三十、蘇右権という男の走馬灯
蚩尤方の指導者の一人、あるいは羌族の忍氏族の一人である蘇右権は待ちに待った知らせを聞いて、思わず浮かびそうになった笑みを隠しながら立ち上がった。
夜着のままの案内の娘に、後はこちらで対処すると告げ休ませる。
ホッとしたような娘を見ながら、蘇右権は歩きだした。
思えば五年は長かった。
武威郡での梁家の乗っ取りが成功し、羌族の活動できる土地を得てから次の目的地である隴西郡の調査を始めた。
途中、知己となった張家の密偵を思わず殺してしまったのは失策だったがそれ以外はなかなか上手くいったと思う。
隴西の南にある臨洮は郡全体から見ると外れの場所にあるが、裏を返せばそこからは漢帝国の外になるということ。
つまり、この地を押さえれば漢に敵意を持つ異民族らがここから自由に出入りできるようになるということだ。
羌族全体の総意であるところの連れ去られた氏族らと呼応しての大乱のための一手だ。
そのために臨洮ではある程度力を持ちつつも、外様である董家を取り込み、ここに拠点を作る作戦が始まったのだ。
その一手目として、乗っ取った武威梁家から縁談を持ちかけた。
董家の後継ぎである董擢青年は年も近く、美人であり、気立てもよい心那にたちまち夢中になった。
そして、徐々に臨洮董家はこの忍氏族に取り込まれていく。
忍氏族が立ち上げた宗教団体、蚩尤方も信者を集めつつ拡大していく。
次男の卓が家出をしたのは好機だった。
董擢と違い、次男は何かしら考えている風だったため、蘇右権や心那は大きく動くことをためらっていたのだ。
その次男が居なくなったことで、蚩尤方は動いた。
董擢を教団の良師に据えて、家族を分断し、父母と弟を追放した。
承認欲求に飢えていた董擢は良師と崇め奉られるうちにすっかり良い気分になり、蘇右権らの言うことを疑いなく聞くようになっていた。
家族を切り離されたことも、そうしなければ良師の霊性を保てないと言われれば問題にしなかった。
うまく行っていたのだ。
教団は臨洮で無視できぬ勢力となり、県令とも繋がりができた。
県令は良師ではなく、蘇右権らとの繋がりを重視してくれている。
密告があればすぐに動くとの密約もある。
商人の劉甲に董擢の世迷い言を聞かせて、密告させる。
そこまで準備は整っていた。
そこで蘇右権は苦い顔をした。
ここ数日のことを思い出したからだ。
家出をしていた次男、董卓が帰って来たのだ。
その風貌は甘さが消え、切れ味が増した刃物のような雰囲気をまとっていた。
どこで何をしていたのかはわからぬが、成長してきたのだ。
一年ほどで石ころが玉にまで変貌したような、そんな印象を受けた。
そんな男が急に帰って来たことで、計画に支障が出ることを蘇右権は危惧した。
だが、董卓は特に動くこともなく、紅旗殿に籠ったままだった。
そして、予定どおり劉甲は董擢の話を盗み聞きし、県の役所に向かって走り出した。
で、今だ。
県の役人がこの蚩尤殿の前に来ている、との報告だ。
さきほどまでの苦さもどこへやら、蘇右権は踊りだしたくなるような気持ちを見せぬように歩いた。
門の外は松明の明かりで夜がそこだけ逃げている。
あの明るさならば、確かに十人ほど来ているようだ。
よしよし、と蘇右権は頷く。
これで隴西での雌伏の期間は終わりだ。
董擢と董家の全員を捕らえてもらい、大将軍への反逆で処刑してもらう。
それにはおそらく、忍氏族の娘である心那も巻き込まれる。
だが、彼女は覚悟している。
羌族のために命を捧げることを是としている。
彼女の犠牲を無駄にはしない。
