三十三、蚩尤対董卓
振り向いたティナは、いつもと違っていた。
中庭には死体が溢れていた。
張家の密偵たち、兄の董擢。
そして、今にも息絶えようとしている兄嫁。
「仲潁殿……お願いがあります。阿横を、頼み、ます」
死に行く彼女が最期に願ったのは息子のことだった。
そこで董卓は「わかった」と答えた。
この状況は、正直わけがわからない。
忍氏族の豪帥が張家の密偵たちを皆殺しにしたとか、ティナと心那が“神降ろし”をされて戦いあったとか、董擢が妻をかばって刺されたとか。
そんなことを知るよしもない董卓は、しかし了承したのだ。
確かに心那、兄嫁のことは苦手だった。
しかし、一時は家族だった。
笑いあったこともあった。
共に食卓を囲んでもいたのだ。
「ありがとう」
最期に微笑んで、心那は逝った。
「あとは、お前か」
静かに佇むティナは、いつもの様子とはまったく違って見える。
「……」
「張家の奴らを全て殺せるとは思えぬ、しかし、兄上と義姉上を殺したのは間違いなく……お前だな」
「最後の贄はお前だ」
こちらを向いたまま、予備動作無しにティナは攻撃してくる。
董卓の視界に白い点が現れる。
輝きの度合いからこれは“弾き”の点だと直感、剣を振る。
張烈との戦いで開眼した反応の白い点を、董卓は使いこなすことができている。
もちろん、それに頼りきることはないが大きな武器ではある。
ティナの剣はひどく重かった。
女の腕からこの威力が出るなど信じられない。
「何がどうなっているやら」
攻撃を弾かれたティナは勢いのまま、くるりと回り二撃目に繋げてくる。
その回転切りの威力が最大に達する前に白点が現れる。
これも弾き、か。
なんとなく嫌な予感がして、董卓はギリギリで回転切りを避けることに専念する。
「おかしいな」
と回転を止めて、再び構えるティナは呟く。
その声は低く、いつものティナでないことを裏付けている。
「何がおかしい?」
「今のは高威力の攻撃で、受けても切られる。ただ最大威力に達する前なら弾けるように見える」
あのいやにハッキリ見えた白点だろう。
あそこで弾くことができる。
「弾けると俺も思った、だが」
「攻撃がもし弾かれたならば、そこを起点に逆回転し、蹴りが無防備な相手の顎を砕く奥義“乾坤剣”だったのだがなあ」
まともに受ければ叩き切られ、弾こうとすれば逆回転で蹴られる。
そもそも、初撃を弾いたところから繋がる技がこんな必殺の威力を持つとは。
一体、ティナはどこでこんな技を覚えたのだ。
そして、やはり俺は知らない技に対する反応は鈍いようだ。
「乾坤剣、覚えたぞ」
「ふくく、技の一つ見たといって。それで私に勝てるとは思わぬことだ」
ティナはまたも予備動作なしで接近してくる。
これは歩き方だろうな、と突きだされた剣をかわしつつ、攻撃していく。
「お前は誰だ」
「蚩尤だ」
「しゆう……」
案外簡単に答えてくれたな、と思いつつ董卓はそれは戦いの神であったな、とも思い出していた。
蚩尤殿、という建物の名前はこれに関わりがあったのか、と腑に落ちる。
そして、少し前に聞いた話も連想する。
忍氏族の許の奥義は“神降ろし”だったことを。
「光栄に思え。羌の血も引かぬ者が神と戦えることを」
「人の世に関わってくるな。そして、その体を返せ」
「それはできぬ。羌の血を引くこの娘は決闘によって王帥の資格を得た。神たる私が忌まわしき黄帝の末裔の国を滅ぼすのだ」
もし、これが本物の蚩尤なら、その恨みは本当なのだろう。
