三十八、羊の羮
「なんだ、どういうことだ?」
豪帥たちの雰囲気が変わったのに董卓は気付いた。
「忍氏族の提案は却下だ。あまりにも危険すぎる」
狼凱の答えに豪帥たちは頷く。
「狼凱殿?」
「羌族の意思は無理な戦いを忌避することに決まった。その上で董卓に望みを託すことに賛同するか、皆の意見を聞かせてくれ」
「狼凱殿!?」
狼凱は董卓に向き合った。
「今回の会合を開いた真の目的はお前だ」
「俺が……なんだと言うのだ」
「お前は羌の地をめぐり、羌人と交わり、そして羌の王帥を見た漢人だ。お前につき従えば羌は無益な戦いによってではなく、発展できると私は思った」
「俺はただの無力な若者だ」
「ただの無力な若者が漢の外を旅し、各地の豪帥に認められることなどない。私たちはお前を認めたのだぞ」
「私は董卓殿に羌を託そう」
と当煎の樊隗邑が言った。
「我が主は約定によりお前に従うことはできぬ、が忍氏族の支持はせぬ」
続けて李文が言った。
約定とは李文の主である北宮伯玉と鮮卑の檀石塊との密約のことであろう。
いずれ漢に反旗を翻すゆえ協力はしないが、今が時期尚早だと北宮伯玉も理解している、ということだ。
「もちろん、先零もだ」
狼凱が頷く。
零吾の犀楽も同意した。
結果、董卓に望みを託すと宣言した氏族が十五、従いはしないが忍氏族に協力はしないと決めた氏族が十六だった。
忍氏族と共に立つ氏族は一つもなかった。
「それで羌のお偉いさんで俺を囲んで何をしろと言うんだ?」
どうしようもない流れだと理解して、董卓は会合の円座に加わった。
「そうだな。賛同した諸氏族からそれぞれ騎馬兵を十人ずつ出そうか」
狼凱はさらっと言ったが、これはとんでもないことだ、と董卓は思った。
賛同した氏族は十五。
それぞれ十人来るということは、董卓は一夜にして百五十の騎馬隊を指揮することになる。
精鋭の騎馬兵が百五十人もいれば、それはもうひとかどの戦力である。
羌族にしろ、張烈にしろ、俺にかける期待が大きすぎないだろうか。
「俺に何をさせたいのだ」
「そうだなあ。お前は漢の中でのしあがっていくのだろう?」
「ああ」
それは昨夜、ガアカに言ったことだ。
狼凱はガアカの主なのだから話を聞いているのかもしれない。
「その時、漢の軍事の中枢にいるお前の戦力が羌人だったなら、羌族は漢の中で勢力を伸ばすということになる」
「そうかもな」
「もしも羌族が蜂起して三輔地方に攻め寄せたとしよう。その時、お前が、お前の軍隊がそれを防ぐ。その結果、どちらが勝ってもそれは羌の勝利となる」
なるほど。
本来の羌族の他に、漢の軍隊の中に羌人がいればどちらにしろ羌族は生き残る。
個人ではなく、民族が生き残ることを優先するなら、それは英断だろう。
ただそれはもしも戦場で出会ったら親兄弟でも戦わなければならない、ということである。
その覚悟は……あるんだろうな。
羌族のためなら、娘でも見殺しにする男を董卓は見たことがある。
あれが、忍氏族の迅が羌人の本質とは思わないが、近いものはどの羌人にも備わっているかもしれない。
まあ、問題は俺がそこまで出世するかどうかだ。
俺自身は武の訓練は欠かしていないし、兵法なども勉強中である。
ただ漢帝国の内部は腐敗していると評判であり、伝手や金が無ければ仕官もできない。
潁川の県尉を勤めたくらいの家柄ではとても中央には食い込めない。
ならば武功を重ねるしかない。
誰もが認める圧倒的な武勇でのしあがるのだ。
幸い、そのための力は手に入れつつある。
羌族の騎馬兵。
張家の武人達。
俺に何かを見いだした人々が預けてくれる力だ。
