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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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三十四、炎の果てに

「蚩尤相手に戦えるとは、君もまた傑物なのかね」

「さてな」

「ふむ。まあ、よい。彼女は連れていく」

「いや、返してもらう」

「この娘は羌における最後の希望なのだ。漢民族に虐げられてきた我らがその刃をもって反撃するためのな」

「やるなら、己の器量でやれ。神やら血やらに頼るな」

「若い意見だ。老人にはそうできぬのだ。もう己の限界が見えておるゆえな」


 董卓は言葉をつむぎながら迅の隙を探していた。

 だが、その一挙一動に突けるような隙は見えなかった。


「そう諦観するまえにできることがあったはずだ」

「若いな、董卓」


 瞬くような白い点が董卓の視野に閃いた。

 それは攻撃あるいは回避できる隙であり、また向こうの行動の予兆である、と知ってはいた。


 だが、その対応できる一瞬があまりに短すぎた。


 投げられたのは火だった。

 それが何かは咄嗟にはわからない。

 火のついた何か、ということしかわからない。


 それは董卓の目の前に落ちた。


 ティナや張家の密偵たちが油を撒いた場所に。


 ぼうっと橙の光が見えた。

 董卓は跳ねるように飛び退いた。


 火のついた何かは油の染みた地面に着火し、一気に燃え上がった。

 火のつくのは予定どおりだが、火勢が強すぎる。


 火が董卓と迅、そして迅に抱えられたティナを隔てる。


「ティナ!」

「お前にこの娘を手に入れることはできない」


 ごうごうと燃える火の中ですら迅の声ははっきり聞こえた。


「それを決めるのはお前ではない!」

「この娘は羌の王帥だ。羌全ての運命を背負った者だ。お前一人で羌族全てを背負うことはできまい?」

「そんなことで俺が怯むと思うな。娘一人に全てを背負わすなど、恥を知れ」

「ふっふっふ。集団を統治するには旗印となる者が必要なのだ。それは絶対に必要なものなのだ。そもそも、恥など我らにはない。土地も人も奪われた時に恥など失くしたのだ」


 迅は何かを投げた。

 火の壁を突き抜けたそれは飛鏢だ。

 真っ直ぐに飛んできたそれは董卓の腕を狙っていた。


 だがその程度、白点を見るまでもなく弾くことができる。


「無駄だッ!」


 しかし、その瞬時に迅の姿は炎の中に消えていた。


「目に見えるものに騙されぬことだ。若き董卓よ」

「迅!」


 ささやくような声と共に迅の気配すらも消えていく。

 それは同時にティナもいなくなる、ということだ。


 立ち上がり、炎に突っ込もうとした董卓だったが、だが強烈なめまいに襲われ立つことができなかった。


 毒か、と声を出すこともできず董卓は倒れた。



 紅旗殿の中庭で起こった火は瞬く間に建物にうつり、紅旗殿、そして蚩尤殿も巻き込み炎上した。

 その建物の中の蚩尤方、いや羌族の忍氏族の者や董擢、心那らの亡骸も荼毘にふすように燃え盛る。

 忍氏族の隴西における拠点、あるいは董擢の漢の大将軍への反意も何もかもが終わり焼けていく。

 建物全てが燃え尽きるまで、業火はやむことなく燃え続けたのだった。



 死んだような眠り。

 そこから頬を叩かれて董卓は目覚めた。


「ここは……?」


 さっきまで紅旗殿の中庭で、迅の撒いた毒に冒され倒れていた、はずだった。

 だが、ここは人気のしない森の中だ。

 遠くに炎の赤が見える。

 あれは蚩尤殿が焼ける色だろうか、と董卓は直感する。


「起きたか」

「お前……士到……か?」


 董卓の側にいたのは奴婢の士到だった。

 だが、その風貌には蚩尤殿の中にいたころの卑屈さや心細さみたいなものは無かった。

 どちらかといえば、自信に満ち溢れているという印象を受ける。


