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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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六十四、五日目。対面

「全軍、歩を百歩進めよ」


 五日目の朝、布陣を終えた董卓隊に下された最初の命令はそれだった。

 この戦場で百歩も進めば、それは羌族の弓の射程距離に入るということだ。

 もしも、向こうに董卓並みの弓の腕を持つ者がいれば的には事欠かないだろう。

 そんなことは折り込み済みだとでも言うように厳しい顔を崩さない兄を見て董旻は一番に自分とその配下を動かした。

 指揮官の弟である董旻が動けば、他の者も動かざるを得ないだろう。


 次に進んだのは張済、そして李傕、郭汜、樊稠が続き、王国、姜旦が続く。

 そして巴才が前に進み、ガアカが最後に動いた。


 静かな気迫は滇那軍にも伝わっている。

 今日、戦いを決めるつもりなのだ、と。


 董卓隊が全員百歩進んだ後、董卓はゆっくりと一番前に出た。

 そして、長弓を取り出し矢をつがえる。

 折れた弓を修理し、再び射てるようにしたのだ。

 しかし、射てて一発。

 一度折れた弓を現地の簡素な修繕で使おうというのが、そもそも無理な話なのだ。


 だが、一発でも射てれば良い。

 一昨日の続けざまに三人の指揮官が射たれたことは、滇那軍の士卒の中に恐怖として刻まれているはずだ。

 その一発で恐怖は再び呼び起こされる。


 董卓は弓を構えた。

 その姿を見た滇那軍の一部でざわめきが起きる。

 おそらく、一昨日の戦いで生き残った者たちだろう。


「俺の一矢と共に全員で突撃だ」


 近くにいた董旻と張済は頷き、時を待つ。


 様々な感情が董卓の中に沸き上がっては泡のように消えていく。

 弓を射つのに雑念は不要と、董卓は感情を圧し殺していく。

 その雑念は不要という意思すら雑念となり消えた時、董卓の心中は緩やかな波がうちつける青海湖のように鎮まっていた。


 引き絞られた弦から矢が放たれ、それは緩い弧を描いて敵の中心である滇那の元へ進んでいく。

 明らかに当たる、ということがわかった時には滇那は避けるために動くことができなかった。

 回避か、迎撃か、防御か。

 瞬時に浮かんだ対抗策は、どれをなそうにも遅すぎた。


「王帥!?」


 同じく動けずいた“百騎”の厳快がなんとか声を出す。

 が、それも何の役にも立たない。


 なら、それでもいいか、とティナは刹那の間思った。


「御免!」


 ドンっという衝撃が背中に走り、そして滇那は落馬した。

 突き落とされたのだとわかった。


 続いてどぉっと乗っていた馬が倒れ、危うい姿勢で乗っていた青年が地面に投げ出される。


「烏吾!」


 それは片腕を失い、後方で療養しているはずの副将の烏吾であった。

 矢が当たる間際に彼が滇那に体当たりをし、突飛ばしたおかげで矢が当たらずにすんだ。

 その代わりに矢は騎乗していた馬の首を貫通し、その命を奪い取っていた。

 恐るべきは董卓の弓の腕。

 もし烏吾が来なかったら、確実に滇那は死んでいた。


「お、お怪我はございませぬか」


 息も絶え絶えの様子で烏吾は答えた。


「大事ない……いや、頬を擦りむいたぞ」

「それは……はは、申し訳ございませぬ」

「私に傷を負わせるとは大したものだ。……烏吾、これ以上の無理は許さぬ。生き残れ」


 安心したように烏吾は気を失った。

 無理をしたのと馬と倒れたのが効いたのだろう。

 だが絶命するほどでもなかろう。


 滇那は烏吾を下がらせ、新しい馬を用意させまたがる。

 そして馬上から戦況を見て、わずかに青ざめたのだった。



 一方、董卓隊は董卓の発した矢が当たるか当たらぬかもわからぬうちに動き出した。

 対する滇那軍は董卓隊に立ち向かおうとする者、飛びさった矢を目で追う者、その矢が滇那へ方へ向かったのを見て動揺する者など、様々な反応を示した。

 どのような動きであろうと、全員が同じ動きをせねば軍隊というものは機能しない。

 その上、頭脳たる指揮官の滇那が射たれたことでほんのわずかの間とはいえ、指揮系統は停止した。


 そこへ董卓隊は突っ込んだ。

 数に勝る?