「俺はその力を俺のために使うぞ」
「無論だ。お前の行く道が羌の道となろう」
狼凱は満足そうに言った。
会合は他の議題に移った。
董卓は天幕の外に出て風に当たっていた。
もう春が来る。
そんな匂いがする。
後ろに気配を感じて、振り向く。
「郡役人くらいには伝手がある。使うか?」
「孟卿殿、会合はいいのですか?」
「私は代理だからな。主が興味を持たないことに関わらぬ方がよい」
「本音は?」
「羌の中に生きていても根はやはり漢人なのか、と軽く衝撃を受けていたところだ」
要するに話についていけずに飽きた、というところか。
「孟卿殿は隴西の出身でしたか」
「古い知り合いがいる」
「お願いします」
ほお、と李文の片眉があがった。
「お前はそういうのは嫌いかと思ったがな」
「足踏みをしてられなくなりましたので」
「豪帥たちの期待など気にすることなどないのだぞ」
「いえ、俺はその全てを背負ったまま、俺の天意を成します」
「そうか。ならばいずれ我らは敵同士になろう」
なぜ、とは聞かない。
漢に降り、しかし漢への反意を抱いている北宮伯玉。
そしてその部下である李文はいずれ漢と敵対する。
その時、おそらく漢の軍人である董卓は戦うことになる。
「その時が楽しみです」
「剛毅なことを言う」
と、李文も満足そうに笑った。
会合は夜半まで続いた。
そして夜が明け、豪帥たちは三々五々、それぞれの氏族のもとへ帰っていった。
そして数日もすると、それぞれの氏族から牛や羊が贈られてきた。
それぞれの氏族から、である。
三十ほどの氏族が送ってきた動物たちは董家の庭で鳴いている。
どうやら、耕牛をつぶして自分達を歓待してくれた董卓への礼であるらしい。
「羌の方々は太っ腹じゃなあ」
と父の董雅が、寝込んでいる場合ではない、と動物たちを囲う柵を作っていた。
豪帥たちが来たときに驚いて起きてきたのだが、彼らが去ってから妙に元気になっていた。
兄の死から立ち直ったわけではないだろうが、立ち直ろうとはしているのだと董卓は感じていた。
「牛は耕すのに使いましょう」
「お前は……それでよいのか?羌の、その仲間になるのではないのか?」
「父上。俺は羌人たちを使うことになるでしょうが、羌人にはなりませんよ」
「そうなのか」
「ええ」
「羊の肉はこっちに来てからよく食うようになった」
「匂いで好き嫌いが分かれますね」
「わしは好きな方だがなぁ」
なんだか急に聞きたいことができて、董卓は父に問うた。
「なぜ、潁川からここに移ったのです?」
「ん。聞きたいか?」
「ええ」
「わしはな。口もうまくないし、腹芸も苦手だ。かといって賄賂というのもできなかった。仕事だけ専念していたらなあ。讒言にあったのだ」
部下か同僚かはわからないが濡れ衣を着せられ、父は県尉から追い落とされた。
「それでなんで涼州に?」
潁川の人が来るにはここは遠すぎる。
「何もかも嫌になって逃げるように来ただけじゃ。そのせいで擢には苦労をかけた。嫁をとって子もできて、これからという時じゃったのになあ」
親より先に子が死ぬ、それはやはり辛いことなのだ。
いくら親への孝と謳っても辛いものは辛い。
「父上。今夜は羊の羮にしましょう」
「そうさな。煮込んだ肉は格別じゃものな」
相変わらず、この臨洮は山がちで展望が開けていない。
しかし、山の隙間から見える陽光は、それはそれで趣深いと、今の董卓は思う。
手に入れたものも失ったものも、たくさんある旅だった。
そして、これからも多くのものを手に入れ、そして失っていくのだろう。
董卓はそんなことを思いながら、父の後を追った。




