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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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五十四、戦の濁流

「敗北者、夷分よ。汚名をそそぎたければこの西潁シーエイに挑むべし」


 貴重な紙を使ってまで伝えたかったことがこれか、と夷分は激怒した。


 西潁という漢人のことは知っていた。

 十年前、ガアカとの戦士長争いに敗れた夷分は、だが先零氏族から離れることはしなかった。

 まだ機会はあると思っていたし、戦士長にならない道もあると思ってもいた。

 そのころ先零氏族を訪れた西潁は、たちまちガアカと豪帥の狼凱に気に入られた。

 それが小癪な、生意気なという感情だったか、それともどうでもいいことだったかは覚えていない。


 自分は認められなかった。

 だが西潁は認められた。


 それだけが心の奥底にわだかまっていた。


 自覚はしていなかったが。


 そして、それが矢文に書かれていた文章で顕在化したのだ。


 夷分の率いるは、豪帥を失い烏吾の指揮下に収まった全無氏族の内騎兵二千だ。

 敵の漢軍はおそらく千ほどしかない。

 二倍の兵で叩き潰してくれる、それが夷分の頭の中を占めていた。



 その土砂崩れのような突撃は、董卓たちにもよく見えた。


「うむ。釣れたな」

「思っていたより多いんだが」


 満足そうな董卓に、呆れたような張済。

 この組み合わせには董卓隊の者は慣れた様子だが、臨時に指揮下に入った漢陽軍の巴才や隴西軍の兵らは不安そうだ。


「敵のほとんどは騎兵だ」

「見りゃわかる」

「騎兵の弱点はなんだ」

「軽装ゆえの防御力の無さだろ?」


 張済の答えに董卓は頷く。


「そうだな」

「まさか、全員で弓を射つつもりか?よせよせ、羌の馬術はそんなもの簡単に避けてしまう。あとは狙いを外されてもたもたしている間に詰め寄られちまう」

「さすが。わかっている」

「戯れ言を言っている場合か。どうするんだよ」


 例えば、馬の足を止めれば戦局は有利に傾く。

 落とし穴でもあれば足を取られ落馬した敵を悠々と討つことができる。

 まあ、そんな時間は無かった。

 まず一手目で敵方を挑発してしまった。

 敵を高台から引っ張ってくることはできたが、この後の展望が見えない。


「敵の足を止めれば良いのだろう?良い手がある」

「本当か」


 董卓には策があるらしい。

 閉じかけていた希望が見えてきた、と張済が思った時。

 ついに夷分たちがすぐそこまでやってきた。


 董卓は素早く弓を取り出し、矢をつがえ、放った。


 それは弧を描き、夷分の目の前の大地に突き刺さった。


「少し、待っていろ」


 董卓はトカラっと烏騅の歩を進めた。

 苛立った大群の前にも臆せず踏み出せる良い馬だ。


「いったい何を!?」


 張済の問いを聞かず、董卓は夷分の前に飛び出した。


「俺が西潁だ」


 と羌の言葉で言うと、夷分が全無の騎兵らを止めた。


「そうか……そうか、貴様が西潁だったか。貴様が!」


 怒気が夜の闇を切り裂くように漢兵には感じられた。

 それをそよ風でもあるかのように董卓は受け流す。


「俺に挑みに来たか、夷分」

「ああ、そうとも!」


 心底の鬱憤だけではない。

 この男には姑臧の城でも屈辱を味あわされた。

 指揮官の烏吾を落馬させ、嘲ったのだ。


 ここで殺すには充分な理由がある。

 ギラリと夷分は馬上刀にしては大きすぎる刃の長柄武器を取り出した。


 漢代には“斬馬剣”と呼ばれる長柄の両刃剣があったと言われている。

 夷分の持つのはその刃にわずかに反りが入った馬上から振り下ろして敵を両断するための武器だ。

 後代に使われる偃月刀の亜種というか先祖のような武器であろうか。


 董卓も己の刀を抜いた。


「おい、まさかあんたの策ってのは」

