四十一、乱のはじまり
「兵士らはどうしますか?」
「希望する者は受け入れ、帰りたい者がいたら并州に送ってやれ」
戦いで大変なのは戦後処理だと、かつて董卓は羌の豪帥たちの前でぶちあげたことがある。
それを今、実感している最中である。
董卓と董旻は二人で話している。
敵兵の処理と論功行賞だ。
残った敵を放っておけば、野盗になり新たな敵になる。
そうならないようにするには始末するか、こちらで登用するか、だ。
ただ今回は相手が鮮卑の兵で送り込まれただけの者もいるため、返すのも手だ。
その後は誰が活躍して誰が失敗したかという情報をもとに褒賞を決める。
それを見定める軍監という役目の者が必要なのだが、今は董旻がやっている。
兵卒はともかく指揮官の人員が不足している董卓の私兵隊ではそういう余裕のある配置はできないのだ。
なにせ、十六、七である李傕や郭汜、樊稠といった若者が騎兵を指揮しているくらいなのだ。
だが若さは時間がある、ということでもある。
董卓はそう考える。
若いうちから指揮官の経験を積ませておけば、年を取って分別がついた時、同世代を超える老練な指揮官となる。
「しかし、兄上。そろそろ軍資が尽きそうです」
「だろうな」
郡役人といえど董卓は武功を挙げているだけの若者に過ぎない。
高給を与えられているわけではない。
それでも三百人を率いていけるのは、羌族から羊などを譲ってもらったり、商人の劉甲からの援助だったり、張家の持ち出しがあるからだった。
それに加えて討伐の報償金もある。
だが、どう考えてもこのままだとどん詰まりだ。
立場に見合わない兵力を持つ、ということはそれを成すための何かを持っていなければならない、ということだ。
「略奪でもしますか」
冗談のように、しかし半ば本気で董旻は言った。
誰よりも隊の内情を知っているのはこの弟である。
その旻がそう言うのならいよいよだ、ということだ。
「略奪はなあ」
一応、漢帝国の内でのしあがる予定なので略奪などは極力控えたい。
ただ、略奪は羌族をはじめとした異民族の常道であるし、やらざるを得なくなれば自分はやるだろう、と董卓は自認している。
「ならば兄上。嫁をもらいなされ」
「はあ?」
あまりにも董旻がぶっ飛んだことを言ったように思って、董卓は妙な返答をしてしまった。
「兄上ももう二十六でしょう?奥方を迎えるのには遅いくらいです」
「それはわかるが」
「奥方の実家に援助してもらうんです。兄上の感情は二の次ですよ」
なかなか計算高いなことを言う、と董卓は弟を見直した。
昔はもっと可愛げがあったがどうしてこうなったのだろう。
もし董旻が答えるなら、無茶苦茶なことをやる兄の補佐をするためにこうならざるを得なかったと言うかもしれない。
「しかし、俺は家柄は良くないし、役人といっても下っぱだぞ。そんなところに嫁に来るものかね?」
何を詰まらんことを言っているのだ、とでも言うように董旻は兄を見た。
「兄上は董家の家長なんですからもっと自覚を持ってください」
「自覚とは」
「兄上は隴西のみならず、涼州全体の若者の中でも抜群の武功をたてております。そんな兄上の将来性を買う人はきっとおります」
計算高いことを言うと思えば、今度は熱いことを言う。
熱意に押されるよりも、弟の情緒が少し心配になる。
ともあれ、今は仕事が残っている。
嫁取りの話は後にして、二人は黙々と仕事を続けた。
軍資金の問題は一時棚上げされることになった。
延熹五年(162年)
連年続いた羌の侵略はついに大規模な侵攻となった。
涼州の西北部である酒泉郡、張掖郡、武威郡を襲撃し、甚大な被害をもたらしたのだ。
その羌族の大軍を率いている者は、名を滇那といった。
この大事に涼州各郡の太守たちは出兵を決め、それぞれの郡で陣触れが出された。
もちろん、董卓のいる隴西でも、だ。
その知らせを受けた時、側にいたのは張済だった。
「こいつは……彼女か?」
長い付き合いだけあって張済はすぐに羌の首領の名前と彼女を関連付けた。
「おそらくな」
「俺はあの夜のことをあんたに聞いてない。彼女は死んだ、と思っていた」
あの燃える蚩尤殿で、兄と兄嫁の亡骸を横に俺はティナと戦った。
彼女は羌族のまつろわぬ戦神である蚩尤に乗っ取られていた。
なんとか神を倒すことはできたが、そこにいた忍氏族の豪帥の迅によって毒を盛られ、彼女は連れ去られた。
その記憶は刻み付けられていて忘れることはできない。
それでも口にするのはひどく辛いことだった。
相手が張済でなければ喋りきることなどできなかったかもしれない。
「……というわけだ」
「……そうか。そんなことがあったのか」
張済もまたあの夜のことを思い起こしているのかもしれない。
「俺は太守に直言して討伐軍に加えてもらうつもりだ」
「そうだな。そうだろうな。普段なら止めるが今のあんたは止められない」
「今までのぬるい相手ではないぞ。もしかしたら羌族の精鋭が相手になるかもしれぬ」
「ふは。それこそ張一家の本領発揮というところだろうよ」
「そうか……頼りにしている」
そんな董卓たちの決意からさかのぼること数ヶ月。
涼州の三郡を襲う前の羌族の騎馬軍は一つの氏族の邑を前にしていた。
「……準備はできたか」
先頭に立つのはティナだ。
その顔にはかつての少女らしさは無く、厳しげな指揮官の色をしていた。
その体を支配しているのは蚩尤だが、彼女自身の心もまた神の精神と溶け合っているようだ。
だから、これから下す命令は間違いなく彼女の意思によるものだ。
「問題なく」
と副官の烏吾が答えた。
二十になったばかりの若者だが、その武勇、知略は人並み外れている。
「では火矢を射かけよ」
「よろしいのですか?」
「何がだ」
副官の問いにティナは訝しげな顔をする。
「ここは零晶の邑でしょう?」
「ああ。我ら羌の大連合を拒んだ先零と同族の零晶だ。ここを潰すことで、先零も我らの決意を知るだろう」
「あなたの姉夫婦、姪に甥もいるとか」
ティナの顔に一瞬、迷いが見えたように烏吾は思った。
だが、それはすぐに消えた。
「問題はない」
「……わかりました。始めます」
烏吾は号令を下した。
羌族の精鋭騎兵たちが一斉に零晶の邑へ攻めかかる。
射ちだされた火矢は赤い閃光となって筋を引きながら、邑へと進んでいった。
やがて、邑は炎上した。
「古きを焼き払い、新たな大地にて新たな羌とならん」
夜襲、かつ火矢での攻撃は効果的に過ぎた。
抵抗する間もなく、零晶の邑は炎上し次の日の朝には消滅した。
もう、そこにはティナの過去は無い。
同族すら襲うティナの軍隊に、他の羌族は恐怖した。
自分たちの邑が襲われないように積極的に傘下に入る氏族も現れだした。
そして、涼州三郡の襲撃がなるころにはティナの軍勢は膨れ上がり、郡単位の抵抗など瞬時に打ち破られてしまうまでになっていた。
そして、燃え上がる零晶の邑から一組の親子が逃げ出したことにティナは気付いていなかった。
「頼るしかありません。漢人にして羌の王帥となる資格を持ったもののところへ」
幼子を抱き、夜闇を駆ける母はそう呟いた。
「西潁。彼の名前は隴西の潁という意味。私たちの活路は彼に頼ることだけ」
生き残りの親子は生きぬくためにその足を進めていくのだった。




