四十六、城を落とす方策のこと
「包囲するには兵が足りぬぞ」
孫羌並びに顔泰が言う。
もうすぐ陽が落ちて、あたりは夜になる。
夜襲が考えられるが、董卓はそれはないと踏んでいた。
向こうはこちらの戦力を知らぬし、悟られぬように動いてもいた。
そして、有利なのは相手だ。
城の中というのは動かずにいることに理由を与える。
無理に攻撃をかけようとは思うまい。
ただ相手が漢の常識が通じぬ以上、確約はできない。
接収、というか焼け残った民家に陣取ってはじまった軍議とも言えぬ話し合いの中でそういう意見が出た。
「完全に囲む必要はないでしょう」
「?」
董卓は土床にガリガリと木の棒で絵図を書く。
四角いのが城、周りにある幾つかの三角が自軍だ。
「今、我が隊に命じて城の周りに旗を立てております」
「旗を用いてそこに兵がいるように見せかける、ということでしょうか?」
意外に鋭い顔泰がそう聞いてきた。
董卓は頷き言った。
「城を囲まれたなら相手はどうすると思いますか?」
「そうですな。包囲の薄そうなところを突破するか、弓兵を集めて攻撃しますかね」
顔泰の意見に董卓は肯定の意を示す。
「ええ。そして、羌族は弓の巧みな者が多くいます。ですがそれは馬を乗り回しながら、です。立ち止まって射るのには慣れておりません」
「包囲していれば当たらぬ、というわけではないだろう?」
「はい。ですから旗と空の鎧兜か何かを置いておくのです」
「包囲の中からの攻撃が効かぬとなれば敵はどう動くと思う?」
孫羌からの問いに董卓は答えず、顔泰に聞いた。
「顔功曹がここから脱した時、どこから逃げました?」
顔泰は董卓の書いた絵図の一点を指した。
「ここだ。ここは城内の井戸から続く抜け道がある……だが脱出の際に潰したぞ」
見つかって追われるわけにはいかんからな、と何かを思い出すように顔泰は言った。
董卓は持った木の棒をずずずと動かしながら、門を示す。
「裏門の周りを開けておきましょう」
孫羌のことも、顔泰のことも無視したように董卓はそう言った。
「仲潁、何がどうしたというんだ」
「太守様、私の騎馬と太守様の精鋭をこの周囲に配置したいのですが」
「私の話を聞かんのか?」
「囲師必闕」
ぼそりと呟いた董卓に、孫羌は合点が言ったように頷く。
「だから精鋭か。ふ、ならば囲んでいる兵らにはせいぜい大声を出すように命じておくとしよう」
「太守様?何がどういうことでしょう」
顔泰はまだわからない、と言うように聞く。
「顔功曹には例の抜け道のあたりに兵を配置しておいてほしいのです」
「なぜだ?」
董卓に対して顔泰は少し苛ついたように聞く。
確かに、董卓は隴西の下級役人でしかない。
郡の功曹という上級役人に対してこの態度は問題がある、と言えなくもない。
それを考えても、顔泰の反応はおかしい、と孫羌は思った。
董卓は、しかし笑顔で言う。
「潰した、といえどそこが城の抜け道であることには違いありますまい。羌らが直して抜け出て来たら、土地勘のある顔功曹に対処してもらうのが良い、かと思いまして」
「な、なるほど」
「確かに仲潁の言うとおりだ。もし、そこで羌の将が出てきたら大功を立てる好機よな」
大功、好機と聞いて顔泰の顔色が戻った。
むしろ、上気しているようにも見える。
「わかりもうした。そこはこの顔揚徳にお任せくだされ」
機嫌よく顔泰が出ていくと、孫羌は真面目な顔をして董卓に聞く。
「怪しいか」
「はじめはわずかな違和感でしたが」
「抜け道の話の時、だな?」
「はい」
抜け道のことを話した時の顔泰の態度はあからさまに妙だった。
「太守を殺した、とは思わんが見捨てた、というところか」