「敵の大将と一騎討ち。どうだ敵の足は止まっているだろ」


 騎兵の強み。

 それは機動力だ。

 高速で進軍し、騎射で敵を打ち崩す。

 その足を止めることができれば勝ち筋は見える。


 後は、一騎討ちに勝つだけだ。


「貴様は殺す。そして貴様の兵を鏖殺し、後ろの城を破壊する」

「威勢はいいな夷分よ」

「後悔は死んでからすると良い!」


 夷分は馬を駆けさせた。

 そして左手で手綱を繰りながら、右手の馬上刀を振り上げた。

 馬の突進力を攻撃に加えるのだ。

 鎧ごと相手をぶったぎる豪快な一撃。


 当たるなら。


 十年前は回避か、あるいは攻撃が最大威力に達する前に弾くくらいしかできなかった、と董卓は思い出した。

 毎日の訓練、狩猟、筋力増強を図った結果、董卓の体躯は十年前より巨大化していた。

 肥大ではない。

 身長も伸び、体重も増えた。

 そしてそれは筋肉だ。

 その膂力は夷分の馬上刀を自身の刀で受け止め、そして押し戻す。


 ぐぐぐ、とまるで岩を地面に埋め込むような圧力に押し返されながら夷分の顔色が変わっていく。


「力自慢が取り柄だったか」


 静かな声に怒気が冷めていくのを感じる。

 いや、畏れている。


「まさか、そんな」

「武、力、勇、技、心、何一つとしてお前がガアカ殿に勝るところは無い。それがお前が敗れた原因であり、そしてここでお前が死ぬ理由だ」

「わ、わしが死ぬ……?」

「人にあれだけ死ぬだの、殺すだの言い放って、それで己が殺されぬ道理があろうかよ」

「い、嫌だ。羌の武人として、わしはもっと戦いを」

「戦いは手段だ。何かを成すためのな。それを履き違えた貴様は誰も知らぬ夜の闇の中で死ぬ」


 董卓はぐっと力を込めて、夷分の馬上刀を弾き飛ばした。

 夷分の手から離れ、ぐるぐると飛んでいく。


「烏吾殿、すまぬ。先に逝きまするティ……」


 その先の言葉を言わせずに、董卓は夷分の首を一太刀で切り落とした。

 彼が言わんとした名を、自分の前で呼ばれるのが嫌だったからだ。


「張済、巴才、李傕、郭汜、樊稠、王国、姜旦、王方!好機だ、突っ込め!!」


 敵の大将が一騎討ちで敗れた。

 その混乱とがた落ちした士気、そこに攻撃を加えないわけにはいかないだろう。

 名を呼ばれた董卓隊の将らは呼ばれるままに動いた。

 先頭が動き出せば、士卒はもう流れるように突撃していくしかない。

 勢いづいた一千は、足を止めてどうすればいいかわからない二千よりも強い。

 董卓の起こした濁流に、取り残された二千は瞬く間に飲み込まれていった。



 その様子を高台から見ていた烏吾の顔は血の気が引いていた。


「あ、あ、あ」


 と意味のないことしか言えない。


「まったく、しっかりと強くなっているじゃあないか」


 苦笑するような滇那の声に烏吾は主の方を向いた。


「知って、いるのですか?夷分を倒した者を」

「ああ知っているとも。奴は西潁。かつて戦神を倒した男だ」

「シーエイ……」

「ふふふ。楽しみだ。お前と戦うのが」


 くっきりと烏吾の中にそれは刻まれた。

 西潁、それは敵だ。

 己に恥をかかせ泥中に叩き込み、夷分を殺し、滇那の興味を引く者。

 敵でしかない。


「私に、やらせてください」

「意気込みは買う。だが夷分の代わりはやれんぞ。兵ならいくらでも預けられるがな」

「構いません。私が奴を」

「いいぞ烏吾。その目だ」


 滇那は烏吾の顎に指を這わせ、目を覗き込む。

 烏吾は滇那の瞳から目を反らせない。

 その深い穴の底のような漆黒から。


「ああ」

「狂気を宿せ。戦いの渇望を、戦の神を、お前自身で降ろすのだ」


 それは呪いだ。

 烏吾の目へ、滇那の口から呪いが塗り込まれていく。


 ふう、と息を吐いて滇那は烏吾の顔から指を離す。


「ここは引こう西潁。くだらぬ城攻めなどするなよ。一息に私のもとへ来い。待っているから」


 滇那は撤退の号令を下した。

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