古伝にいわく、炎帝神農の子孫であった戦いの神、蚩尤は黄帝に反乱を起こし魑魅魍魎を引き連れて戦った。
結果、蚩尤は敗れ、手足に枷をはめられ命を落とした。
勝った黄帝は古代中国の支配者となり統治した。
人の時代となり、中華の地を支配した夏、殷、周、秦の各王朝は黄帝の子孫であるという。
その黄帝の子孫が治める中華を蚩尤が取り戻そうと思うのは仕方ないのかもしれない。
が、ティナの体を使うのは話が違う。
返してもらう。
ティナはもう選んだのだから。
俺についてくると、決めたのだから。
蚩尤の攻撃を回避しながら反撃の白点目掛けて剣を振るう。
董卓の振るう剣は蚩尤に軽く阻まれる。
「返せ」
「なあ、お前、剣は不得手だな?」
「まともに戦う訓練をしたのはここ一年だからな」
甘ったれた家出する前の董卓は、若者らしい喧嘩の腕にはある程度自信はあったし、狩りをしていたから弓の腕も確かだった。
が、その程度だ。
当煎氏族の豪帥、樊隗邑と棒術の真似事をしたり、武威の張烈の槍に翻弄されたりしたくらいだ。
だから、今こうやって戦いの神に対抗できているのは生来の目とそこから発展している白い点が見える能力のおかげだ。
なので、蚩尤がそれに対抗するように手持ちの技を次々と繰り出してくると、とたんに董卓は追い詰められていく。
「よく見える目を持とうとも、兵主神たる蚩尤に勝つことなどできぬ」
確かに、蚩尤は強い。
だが、勝算がないわけではない。
蚩尤は俺を倒せば勝ちだが、俺の勝利条件は蚩尤からティナを取り戻すことだ。
戦闘不能に持ち込めばいいのだ。
例えば足を潰す、気絶させる、手段は色々だ。
だが、その狙いを表に出せば察して蚩尤も潰そうとしてくるだろう。
気取られぬように戦闘不能に持ち込むのだ。
二度、三度と剣を交え、女と思えぬ剛力に押される。
その攻撃の度に軋むような音がしている。
そして、その好機が訪れる。
交錯した剣を押す蚩尤の腕力が緩む。
ぼぎ、という鈍い音をたててティナの右腕の骨が折れたのだ。
同じく神降ろしをして足が砕けた心那同様、ティナの肉体にも大きな負担がかかっていた。
それが今、こうして現れた。
それだけのことだ。
董卓は動く。
緩んだ攻撃を力まかせに弾く。
それによってティナの剣その手から離れ空にくるくると舞い上がった。
「次は足だ」
董卓は手から離れた剣に注目している蚩尤の足元を刈った。
腕の骨が折れたことで集中力も途切れたか、蚩尤は足への攻撃をまともに食らい、バランスをくずして倒れた。
「己!」
董卓は倒れた蚩尤に馬乗りになり、水月と肩口を殴り付ける。
水月は突かれると呼吸に影響が出て動きにくくなるし、肩口は腕が動かせなくなる。
ティナに直接ダメージを与えずに動きを止めるためにこういった攻撃をするしかない。
足を折ることも考えたが、この先ティナが馬に乗ることを考えたらそこまではできなかった。
草原を自由に駆け回ることを彼女は好んだから、それを奪うことはしたくなかった。
「これ以上手荒なことはしたくない。彼女から離れろ」
「私は、この体に定着しつつある。簡単に離れられるものかよ」
「うだうだ言わずに出ていけ」
「そうされると私が困る」
周囲への警戒が疎かになっていたことに、蹴り飛ばされてから董卓は気付いた。
ごろごろと転がり、油の匂いがする庭の端で止まる。
「お前は」
「私は迅。忍氏族の豪帥だ」
それが目指していた者のことだ、と董卓は気付いた。
忍氏族を探してきた旅。
その終着点だ。
「そうか。俺は董卓だ」
名を聞いて迅は笑った。




