた。
そこには孫と“段”の字が記されていている。
「段……」
姑臧出身の段氏で、軍を率いることができるほどの人物。
賈青年はニコニコしている。
ここが戦場でなければ笑顔が良くみえる好青年なのだ。
ここが戦場でなければ。
段熲。
という名前が脳裏に閃く。
并州刺史であり護羌校尉である当代屈指の名将である。
「来ているのか段熲殿が」
董卓の答えに賈詡は頷く。
「はい。并州が一段落したのでこちらに」
この戦いが起こった時に段熲は并州にいた。
数年前に并州を襲った檀石槐を警戒して離れられなかった段熲は、鮮卑の主力がいなくなったのを察して動いた。
涼州の大規模な戦いに、羌族を監督する護羌校尉の職に任じられている段熲が動かぬわけにはいかない。
その途中で酒泉郡をほぼ解放していた涼州刺史の成就らと合流した段熲軍は、別動隊として羌族の本隊を追った董卓隊の存在を知った。
そして董卓が故郷である姑臧の解放に大いに貢献したと聞いて、救援にやってきたのだった。
また、隴西太守の孫羌も董卓の危機を知り段熲に同行したのだった。
そこから戦の指揮を取ったのは、もちろん段熲であったがその傍らにいたのは賈詡だった。
助言者、いやそれはもう軍師だった。
その戦術に段軍だけでなく、孫羌も、董卓の本隊も鮮卑の別動隊も組み込まれていく。
董卓を助けに来たことも、一連の軍略の行程だったのだろう。
董卓の行っていた挟撃を、さらに洗練させ効率化させたような指揮を賈詡は命じた。
まるで繰り返し押し寄せる波のような攻撃に、まず句刀馬が討ち取られた。
滇那を倒した後、はじめに羌族を牛耳ろうとした句刀馬は防御することもできず、波のような漢軍に飲み込まれ倒された。
同じく“百騎”であった千黎完も第二波、第三波のいずれかで命を落とした。
途中で董卓は賈詡が“百騎”だけを狙っていることに気付いた。
董卓が見つけた解決策だ。
自軍に倍する敵がいて、退くこともできぬ以上、勝つ道筋を見つけねばならなくなった董卓が考えた方策だ。
軍を統率する指揮官を倒せば、指揮系統が崩壊して軍が機能しなくなる。
結局、董卓は指揮系統の大元である滇那を倒すことになってしまった。
その結果、バラバラな指揮系統が残り、“百騎”たちが好き勝手する事態を招いてしまった。
賈詡たちにはその後始末をしてもらっているのだ。
“百騎”たちが率いる百人の隊はかなり強力な連帯で戦場を駆け回る。
だが挟撃によって、戦場は狭められている。
賈詡はその“百騎”たちに必ず倍する二百以上の兵を当てていた。
確実に指揮官である“百騎”のみを潰していく。
そして残された兵らは見逃していく。
つまり、指揮官を潰せば百人兵力が減るのだ。
そのことに董卓が気付くのには時間がかかった。
だが賈詡は戦場を一目見て気付いたのだろう。
頭の出来が違うのか。
その日の内に羌族は降服した。
大半の兵卒らは逃亡し、“百騎”のほとんどは討ち取られた。
滇那に殉ずるように、その教えを受け取った“百騎”も壊滅し、羌族滇那軍の大侵攻はここに終結した。
「逃げましょう、烏吾様」
滇那は死に、その子飼いであった“百騎”は全滅した。
ここに残る意味はもう無い。
呂陸は、ほとんど放心状態の烏吾を連れて戦場を離れていた。
呂陸自身、生き残れるか怪しいところだ。
それに加え、烏吾を連れていくのは自殺行為と言ってもいい。
それでも彼を助けたのは、これまでの恩義があったからだ。
暮れつつある夕陽、真っ赤になった草原を二人を乗せた馬は駆けていくのだった。




