四十四、武威郡、羌に荒らされること
檀石槐率いる鮮卑族と、この羌の動きは連動しているのだろうか?
もし、そうなら涼州と并州の外側からの大作戦である。
成功すれば漢帝国の北部に大打撃を与えることは間違いない。
が、その可能性は低いと董卓は踏んでいた。
檀石槐が羌族の中で手を組んでいるのは湟中の北宮伯玉だ。
そして、その配下である王国が董卓への援兵に来ている。
漢帝国の役人であり羌の侵略に対処しようとしている董卓の、だ。
いずれ、檀石槐と北宮伯玉は乱を起こす。
だが、それは今ではない。
もし、羌の侵略がうまく行き、涼州がボロボロになったとしたら、それに乗じて鮮卑が南下してくる可能性はある。
だが、同盟や連動というわけではないだろう。
つまり、この戦いにこれ以上の羌の戦力の増加は無い。
そして、滇那は零晶の邑を襲い、滅ぼした。
短期的に見れば、羌族内で非友好的な先零氏族の動きを抑えることができる一手だ。
だが、長期的に見ると非常に不味い手である。
従わなければ潰す、というのは反乱に繋がりやすい。
檀石槐ほどの力と魅力が無ければ成立しないのだ。
滇那は確かに羌の中心的な氏族である焼当の血を引いており、また“神降ろし”によって戦神の蚩尤の力を得ている。
力と魅力は無いことはないのだろう。
けれど、千万の人を束ねるほどではない。
それにこれからの展望がまったく見えないのが気になる。
涼州の中でも武威、張掖、酒泉の三郡は西方への交易路が通っており、その点では栄えている。
襲う意味はある。
が、そこからどうする?
本格的に漢帝国が反撃に出れば負ける。
今は漢側が初動に遅れをとったために略奪を許してしまっているだけだ。
董卓、孫羌ら隴西からの援軍、金城や漢陽、武都、安定といった被害が無い諸郡の募兵が終わりしだい大軍がやってくる。
漢に破れ、同族からも見放されるであろう、この先を迅は、蚩尤は、ティナはどうするつもりなのだろう。
「ただ、武威郡の功曹の顔泰殿が倉松城に生き残りを集めているとのこと」
「それは良い知らせだな。そうだな?仲潁」
「ええ」
「良し、倉松城に向かうぞ」
孫羌が方針を決めると、兵たちはがちゃがちゃと立ち上がり、行軍のために整列し始めた。
董卓は斥候から戻ってきた張家の密偵に話しかける。
「張家の方はどうであった?」
「屋敷の方はもうダメでした」
「そうか……」
と、董卓は嘆息した。
若いころ、世話になった張烈と初めて会った屋敷、そしてその張烈と戦った中庭も、おそらくめちゃくちゃにされたのだろう。
あの風情ある庭が二度と見れないかと思うと、悲しみと怒りがわいてくるのだった。
「しかし、張烈翁の廟はそのまま残っておりました」
「そうか。そうか……」
あの老人の廟が荒らされなくて良かった、と思う反面、そんなことになったら彼の魄がよみがえってしまうのではないか、とおかしく思った。
隴西太守軍となった董卓たちは、武威郡を進み倉松を目指した。
街道には逃れてきたらしき民たちが着の身着のままとぼとぼと歩いてくる。
なんとか羌の略奪から逃れてきたのだろう。
倉松に近付くにつれてそういった難民はどんどん増えていく。
本当にひどい略奪だったのだ、と董卓たちにも見るだけで伝わるようだった。
明るい孫羌の顔にも苦いものが増えはじめ、その口数は少なくなっていた。
倉松城は倉松県の街であるが、その城は小さく心もとなかった。
羌族は城攻めなどしないが、それでも攻撃されると立ち向かうことは難しそうだった。
出迎えた顔泰はいかにもホッとしたような顔だった。
功曹という郡の中では上の役職だが、人事担当であり軍事については対象外のはずだった。
それでも二百人ほどの難民やら郡の兵らが集まり、それを制御しているのは本人の才覚によるものだろう。
「まるで嵐のようでした」
と顔泰は青ざめた顔で報告した。
倉松城の中、普段は県の役所になっている広間に孫羌と董卓、張済、顔泰が集まっている。
張済がいるのは董卓の腹心ということと、彼が武威郡出身であるからだ。
また、顔泰が張家と並ぶ武威郡の名家の顔氏の出身であるため、家の格も考慮して、とのことだ。
「それほどまでに凄まじい襲撃だった、と?」
太守の孫羌の問いに顔泰は頷く。
「ええ、真っ昼間に衛兵も緩んでいたかもしれません。それでも平原の果てに騎馬隊が見えたと思ったら、もう城門の前まで迫られていたのです」
「城門を閉めるのに手間取ったか?」
「いえ、これでも武威郡の郡治所ではありましたから、敵に攻められた時の対処は万全でした。すぐに城門は閉めることができたのです」
「だが姑臧は落ちた」
「はい。私たちもいまだに信じられないのですが、北門を閉めて襲撃に備えていたところ、羌族らは南門から侵入してきたのです」
「……それは門が閉められたから外を回ったということか?」
「いえ。北門を囮にしたのではないか、と」
「まるで声東撃西の計だな」
と、董卓はぼそりと呟いた。
これは東で声をあげ、相手の注意が向いた隙に反対側の西から攻めるというものだ。
その呟き、孫羌は反応した。
「羌族が計略を使ったというのか?」
昔から羌の戦いというのはある意味単純だ。
騎馬で一気に攻め寄せ、弓を射かけ、馬上からの攻撃で歩兵を蹴散らす。
同じ騎馬で相手をしようにも、漢の騎馬と羌では錬度が天と地ほども違うため相手にならない。
しかし城壁などで防がれたらそれ以上攻めることはできない。
だが、今度の羌族はそうではない。
羌の騎馬の恐ろしさそのものを陽動にして、反対側から攻めてきた。
そうなると、これからの戦いがどうなるか予想もつかない。
蚩尤のせいだろうな、と董卓は予想した。
戦いの神である蚩尤は古今東西の戦略戦術に通じているかもしれない。
羌族でも使える簡単な計なら伝授することもできる、かもしれない。
かもしれない、としか推測できなくて董卓は笑った。
なにせ、蚩尤とは個の戦いしかしたことがない。
個人の武勇としては恐ろしい腕前だったが、それを全体にまで波及することはできるのだろうか。
「仲潁、何がおかしい?」
董卓の笑みを不審に思ったのか、孫羌が聞いてくる。
「いえ、子どもだましとはいえ、頭をひねって訓練したのかと思うとおかしくなりまして」
「子どもだまし……まあ、そうだな。複雑怪奇な兵法とはとても呼べんものな」
「顔功曹、それで羌族はどうなりましたか?」
「本隊は張掖、ついで酒泉へ向かったようだ。だが姑臧にはまだ羌人が残っておる」
いつの間にか話の主導権を握った董卓は「やはり姑臧は早く奪還しなければならないでしょう」と言った。
「早く……?……待て仲潁、そなたまさか」
「ええ。我々で姑臧攻めです」
孫羌は呆れたように口をあけた。
顔泰も呆気に取られている。
姑臧は郡治所にもなっているように郡の重要拠点である。
元々、匈奴の築いた城である。
匈奴が衰退したあとは漢帝国の中に入り、交易の拠点としても栄えた。
城であることから防御力は高く、今回のような変事が無ければ難攻不落の拠点である。
それをこんな寄せ集めで攻めようなど。
「正気の沙汰ではない」
孫羌は思わずそう言った。