その話題を董卓は続けずに違うことを言った。
「太守様はよく一言で察されましたな」
「囲師必闕、のことだな?」
「はい」
囲師必闕とは囲みの中に一点、穴を開けておくということだ。
敵の周りを完全に囲んでしまうと敵は死にものぐるいで抵抗してくるだろう。
死兵と化した敵は、どんな弱敵でも思いもよらぬ被害を被ることがある。
それを避けるため穴を開けておくのだ。
逃げるところがあれば、敵は安心し死にものぐるいになることはない。
そしてそれは敵はその一点に集中する、ということになる。
そこに精鋭をおけば一網打尽にできる、と董卓は考えたのだ。
その考えを孫羌は一言で理解した、ということだ。
「失礼ながら太守様は兵法に興味がないと思っておりました」
「それは私が阿呆ということか?……くくく、まあ間違ってはおらぬ。武経七書などを読むより戦っている方が面白かったのだ」
「気持ちはわかりますが」
「しかし、それでも孫子だけは読まされた」
「孫子だけは?」
春秋時代に呉の国で活躍した軍師である孫武は、その考えを書に記した。
それは孫子の兵法と呼ばれ後に伝わっている。
そして、孫子を含む七つの兵法書を武経七書と呼ぶ。
その全てを学ぶのは大変なことだが、逆に孫子だけを学ぶというのは聞いたことがない。
「孫武、字は長卿は私の先祖ゆえな」
「は?」
「くくく、驚いたな?仲潁のそういう顔を見るのはなかなか無いことだな」
「本当に……その孫子の?」
「と伝わっている、がまあどうだろうな」
そういえば、孫羌は揚州呉郡の出と聞いた。
孫子こと孫武が仕えた呉とはまさにそこのことだ。
その子孫が現地に残っているのは不思議ではないが。
しかし、孫子の生きた時代からもう五百年はたっている。
瓜商人の子だという孫羌が孫武の子孫を名乗るには、いまいち説得力が足りない気がする。
孫羌自身、それはわかっているようだった。
なのでこれは人心を掴むための話なのだろう。
董卓はまんまとそれに引っ掛かってしまったということになる。
孫羌も外に出ると、民家の中には董卓しかいなくなった。
そこには顔泰に見せた笑顔も、孫羌に見せた驚きの顔もない。
厳しさに満ちた武将の顔だ。
「董大人、言われた通り漢人の死体に兜を被せて木にくくりつけてきました」
静かに声をかけてきたのは王方という青年だ。
彼は王姓であるが湟中から援兵に来た王国とは関係はない。
というか、鮮卑の生まれだ。
この間、董卓を襲ってきた南架宜の隊の生き残りである。
この鮮卑の生き残りに董卓は後ろぐらい仕事を任せていた。
悪い言い方だと使い捨ててもいい兵たちだったからだ。
だが、思いの外王方たちが働いてくれるため、考え直しているところではある。
ただ董卓のことを鮮卑における首領の呼び方である“大人”で呼ぶのは気持ちのいいものではないと思っていた。
「そうか。手間をかけたな」
「いえ。命を助けていただいた恩義はこれで晴らせるものではありませぬ」
あるいは彼らは檀石槐から董卓を見張るために送り込まれたか、とも思ったが、それはどうでもよいか、と思っていた。
妙な関係だが彼とは友人だ。
王方たちに命じたのは孫羌たちに説明したことの、本当のところだ。
旗をたてただけで包囲する兵に見せかけられるわけはない。
人の形、というものがあるかないかで誤魔化せられるかどうか決まる。
と董卓は思っている。
そのために死体も利用していた。
「よし、朝は早いぞ。少し休むといい」
「了解しました」
できることはした。
外にも中にも問題はあるが、なんとかなるだろう。
楽観ではなく、董卓はそう思った。