ここ臨洮は漢と西南の異民族の勢力との境目だ。
ここを抑えることで漢に反意を持つ諸部族を誘引できる。
それはいずれ起こる羌族の大乱の時に漢の軍隊を惑わす一手になる。
武威郡は抑えた。
隴西も押さえつつある。
あとは金城郡になんらかの拠点を作れば、涼州の中の羌族の拠点が繋がることになる。
湟中から金城、分岐して隴西と武威、武威から北上すれば先零氏族の土地まで止められることなく行き来できる。
漢の中を羌族が自由に行き来し、異民族が際限なく入り込む。
それはもう、涼州の漢の支配が終わることを意味する。
羌族が漢に復讐するのだ。
「お待たせしました。この屋敷の……家宰でございます」
蘇右権はあらかじめ県令と示し合わせていた合言葉を言った。
この宗教団体にはふさわしくない単語“家宰”という単語だ。
これを言えば、県の役人は事情を察するはずだ。
「なるほど。この家の者が反乱を企んでいるという知らせがあった。夜分にすまないが調べさせていただきたい」
応対した役人が意外に若そうだったことに蘇右権は違和感を覚えつつ、真面目な表情は崩さない。
「ええ、それはもう。今、門を開けますゆえ」
と閂を外し、門を開ける。
入ってきた集団を見て、違和感はますます大きくなっていく。
なにせ、全員が覆面をして顔を隠した黒装束なのだ。
「意外だな。こんなに簡単に入れてくれるとは」
「仕方なかろう。こいつらにとって、これは仕込みがうまく行ったと思わざるを得ない状況なのだから」
最初に応対した若い男、そしてそいつと会話していた若者の声を聞いて蘇右権の顔色が変わる。
「お、お前は!?」
「ようやく気付いたか」
「董卓!?」
名を呼ばれて董卓は覆面を取った。
「俺はもう決めたのだ。済まぬな」
「え?」
蘇右権は左肩に熱さを感じた。
それは胸元を通りすぎて脇腹まで一直線に駆け抜けていく。
ごぼり、と喉から熱い液体がせりあがり、口からあふれた。
どおっと蘇右権は地面に倒れ、そして動かなくなった。
その最期の瞬間まで蘇右権はわけがわからないままだった。
「ふむ。一刀か」
「しくじったな。ここで騒ぎを起こさねばならないのに悲鳴もあげなかった」
シーエイの腕前に張済がうなっていると、シーエイ自身は納得していない様子を見せる。
「なに、騒ぐのはこちらでやればいいさ」
張済は笑うと建物の入り口に体当たりした。
バキバキと音をたてて扉が割れた。
蘇右権が開けてたので無理に壊す必要はなかったのだが、これは音を建てるのが目的だ。
その意味では悪くない手かもしれない。
ただ。
「おい、ここは俺の家だぞ」
「悪い悪い、だがどうせ火を付けるのだろう?」
「それはそうだが」
「ならせいぜい派手に壊さないとな」
入り口の破壊される音を聞いて、奥から蚩尤方の者たちが集まってきた。
「さて、寸劇は終わりだ。ここからは張家の武力、見せてもらうぞ」
「まあ、とくとご覧あれ、だな」
戸惑っている蚩尤方に張家の武人たちが襲いかかった。
人をどんどん集めてティナたちの活動できる時間を稼ぐ。
最終的にはこの建物を含め、全てを灰にするのだ。
そのころ、ティナは見張りも居なくなった蚩尤殿の裏側から侵入していた。
張家の密偵と共に各所に油を撒き、火を付ける準備をしていく。
家の構造的に火が連鎖するように油を撒くやり方は密偵の方が得意そうだったのでティナは任せていた。
やがて、入り口の方から騒ぎが起こったのだろう怒声が聞こえてきた。
ティナは密偵たちと頷きあい、作業を進めていく。
「何をしているのです!」
そう詰問する声がしたのは、そのすぐ後だった。




