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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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六十五、命を奪う刃を振るう

 滇那ティナの振るう刃が俺の鼻先をかすめる。

 その精密な剣筋は“目”で見ることのできる白い点の予測が追い付かない。

 かわせたのは十年前の経験と十年間の鍛練の結果だ。

 一言で言えば勘である。


 だが勘であろうと予測であろうと、かわして生きて情報を蓄積することで次に繋げることができる。

 負けなければ、死ななければ、生きて勝つことができる。


 かわした勢いで刀を振るう。

 攻撃直後の、咄嗟の反応ができない場面のはずだが滇那はギリギリの動きで回避。

 空を切る俺の刃、今度は俺の方が不利。

 振るわれる刃が襲ってくるのをかわし、間髪入れずに二撃目が来る。

 それは“白い点”で読めたので弾く。

 威力が最大ではないはずだが、滇那の刃は重い。

 あのころより、さらに強くなっている。

 戦神に振り回されていた彼女では、もうないのだ。

 それに見合うだけ、彼女も自らを鍛えたのだろう。


 だが、それは俺だって同じだ。


 勝つために、生きるために、彼女を取り戻すために強くなったはずだ。


「楽しいな、シーエイ」


 何かの弾みでもれたその声は、戦神のもののように聞こえたが、言い方は彼女のものだった。

 そうだ。

 楽しいのだ。

 全力で武器を振るって、全力で避けて、防いで、次に最高の一撃を入れるために位置と力を調整して、相手の最高の一撃をもらわないように動いて。

 頭と体を全部使っていると、まるで十年前あのころのように楽しかった。


「そうだな、ティナ」


 もはや、戦の局面など二人の頭に無い。

 董卓はシーエイであり、その胸中には董旻も張済も王国も姜旦もガアカも若手三人のことも無い。

 そして、滇那はティナであり、烏吾のことも夷分のことも呂陸も厳快も無かった。


 ただ武器を振るい、戦い、殺しあう二人だけがそこにいた。


 周囲には滇那軍の兵しかいない。

 しかし、二人の戦いに釘付けになっていた。

 例えば、滇那の側に控える“百騎”の誰かが手勢を率いて董卓を襲えばすぐに決着がついただろう。

 だが、誰一人そうはしなかった。


 二人だけの決着がつくのを誰も身動ぎもせずに見いっていたのだった。


 動けないのは後方へ運ばれる途中で戦いが始まり、そこから見守るしかなくなった烏吾も同じだった。


 滇那は美しかった。

 その戦いもそうだ。

 なのに主の視線は烏吾を向いていない。

 あの董卓シーエイにしか向いていないのだ。

 失った腕が疼く。

 嫉妬に、憎悪に、憤怒に。

 なぜ私に目を向けてくれないのですか?

 なぜ奴にだけそんなに嬉しそうに刃を振るうのですか?

