三十五、失敗と後始末
「無事だったか」
嬉しそうな張済の笑顔に董卓は出迎えられた。
「俺は、な」
「嬢ちゃんは……一緒でないのか?」
董卓は力なく首を横に振った。
「そうか」
とだけ張済は言って、ふらつく董卓に肩を貸した。
「失敗した」
と呟く董卓に「そうだな」と答える。
蚩尤方は確かに瓦解した。
蚩尤殿は炎上し、もう役人の追及を受けることはない。
何もかもきれいさっぱり燃え尽きてしまった。
兄の董擢、兄嫁の心那は死んだ。
張家の密偵たちも亡くなった。
忍氏族の豪帥である迅は逃げ、ティナも連れ去られた。
蚩尤方から家族を引き離し、怪しい策動を食い止めようとした董卓の行動は確かに失敗したのだ。
「だが助かった。俺一人では何もできなかった」
「これからどうする?」
道しるべの役目は終わってしまった。
どうするか。
「わからん」
「そうか……。張家は武威に帰る。当主に顛末を説明せねばならない」
「そうだな。孟遠殿に俺が謝っていたと伝えてくれ」
「……お前に賭けている者がいる。辛いだろうが、折れるなよ」
「折れぬさ」
「なら、いい」
張済らは身支度を整え、武威郡の故郷に帰っていった。
董卓は焼け跡となった蚩尤殿の前に戻った。
何も無くなった自分の、拠るべきところを欲していたのかもしれない。
しかし、そこには蚩尤殿の残骸はもとより、もとの己の家であった董家の面影すらなかった。
本物の臨洮の役人たちが検分をしている。
「これはひどいな」
「ええ。まさか全焼とは……」
「不穏な噂もあったものな」
という役人の会話を横に聞く。
「おい、ここはまだ危険だ。立ち入りは……ん?……お前、董仲潁か?」
姓名を呼ばれたのは久しぶりだった。
その声の方に董卓は顔を向けた。
「董仲潁だが……」
「良かった、生存者がいたか」
このままだと火災の生存者として事情を話さねばならない。
昨夜のことは隠しとおさなければならない、と董卓は直感し、ここにはいなかったことにした。
「いや、実は旅に出ていて今帰ったばかりなのだ。火が出たのか?父上、母上は無事か!?」
徐々に感情を表すことで、事情を知らない者が察していくように見せたのだが役人に通じただろうか?
「なんと!それは運が良かったかもしれん。実は夜半に火が出てな。一気に屋敷を燃やしてしまったのだ」
通じたようだ。
同情してくれた役人はことの次第を話してくれた。
ここが怪しげな宗教の拠点となっていたことを県の役人も把握していたようだ。
なのでその儀式に火を使い、それが出火の原因だろうとされた。
そして、その儀式を主導していた董家の若当主の董擢とその妻が火に巻かれ亡くなったようだ、とも。
衝撃を受けた演技をしながら、頭の中では自分や張家の手勢のことは露見していないと判断する。
董卓は知らなかったが、蘇右権ら蚩尤方の画策で建物内で怪しい儀式をしていたという情報は役所に流れていた。
夜半の火事からの今朝の検分という素早い動きはそのせいでもある。
「兄夫婦のことはわかりました。ですが父母や弟もいたはずなのですが」
「ああ、そのことか。どうもここと折り合いが悪かったらしくてなあ。ここから離れた所に住んでいるぞ。案内しようか?」
「場所だけ教えてもらえれば」
「わかった」
役人に礼を言って、董卓は父母のいる離れの家に向かった。
「兄上!よくぞお戻りになりました!」
出迎えてくれたのは弟の董旻だった。
たった一年しか離れていなかったのに、やけに成長したように見える。
「旻!苦労をかけたな」
「私などより、父上、母上のほうが」
「……悪いのか?」
「母上は阿横が急に帰ってきたので呆けてられないと子守りをしておりますが、父上が」
長男である董擢が自らの失火で亡くなったと聞いて、父の董雅はがっくりと落ち込んでしまったらしい。
離れの家は、かつて住んでいた家と比べると一回りほど大きく造られていた。
もちろん、蚩尤殿やら紅旗殿のような無駄に豪勢な建物ではないが。
父母を離すことに董擢の中にも罪悪感はあったらしい。
せめて立派な家で暮らしてほしい、ということか。
そこに走り回る阿横と追いかける母の姿があった。
「卓!帰ってきたのかい!ああ、擢が」
「長らく心配をかけました、母上。実は元の家のところで役人から話を聞いたのです」
「そうなんだよ。火事を起こしたらしくてね」
「焼け跡から兄上たちが見つかった、とか」
「本当なら葬式をしなくちゃならないのだけれど……ねえ」
と母は家を見た。
父がどうやら伏せっているらしい。
喪主である父が動けないので葬式もままならないようだ。
まさか、十三、四の董旻がするわけにもいかないだろう。
「俺が父上と話してみよう。葬式はせねば」
「そうだねえ」
母は母で気落ちはしているようだが、孫の阿横に振り回されて逆に元気をもらっているようだった。
董卓はもちろん阿横のことは覚えている。
だが、まだ物心つく前に董卓が家出をしたため、阿横の方はよくわからないようだった。
不思議なものを見るように阿横は家に入っていく董卓を見ていた。
叔父さんですよ、と母が言っているのを背で聞いた。
「父上、お加減はいかがです」
やけに豪奢な着物を床に敷き、その上に父親の董雅は横になっていた。
かけられている着物も豪華なものだ。
そういえば、母も阿横も都風の立派な着物を着ていたことを思い出す。
これは蚩尤方から追われた時に施されたものなのだろうか、と想像する。
「卓か」
「ええ、卓です」
「いかんな。擢が死んだ、と聞かされてどうも足が立たなくなった」
「病、といっても心の病というやつでしょうか」
「そうかもしれぬ」
そういえば、こうやって父子で落ち着いて話をしたのはいつ以来だろうか。
幼いころにしてから、かもしれない。
「酷なことを言いますが、兄上の葬儀をせねばなりますまい」
「そうよな」
「もし、父上が動けぬならば」
「お前が喪主をするとよい」
「父上」
「そうすれば内外に董家の家督はお前が継いだことを示せるであろう」
父親はこんなに弱々しかったろうか、と董卓は思った。
後継ぎが亡くなるということが、これほどに人を弱らせるのか、と。
だが、子を無くした親の気持ちは董卓にはわからない。
ともあれ、覚悟はできた。
董卓が董家の家督を継ぐ。
そこから董卓は家に残っていた財産を最低限残して処分した。
それで得た金で董擢の葬儀をあげる。
本来、故人が本当に死んだか確かめる“魂呼び”の儀式や死装束を着せたりする儀式があるが、董擢も心那も亡骸は焼失したため、それらは大きく削り、死者に供物を捧げ、棺には故人の残した服などを入れることとした。
また、早朝と宵に“哭の礼”を行う。
これは故人を思い泣くという儀式だ。
都の方の正しい儀礼では昂る気持ちを足踏みで示したり、宗廟をたてて亡骸を安置したりするらしいが、この辺境たる涼州ではそこまでしなかった。
また弔問客も、怪しい集団の元締めをやっていた董擢が交遊関係を切っていたこともあり、少な目ではあった。
ともかく、董卓はそれらをやり遂げ、名実共に董家の家督を継いだことを示したのだった。




