五十五、董卓昇格すること
城外での戦いが董卓隊の勝利に終わったころ。
昭武城内での且凍氏族隊と孫羌、成就たちとの戦いも終わりを迎えていた。
最初の混乱さえ乗り越えれば、数に勝る漢兵の方が有利だ。
羌族など騎馬民族の最大の長所は馬。
その機動力だ。
それが使えない城内では羌人など軽装の兵でしかない。
態勢を整えた孫羌の精鋭重装兵が徐々に羌兵を押し包んでいき、圧殺していく。
「口惜しや、且凍氏族の冒玄とあろう者がここで果てるとは!」
孫羌の剣によって貫かれた敵の首魁はそう絶叫して果てた。
「……これで仕舞いのようだな」
血を振り払って、孫羌は剣を納める。
あたりには羌人らの亡骸がいくつも転がっている。
漢人の戦死者は少ないがゼロではない。
「戦死者よりも亡くなった酔っぱらいの方が多いな」
「夢うつつのまま亡くなるほうがマシかも知れません」
成就の言葉に孫羌はそう答えた。
確かにその通りだった。
戦死者が四、五人なのに対して酔っぱらって何もできぬまま冒玄らに害された漢人は二十人ほどだ。
そのほとんどが安定軍だった。
北地、武都、金城の三郡の兵は比較的早く規律を回復し、戦闘の後半には羌人の包囲に参加していた。
しかし、安定兵、ことに指揮官の楊克は戦闘の終わりまで目覚めることはなく、青い顔で戦後の軍議に参加していた。
城外から董卓が戻ってきたのはそのあたりだった。
「仲潁、破格の活躍だったそうだな」
と、孫羌が賞賛する。
「いえ、さほどのことでは」
「何を言う。敵将を一騎討ちで討ち果たし、浮き足だった相手を蹴散らしたそうではないか。これは殊勲だ。成刺史もそう思いませぬか?」
「もちろんだ」
成就が涼州刺史であることは、目覚めたばかりの楊克は初耳だったようだ。
ちなみに北地軍は“本物の”成回が率いている。
成就が偽った時は副官として軍を率いていたようだ。
「ともあれ、昭武城は落ちなかった。そして、野戦にて敵を減らすことができた。そしてこれからだ」
孫羌は地図を拡げた。
羌に侵略された最後の郡である酒泉のものだ。
黒河の流れに沿って進軍し、郡治所の禄福城を取り返せば後は自然と治安は収まるはずだ。
それは武威郡、張掖郡でやったことと同じだ。
この昭武城では夜襲を受けたが、あとはさしたる抵抗もないはずだ。
なぜなら。
「羌族の本拠地はここより北と申すか?」
「はい。おそらくは張掖居延属国の南方の草原でしょう」
孫羌の問いに董卓は答えた。
そう考えた理由は夷分を倒した後、退いていった羌の行方を王方の配下に追わせたからだ。
まだ王方からの報告は来ていないが、少なくとも酒泉の方向ではなく、まっすぐ北へ進んでいったことはわかっている。
ここから北にある大軍が駐屯できるような広い草原があるところは二つ。
張掖属国と張掖居延属国だ。
しかし、張掖属国の方はかなり狭い土地に五城が配置され、そこに住む漢人の監視は厚い。
対して、張掖居延属国の方は武威郡に匹敵する広さながら、配置されている漢の城は居延城の一つしかない。
大軍が居座るならここしかない。
「張掖居延属国か。難しいところだな」
と成就がため息をついた。
「全軍を持って進軍し、武略と知略をもってすれば必ずや勝てましょう」
董卓のその言に成就も孫羌も頷きはする。
しかし、どうも乗り気ではないようだ、と董卓は感じる。
その理由を成就が口にした。
「我らに下された命令は侵略された武威、張掖、酒泉の三郡の奪還だ。けして羌族の討伐ではない」
「何をいまさら。もうすぐ倒せるのですぞ」
成就も孫羌も悔しげな顔をしていた。
「そうは言えどな。我らとて漢の役人でしかない。権限の拡大解釈は大いに戒められている。勝手はできぬ」
大将軍の権威をかさに朝廷を跋扈した梁冀が誅されてからまだ五年も立っていない。
まだ、好き勝手できるような時期ではない、ということか。
「では羌族の脅威はそのままにする、ということでしょうか」
「……うむ」
孫羌の口は重い。
彼はこの涼州太守軍のまとめ役として従軍しているが、本拠である隴西郡から離れてもうすぐ一年になる。
太守としての役目は書状のやり取りで行っているが、十全とは言いがたい。
早く三郡を奪還し、その功績を朝廷に認められないと太守の資格を疑われる。
「いや、俺に策がある」
と成就が口を開いた。
「成刺史?」
「まず軍を二手に分ける。一隊がこのまま酒泉を奪還する。そしてもう一隊が北へ進軍し、羌の本隊を叩く」
「しかし、郡太守の徴募した兵らはもう……」
成就の提案に孫羌が難色を示した。
結局、太守の軍、郡の軍が酒泉の奪還以上のことはできない。
軍を分けたところでその前提は変わらないのだ。
「いや、この軍に正規の徴兵で組織されていない隊がある」
「!?」
孫羌の目が董卓の方を向いた。
「そうだ。董仲潁の私兵だ」
最初期に孫羌の指揮下に入った董卓隊五百は、確かに漢の正規軍ではない。
「我らだけで羌の本隊と戦うことは難しいですな」
いくら、漢の制約に縛られないとはいえ、五百では万はいる羌兵には対抗できない。
「そこは各郡から問題にならない程度の兵を供出する。実際には志願兵ということになろうな」
そうやって兵力が確保できればやれないことはないだろう。
しかし。
「しかし太守殿、刺史殿、こやつは所詮下級役人でしかありませぬ。大軍を率いる資格がありませんぞ」
ようやく酔いが抜けたか楊克が口を開いた。
董卓が大軍を率いるのが気に入らないという意思が見え見えである。
羌を倒さねばならぬ、そのために董卓を動かすしかないという状況が見えぬらしい。
「そうだな。それは考えていた」
成就は董卓を見た。
そして口を開く。
「董仲潁。そなたを涼州刺史の権限をもって“従事”に任命する」
「な!?」
と楊克は口を大きく開けたまま固まった。
従事とは、州刺史の下に置かれる役職の総称である。
人事を司る治中従事や、州の財務を司る簿曹従事などがある。
そして今、成就が董卓を任命したのは軍事を取り仕切る兵曹従事である。
これは非常設の役職であり、大きな戦争が起こった際に任命されるものである。
時代が下るにつれて、単なる軍事面の責任者としての役割の他に刺史や州牧の軍師的役目を担うようになる。
董卓に対してはまだそこまでではない。
それでも預けられた軍を取りまとめ、指揮することができる権限を付与されたことは確かだ。
「ありがたき幸せ」
「俺はお前に期待している。だが増長はするなよ。その役職は簡単に取り上げることができるのだからな」
「肝に銘じます」
この後、董卓は各郡から抽出された歩騎を預けられた。
漢陽軍と隴西軍からは先の夜襲で編成された部隊がそのまま残された。
巴才もそのまま董卓の指揮下に残った。
実戦経験のある指揮官が配下にいるのは心強い。
その他に金城、武都、北地、安定の各郡から一郡につき二百五十人ずつが董卓隊に編入され、あわせて二千となった。
こうして、涼州諸郡軍は酒泉奪還の本隊一万二千、羌族の本隊を叩く別動隊二千に分かれて行動を開始した。