 私を見てください。

 私だけに微笑んでください。


 血涙を流す烏吾のことを、ついに最期まで滇那は見ることが無かった。



 剣撃すること三十を越えて、ついに滇那の刃が董卓を捉えた。

 戦神の笑みが貼り付いた顔から董卓は目を離さなかった。

 視線を向けさせないために。


 董卓の喉元へ真っ直ぐ突き刺さらんとした刃を、彼は下から弾く。

 その切っ先が董卓の額を掠めた。


 パッと血飛沫が跳ねた。

 それは傷口に比べると派手に飛び散り、その傷の深さを誤認させた。


シー!?」


 ティナの面が一瞬怯んだのを董卓は見切った。


「甘いッ!」


 滇那の刀を弾いた董卓の刀は血煙の間から彼女を斬りつけた。

 しかし、目眩ましの血煙から何か来ることは彼女にも予測できた。

 鉄の籠手をその軌道上に割り入れる。


「まだまだッ」


 籠手に止められるが董卓は構わず刀に力を込める。


「俺に斬られろッ」

「ぐうううッ」


 猛将の夷分ですら力負けをする董卓の膂力が刃を押し込んでいく。

 鉄籠手の中で腕の骨が鈍い音をたてて折れる。

 滇那は額に汗を浮かべて、しかし悲鳴を漏らさずに耐える。


「お前は美しい。お前ほどの女はついに現れなかった!」

「こんな時に何をッ!」

「美しいままに、俺に斬られろッ」

「勝手なことを……泣いているのか、シーエイ」


 董卓の目には涙が浮かんでいた。

 それがぼろぼろと落ちているが、董卓は気付いていなかった。


 ティナを失いたくないのだ、と深層で想っていることを董卓は気付かないようにしていた。

 しかし、もう無理なのだ。

 どちらかが敗れ死ぬしかない。

 もう生きたまま捕らえてもどちらも処刑される未来しかない。

 鼻や耳を恨みのまま削がれても不思議ではないほどだろう。


 だからこそ、美しいままにするには己の手で殺すしかない。


 もうどうしようもないほど歪んだ愛情を董卓はティナに向けていた。


「泣いてなぞおらぬ」

「私がいなくなっても泣くのだろう?」

「泣かぬ」

「お前がその天意に見合う場所にたどり着くのをずっと見守っているよ」

「ティナ」

「それから……ちゃんと妻を娶れよ」

「何を」

「お前を愛していたよ、董卓」


 ティナは全ての力を抜いたようだった。

 董卓の刀はするりと抵抗なく、彼女の体を両断した。

 信じられないほど簡単に、ティナの命は絶たれた。


 いや、違う。

 俺が殺したのだ。

 俺がティナの命を奪ったのだ。


「敵将、討ち取ったり!!」


 それが決着したことを告げる声だった。

 董卓の大音声は戦場に響き渡った。


 滇那こそがこの軍の中心であり、扇の要だ。

 それが無くなれば軍は崩壊する。

 その董卓の第一の読みは、外れた。


「“百騎”の句刀馬くとうば!王帥の遺志を告ぎ、軍を統率せん!」

「否!“百騎”の千黎完せんれいかん!我こそが諸軍を統べる者なり!」

「いや、我こそが!」

「私が!」

「私が!」


 突如、四、五人の“百騎”が名乗りを挙げた。

 自分こそが王帥である滇那の後継者として軍を統率すると宣言する。

 その恐るべき無秩序さはやがて混乱となって滇那軍であった集団を自壊させうるものだが、しかし今は形を保っている。

 そして、彼らは気付く。

 王帥を討った漢人を倒せば、それ即ち自らが王帥となるに相応しいのではないか、と。


 彼らの目が一斉に董卓を向いた。

 野望、野心、飢餓、それらの染み付いた視線を受けて、董卓は苦笑した。


「やれやれ、こんな置き土産を受けとることになろうとはな」

「漢人!董卓シーエイよ!この句刀馬の一刀を受けよ!それいッ」


 はじめに名乗りを挙げた句刀馬は馬を駆り、董卓に刀を振るう。

 それはなんとか防ぐが、董卓は己の余力がひどく少ないことに気付いた。


「この状況は」

「ふふ、ふふははは、ふははははは!私こそが新たなる羌の王となるのだ!」


 高笑いをする句刀馬を見て董卓は片手で防ぎながら、胸元を探った。

 そして何か獣の骨らしき欠片で作られたものを取り出す。

 それを口元に当てて強く息を吹き込む。


 ピイィィィイ!と甲高い、鳥の鳴き声のような音が響き渡る。


 その音に句刀馬も、千黎完も、そして他の“百騎”も、兵卒らも動きを止めた。


「そういえば、この骨笛の音を二人で聞いたことがあったな」


 あれはいつだったか?

 そうだ。

 湟中へ向かうときだ。

 そこにいる羌族の大物と忍氏族に会いに行こうとして、途中でこの笛の音を聞いた。

 その時起こったことは今でも思い出せる。


 骨笛の音色は“鮮卑族”の戦の合図。

 これによって彼らは集合し、離散し、そして戦うのだ。


 “百騎”の内、幾人かが俺の吹いた骨笛の意味に気付いたようだ。

 しかし、もう遅い。


 滇那軍本隊の後方から、伏せていた俺の鮮卑隊三千が急襲をかけた。

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