 バラバラな動きをする命令もされない兵士など草を刈るようなもの。

 滇那軍の前軍をごっそりと削り取った董卓隊はそのまま攻撃を続ける。

 董卓は削り取られた敵の合間を縫って前へ出た。


 今の射撃で滇那を狙ったのは確かだ。

 だが、当たるとは思っていない。

 最初の混乱が収まれば敵の統率が取り戻されてしまう。

 そうなると短期の決着は不可能だ。

 そして長期戦を取るだけの物資は無い。

 董卓の負けだ。


 そうなる前に滇那を討つ。


 烏騅を駆り、敵の合間を駆け抜け、立ちはだかる者は切り捨てる。

 長弓はもう修復不可能までに壊れた。

 それは手放し、槍を持ち、刀を脇に戦場を一直線に抜けていく。

 やがて、槍は折れ、鎧には傷が目立つ。

 烏吾に単独で動く者は将の器にあらず、とのたまった己がこんな匹夫のようなことをしているのがたまらなく可笑しい。


 そして。

 敵の群れを抜けて董卓は、ついに敵本陣にたどり着いた。


 そこは戦場とは思えぬほど静かだった。

 射られた滇那をかばって烏吾と馬が倒れ、彼が後方へ運ばれ、替え馬を用意して、その間千を数えるほどであったろう。

 その間隙に、董卓はやってきたのだ。


「決着をつけにきた」


 董卓はその一言だけを言った。


「たった一人でのこのこと!」


 滇那の側にいた“百騎”らしき青年が刀を持ち斬りかかってくる。

 その甘く遅い隙だらけの攻撃を、こちらに届く前に胴体を切り裂くことで終わらせる。


「厳快!?」


 同輩らしき“百騎”の青年が切られた者の名を呼ぶ。

 董卓はその名をすぐに忘れて、目的の者を見た。


「十年か」

「どちらだ?」


 董卓のその問いは知らぬ者には謎の問いだ。

 十年前、隴西臨洮の蚩尤殿での戦いで滇那は“神降ろし”によって戦神“蚩尤”に取り憑かれた。

 董卓はそれと戦い、体の限界を越えたために壊れた戦神に勝った。

 それから会っていない彼女がどちらなのか。

 数日前の邂逅ではどちらなのか判別はできなかった。

 ティナなのか、蚩尤なのか。

 たとえ、どちらであろうとも彼女が成したことは覆せないし、董卓とは敵のままだ、としても。


「私は私だ」

「それは俺の問いに対する答えではない」

「十年を経て、焼当のティナと戦神蚩尤は混じりあって一つとなった。それでいい?」


 その最後の言葉はあの頃のティナの言い様と同じだった。

 董卓は彼女が嘘をついていないことを理解した。


「……ああ、それでいい」

「じゃあ、やろう」


 まるで遊びに行くかのような気軽さで二人は刀を構えた。

 もう二人に決着をつける以外の選択肢は無かった。

 例えば、十年前のように愛し合うとか、旅をするとか、そんな風になるにはお互いに殺しすぎたし、軍を率いて戦い過ぎた。

 互いに慕ってくる者もいるし、信頼する者もいる。

 それらを全部捨てるには互いに野心を持ち過ぎて、己に天意があると信じ過ぎていた。



 大将同士が戦いを始めようとしていたころ、戦場となっている張掖居延属国の草原に近づく一団があった。

 騎馬が先行しているが、その後方には無数の歩兵が続いている。

 兵装は立派で武器も揃っている。

 たなびく旗にはいくつもの名が記されていて、それが複数の軍の混成であることがわかる。

 その軍は一路、戦場へ向かっていく。


 そのことを知らず、董卓と滇那の戦いが、決着をつけるための戦いが始まった。

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