 士到は懐から革の水袋を取り出し、董卓に「飲め」と言った。

 そういえば喉が乾いていた、と董卓はそれを飲む。


 ひどく苦い。


「なんだ、これは」

「解毒薬だ。吸っただけの毒なら無害にできる」

「なんでそんなことを」


 不意に目の前の奴婢の青年が、まったく違うものに見えた。

 董卓の頭の中に、今までの情報がより集まり、一つの形にピタリと填まった。


「私は」

「大将軍、梁冀……」


 士到の眉がピクリと動いた。


「お前はやはり、知将型だな」

「ああ?」

「私は梁将軍配下の、そうだな密偵のようなものだ」

「密偵か」

「の、ようなものだ」


 どうやら士到にはこだわりがあるらしかった。


「で、なぜ、ここで正体を隠して奴婢の真似事をしていた?」

「手続き的にはまごうことなく奴婢だぞ?私は正当に董家に買われているからな」

「雇い主はもういない」

「そうなるな……真の意味での我が主は、武威郡における梁家の家督が変わったことに不審を覚えた」

「それは……奴らの」


 忍氏族は武威郡でも宗教組織のようなものを造り、武威郡の豪族や富豪から支持を得ていた。

 そのうちの一つ、梁家の家督を忍氏族が乗っ取った、と董卓は張烈からの書状で知った。


「我が主の本貫地は涼州安定郡。武威の梁家などは分家の分家に過ぎぬ。それでも主は危惧した」

「用心深いのだな」

「千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ、言うからな。どんな小さなことでも調べねば気が済まぬのだな」

「それで、武威梁家が乗っ取られていることを知ったお前はどうしてここにいる?」

「家督相続の不備をついて梁家は元の血筋に戻る。幸い、武威郡の張家をはじめとした豪族らから嘆願が来ているゆえな」


 張烈の起こした行動がこうやって結果に繋がっていっているのだなあ、と董卓はそんなふうに思った。


「それで収まったのか」

「その組織の本丸は隴西郡は臨洮に向かったことがわかった私は、その組織の内部を探ろうと奴婢として潜入した」

「そして、俺と出会った」

「調べるうちにその傀儡となっていた男が我が主への反意を抱いていたことを知った」

「それで潰そうと?」

「その男には力が無かった。才もないし、身の丈に応じた慎みもなかった」

「……俺の兄のことだろ?」

「家族のことを馬鹿にされると怒りに火がつく。それは美徳であり弱点だ」

「ご教示ありがたく受けとる」


 立場が逆転したのを感じている。

 密偵、といいつつ士到の今の姿は武将とかそういうものに見える。


「お前の兄の反意は小さかった。おそらく実現しないし、させる気もなかった。家族の中の愚痴でしかなかったそれを羌人共が利用した。それを見ていられなかったのかな、私は」

「俺が来なければどうするつもりだったのだ」

「さてな。しかしお前が来た。そして奴らは動き、そして奴らの大半は死に、そして全ては炎上した。私はほとんど動かずにだ」

「俺だけが骨を折ったようだな」

「なのであの場から連れてきてやったろう?解毒薬も飲ませたし、ああ、それにお前の甥も連れ出しておいたぞ」

「阿横を、か?」


 約束したのだ。

 兄嫁、心那の死に際の最期の願いは阿横を頼む、だった。

 それが守られたことにホッとする。

 

「お前の父母の家に置いておいた」

「そうか。助かった」

「さて、と私は行く。ここでの仕事は終わったからな」


 士到は立ち上がった。


「なあ、余計なお世話かもしれんが」

「ん?」

「梁冀殿はおそらく長くないぞ」

「そうかもしれんな」


 皇帝の外戚、大将軍。

 位人臣を極めたといえる梁冀は、その権力の強さから皇帝からも疎まれている。

 それはまだ知られていないが、洞察の塊である“目”を持つ董卓にはその歪さがなんとなく感じられる気がした。


 士到はそれに答えず去っていった。

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