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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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三十九、繰り返す歴史と変わっていく時代

 大将軍梁冀は死んだ。


 延熹二年(西暦159年)8月のことである。


 事の起こりは、今上の皇帝の皇后が亡くなったことだという。

 梁女瑩りょうじょえいというその女性は、その姓のとおり梁冀の妹であった。

 皇帝の寵愛を受けたが、彼女は兄、そして皇太后であった姉の権勢をかさに、傲慢かつ贅沢な振る舞いに耽っていた。

 その様は、皇帝ですら彼女の機嫌を損ねるのを恐れているようだったという。


 だが、皇太后である姉が亡くなるとその権勢にも陰りが出始めた。

 皇帝は他の妃に寵愛を移し、彼女は遠ざけられていった。

 嫉妬にかられた彼女は皇帝の子を孕んだ妃たちを死に追いやり、しかしそれがきっかけで完全に皇帝からの愛情を失ってしまった。


 憂悶のうちに彼女は亡くなった。

 それがこの夏の事である。


 外戚の権勢の源は、皇帝の寵愛を受ける皇后の存在である。

 それがなければ皇后の一族の権威は落ちる。

 それを知っている梁冀は新たに梁猛女りょうもうじょという女性を後宮に送り込んだ。

 彼女もまた見目麗しい女性であり、すぐに皇帝の寵愛を受けることになった。


 だが彼女は実のところ、梁一族の血を引いていなかった。

 彼女の実父はとう氏であり、父は早くに亡くなった。

 母親は、梁紀りょうきという人物に再嫁した。

 この梁紀だが、梁冀の正妻の孫寿そんじゅの母の兄弟という梁一族としてはかなり遠い血縁であり、その養女という彼女は厳密に言うと梁一族ではない。

 後宮に入れるに当たっては、梁冀の妻、孫寿の養女という体で入っていた。


 それを知った皇帝は思った。

 ならば、これ以上梁冀に権力を握らせる理由はないではないか。

 と。


 梁冀に対する皇帝の気持ちは、もうすでに憎悪の域に達していた。


 きっかけこそ皇后の死であるが、その始まりである梁冀の専横は後漢の第八代皇帝である順帝劉保のころから始まっている。

 順帝という人は先代の外戚が好き勝手をして、それを宦官と共に討ち権力を取り戻した人物ではあるが、宦官に大きな権力を与えすぎてしまった人でもある。

 その均衡を保つためか、妻の父の梁商りょうしょうを大将軍に任じ、政務に参加させた。

 梁商は宦官と融和し、権力を濫用することはなかった。

 だが、梁商が死ぬとその子である梁冀が後を継いだ。

 彼は専横を欲しいままにした。

 順帝はその暴走を止めようとしたが果たせず亡くなった。

 二歳の沖帝が即位すると梁冀は清流派官僚らを粛清し、権力を握り続けた。

 この沖帝は三歳で亡くなった。

 梁冀の暗殺も噂されている。

 次に即位したのは沖帝が幼かったため、遠縁の劉家から新たに質帝が選ばれた。

 曾祖父が四代目の和帝の弟という彼は即位はしたものの、あまりにも目に余る梁冀の振る舞いを見て「跋扈将軍」と揶揄したために殺されてしまった。

 その後を継いだのが今の皇帝である。

 先代のことは聞いている。

 この帝位がけして天上の暮らしを保証するものでないことを知っている。

 梁冀の妹である妻は高慢で、他に愛した女性は殺された。

 宿っていた我が子も。


 己の意思を示したら、おそらく己も殺されるだろう。


 ならば先に梁冀を倒すしかない。


 皇帝が臣下に操られるという状況が既におかしいのだ。


 皇帝が頼ったのは宦官だった。

 宦官は後宮で仕えるため、男性器を去勢した男である。

 皇帝の側にいるため、その意を汲みやすい彼らは皇帝の味方だ。

