四十三、董卓の兵
湟中から来た王国は、なぜ羌の先零氏族が動けなかったのか、の答えとなる手紙を持ってきていた。
それを受け取り、中身を読んだ董卓は皆の前では気丈に振る舞ったが一人になると気持ちが沈んだことを自覚した。
それは先零の分かれた氏族である零晶が襲われ壊滅した、という知らせであった。
その始末をつけるため、狼凱と先零氏族は動けない、ということだった。
「……」
零晶は董卓が羌の地を旅しはじめたころ、一番初めに世話になった氏族だ。
大雨で荷物を流され、さらに狼に襲われた董卓を救ったのが当時、零晶に居たティナだった。
そういえば、張済とはじめて出会ったのは奴が盗賊団の一人として零晶の邑を襲った時だったな、と董卓は思い出した。
そうそう、その夜はティナの姉スイナの結婚の宴の夜だった。
花夜というその夜をいまだに覚えている。
そのスイナも、夫であるトゥウンも、族長も、皆死んだ。
その知らせは董卓の感情を揺さぶる。
あの邑の人たちには本当に良くしてもらった。
得体の知れない漢人の若者を受け入れて、いろいろなことを教えてくれた。
愛馬の烏騅も零晶で生まれ育ったものを譲り受けたものだ。
襲ったのは滇那率いる羌の一軍だという。
ティナが、ティナが家族もろとも育った邑を。
止めるしかない。
董卓は儒の教えには馴染みはないが、それでも親や家族を自ら手にかけるというのは忌避感はある。
「大将、入るぞ」
部屋に入ってきた張済は薄暗がりにいた董卓にぎょっとしたようだった。
そして、声をかける。
「全員、待機している。あんたの準備ができているなら、いつでも太守様のもとへ行けるぞ」
「わかった」
董卓は立ち上がる。
そして、外へ歩み出した。
張済はその後ろへ続く。
駐屯地の広場には董卓の部隊、五百が整列している。
張済が張家兵のもとへ戻ると董卓は口を開いた。
「張済、李傕、郭汜、樊稠、董旻、王国、姜旦、漢の兵、羌の兵、鮮卑の兵、この五百の、我が才のもとに集った者たちよ」
董卓に名を呼ばれた者たちはハッと顔をあげ、その指揮官の顔を見た。
董卓の顔は落ち着いている。
その口が言葉を続ける。
「敵は羌だ。汝らの中には羌人もおるし、羌の友や仲間を持つ者もいるだろう。だが」
だが、と言って董卓は全員の顔を見渡した。
「しかし、私はそれを敵と見なした。漢人だから、羌人だから敵対するのではない。私がそやつらを敵としたゆえに、そやつらは敵なのだ。お前たちはこの董卓の兵だ。お前たちのやることは一つ、我が敵を」
「倒せ」
静かにその声は響き、一人一人に染み渡っていった。
あるいは董卓の声は、何かそういう作用をもたらすのかもしれない。
援兵に来たはずの王国や姜旦、彼らの兵もまたその熱狂に飲まれていく。
「大将、号令を」
冷静に見える張済すらも、その目の内に興奮を隠せない。
董卓は頷き「出陣」と告げた。
隴西太守孫羌の印を受け、正式に官軍となった董卓たちは堂々と補給をし、戦場へ向かった。
途中、孫羌も彼の私兵を連れて合流する。
「正規の太守軍はまだ揃いませぬか?」
董卓の問いに馬上で風を受けながら孫羌は答える。
「そう責めるな。もうすぐ今年の刈り入れが終わる。そして雪が降る前に徴兵が終わり、軍を揃えられる」
「ここらは雪はあまり降りませぬ」
「そうなのか?私の故郷も雪は降らぬゆえな……」
彼の故郷の揚州呉郡は南の地方だ。
秦帝国に統一される前は呉とか越とか楚といった南のまつろわぬ国々があった。
彼の言う雪が降らぬ、というのはそういう南の気候ゆえだ。
「雪は降りませぬが、大地も水も風すらも凍てつきまする」
「水も、風も、か?」
孫羌は想像したようで、身をぶるりと震わせた。
「冬に河の水を汲み上げて地面に撒くと瞬く間に凍りつきます」
「それほどまでに……なるほど、同じ漢の地といえど北と南ではこうも違うのだな」
孫羌が気候の違いに感想をもらしていると、董旻がやってきた。
「兄上、斥候が帰って参りました」
どうやら、武威郡に放っていた斥候が戻ってきたらしい。
武威出身の張家の密偵たちがそれに当たっている。
彼らの調べたことなら確かだろう。
「わかった。太守様と報告を聞こう」
「ではすぐにつれて参ります」
「うむ」
董旻が斥候を連れてくるためにその場を去ると、孫羌は感心したように笑う。
「なかなかしっかりした弟御だ」
「ええ。私の至らぬところに気がついてくれます」
「……私にも弟がいてな」
「はあ」
「長いこと会っていないが、十一くらいだ」
「年が離れておりますな」
「私の父は瓜商人でな。私の幼いころは苦労していたようだ。母が亡くなった後、私が軍に入り出世すると商売も回るようになって後添えをもらった」
なるほど、孫羌と弟は母が違うのか。
「弟たちは可愛くてな。私のことを兄上、兄上と慕ってきおる」
「私も甥がおりますゆえ、気持ちはわかります」
兄、董擢の息子である阿横はこの間、名を改め董璜と名乗っている。
父母ともに亡くなっているが、まずまずの成長をしている。
董卓の贔屓目もあるが、人並み以上ではあろう。
「で、あろう?やはり、早めに子を作って育てるのもよいだろうな」
「ははは、まずは相手を見つけねばなりませぬ」
「なんだ?出世株の董仲潁殿は嫁はおらぬのか」
「はは。なかなか縁が巡りませぬので」
「ふふ、私が太守の力で良縁を紹介してやろうか……と、まずは目の前の問題を片付けてから、だな」
董旻が斥候を連れてくると、自然に孫羌も董卓も顔を引き締めた。
「報告いたします。現在の武威郡は南はおおよそ平穏であります。しかし姑臧から北、顕美、休屠、宣威、武威の各城は激しい略奪にあい、開城しております」
「姑臧は武威郡の治所ではないか、郡治所まで落ちたのか」
郡の反撃が行われないことを董卓は、いまだ徴兵が遅れているせいか、と思っていたが実際はそれどころではなかったことがわかった。
反撃どころではない、郡の治安維持そのものが崩壊しているのだ。
漢の役職について記した書には“太守郡を専らにし、庶績を信理し、農を勧め貧を賑わし、断辟を決訟し、利を興し害を除き、郡姦を検察し、善を挙げ悪を黜し、暴残を誅討す”とある。
要するに郡の中の政治と警察をまとめてやるのが太守の仕事なのだ。
郡治所と太守が失われるということは、郡のまともな活動ができなくなるのと同義だ。
「太守殿はどうだ、ご存命か?」
「わかりませぬ。逃げたという噂もあれば、殺されたとも」
「まずいな……仲潁、護羌校尉の段熲殿とは連絡が取れたのか?」
護羌校尉は漢帝国における対羌族の役職であり、今任命されている段熲は羌族の間でも名の知れた名将である。
これほどの規模の侵略ならば、まず彼が出てこなければならないはずだった。
「段熲殿は并州刺史でもあります。そして并州では鮮卑が威を増しているため、離れるわけにはいかぬ、とのこと」
「どいつもこいつも!」
孫羌は癇癪をおこしかけた。
明るい太守の素顔がかいまみえて面白かったが、そうも言ってられない。
董卓は斥候らに話の続きを促した。