 逆に皇帝を自分の意思で染めることもした。

 なので、この皇帝の梁冀への憎悪が、皇帝自身のものか、出世欲にまみれた宦官たちのものかはわからない。

 梁冀にとっては結果は同じだとしても。


 そのやり方は奇しくも梁一族を取り立てた順帝のものと同じだった。


 いや、これは中華の歴史の中でずっと繰り返していることなのだ。

 外戚が権力を持つ。

 皇帝は近くにいる宦官を使い、外戚を粛清する。

 宦官が権力を持つ。

 皇帝は妻の一族を頼り宦官を粛清する。

 そして外戚が権力を持つ。

 この流れを皇帝も踏襲しただけ、とも言える。


 皇帝は近くに仕えていた小黄門史の唐衝とうしょうに相談した。

 そこで唐衝は、気骨ある仲間として単超ぜんちょうらを紹介した。


 そして、単超らは動いた。

 梁冀派の宦官らを捕縛し、悟られる前に司隷校尉を動かし梁冀の屋敷を包囲した。


 絶望した梁冀は妻子、孫に至るまで自害。

 一族は捕縛され、処刑された。

 梁冀に連座して処刑された高官は数十人、免官された者は三百人以上になったと言われる。

 そのため、朝廷の役人が一時的に空になったとも伝えられている。


 また没収された梁冀の財産は膨大で、国家の租税の半分ほどになったと言う。



 包囲された梁冀の屋敷を遠くから眺めながら、士到は一つの時代の終わりを感じていた。

 梁冀は多くの密偵を雇っていたが、その多くがこの状況を予想していなかった。

 こうなることはありえる、と誰もが思っていたが、それは今ではないとも思っていた。

 それは皇帝と宦官の動きがあまりにも早かったことと情報封鎖が完璧だったことが挙げられる。


 宦官は皇帝に仕える。


 自身の男根すら切り落とすほどの覚悟で宦官になった者達である。

 自身の出世が皇帝そのものに左右されることを理解している。

 その秘密を漏らされることは信頼されているということ。

 その秘密を他者に漏らすことは信頼を裏切るということだ。

 己の出世のためにそんなことはしない。

 だから皇帝の秘密が宦官から漏れることはほぼ無いのだ。


 密偵 (のようなもの)である士到がその妙な動きに気付けたのは、涼州で出会ったある青年の言があったからだ。


「梁冀殿はもう長くないぞ」


 と彼は言っていた。

 その言葉が妙に頭に残っていた士到は、朝廷の中の動きと後宮の動きを注視することにした。

 その中で、梁冀たちのやり過ぎと後宮に入れた猛女の詐称に気付いた。

 これが露見した時に起こることは大変なことになる。

 そう確信した士到は徐々に梁冀から距離を取り始めた。


 給金は破格だったし、やることをやっていれば文句も言われない職場だったため、密偵仲間からは訝しげな目で見られたが士到は気にしなかった。

 金よりも命だ。


 その同僚たちは今ごろ、宦官たちに斬られているころだろう。

 本当にギリギリだった。

 五年かけて取った距離が宦官の察知網のギリギリ外側だった。


「やれやれ、これはあの青年に借りを返さねばならんな」


 そう呟いて、士到は新たな主のもとに向かった。



 梁一族の、文字通り消滅によって漢の朝廷の様相はがらりと変わった。

 単超ら宦官らが大きく出世し、朝廷の要枢につくことになる。

 例えば、単超は二万戸を与えられ、新豊県侯に封じられた。

 宦官が諸侯の一員となったのだ。

 ともあれ、単超自身はこのすぐ後に病を得て、翌年には亡くなってしまう。

 だが、この宦官の大出世が漢王朝の腐敗を大きく加速していくことをこのときはまだ誰も知らない。

 繰り返される歴史が、いつしか大乱を引き起こし、暴虐を呼び込み、国を割り、そして漢王朝自体を破壊してしまうことも。

 新たに三人の英雄が現れ、天下を三つに割ることも。


 いまだ誰も知るよしもない。

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