二十八、蚩尤殿の夜のこと
「あの良師の弟やらが帰ってくるとはな」
「ああ、計画も大詰め。五年をかけた計画を無為にするわけにはいかぬ」
薄暗い部屋の中で二人の壮年の男が話し合っている。
紅旗殿、の一室である。
となると、彼らは董擢の言うところの蚩尤方。
その本当は、羌族の忍氏族である。
「武威の梁家を乗っ取り、その娘として心那をこの董家に送り込んで五年。そろそろ良師様には消えてもらわねばならぬ」
「ああ。漢人の大将軍に対する敵がい心を煽る策は上手すぎるほど上手くいったゆえな」
「役所へ密告する者の手筈は?」
「問題ない。我らと繋がりのない商人に良師の内緒話を聞かせる手筈は整っておる。大将軍への反乱は重罪、三族まとめて死罪よ」
「心那は覚悟を決めておる。父母本人妻子兄弟まとめて消えてもらい、このふくれあがった教団と土地屋敷を我らが戴く」
「うむ。羌による涼州の縦断。じわじわと涼州に羌の血を広め、各地の羌と北の草原、湟中の羌を結び、大乱を起こす」
「それはまだ道半ば、武威、隴西、そして金城の三郡を掌握せねばならない」
「うむ。まずはこの隴西を奪うことを成功させよう」
二人の羌人は厳しい顔で頷きあった。
「ということを言っておられたのです」
既に夜半。
シーエイは外で待つ張済らにどのようにか連絡しようと外へ出ていた。
そこに、昼間から何度か話をした奴卑の若者が話しかけてきたのだった。
その話はまさにシーエイが望んでいた答えだった。
忍氏族の者らの目的、そして董家を乗っ取り、隴西に拠点を得る方法をべらべらと話していたのだった。
「なるほど、それでお前はどうするつもりなのだ?」
「わ、わたくしが、ですか?」
「俺たちはお前の知らせを聞いたことで動かざるを得なくなった。であれば情報を流したお前は蚩尤方の奴らと敵対することになる」
「え、ええ?」
「そもそも、なぜ私に知らせた?」
「そ、それは。良師様に話しても信じてはいただけないでしょうし、心悌女様は教団側のお方です。それに他のご家族は離れの屋敷に居りますため、話すこともできません」
「だから、俺、か」
心悌女とはどうやら、蚩尤方の中における兄嫁、心那のことらしい。
兄の董擢が大擢良師孟高君。
兄嫁の心那が心悌女。
名付けかたがどうも漢の定法ではなく、どこか異邦感があるのは羌族の者が作り上げたからだろうか。
「わ、私はどうなるのでしょうか」
奴卑が主人を裏切ったら、どんな罰を受けても仕方がない。
死すらも生ぬるいような罰を与えられる可能性すらある。
奴卑はある意味、人ではなく商品だ。
主人に対して、従順というのが商品としての奴卑の価値だ。
その従順さに金を払って主人は購入する。
それが無ければ商品の価値は無い。
この奴卑の将来は閉ざされた。
だが、それは奴卑としてであり、人としての未来は無ではない。
「お前、名は?」
「士到と申します」
「そうか、士到。俺と共に来い」
「あなた様に、ですか?」
「そうだ。俺と共に来ればお前を人として扱う」
「人として……?」
「まあ、裏切れば死ぬが」
「ひ、ひぃ」
怯える士到を横目にシーエイは張済からあらかじめ渡されていた笛を吹いた。
この笛は音が鳴らない、が犬などには聞こえる音が出ている、らしい。
張家の武人がその音を聞けるのか、それとも専用の犬がいるのかはわからない。
怯え続けている士到が耳を抑えているが、まさか聞こえているわけでもあるまい。
しばらくして、紅旗殿の中庭に黒い装束の張済が現れた。
「まるで間者だな」
「元盗賊だからな」
「確かに」
張済は草原で賊をしていたのだった。
そのことを思い出した。
「連絡が遅いぞ、シーエイ」
小柄な黒装束が一人いると思ったが声でティナだとわかった。
「お前も来たのか」
「迷惑そうに言うなよ」
「迷惑とは思っておらぬ」
「本当か?」
「それでこいつはなんだ?」
張済が士到を指差す。
「情報提供者だ」
「ほう」
「ここが羌人の、忍氏族が作ったものであるのは間違いない」
「そうか」
「そのうえで」
と、シーエイはさきほど士到から聞いた話を張済らに聞かせた。
大将軍に謀反の意を示した董擢らを郡の役人に告発。
主犯として董擢らを差し出し、残った資産、拠点、人員らはそのまま忍氏族が運用する。
「なかなか荒い策だな」
「だが結果的にうまく行きつつある」
張済の感想通り、この策は荒い。
董擢の性格がもっとまともだったり、父の董雅がもっとしっかりしていればこんな蚩尤殿などは建てることはできない。
隴西の者がこいつらを信用しなければそもそも成り立たない。
がうまく行っているのは下調べがしっかりできていたとか、武威郡での成功体験があったからだろう。
「で、あんたはどうするつもりだ?」
「まずは告発を止める必要がある」
「商人とやらが役所の行くのを止める、のだな?」
「うむ。そのうえで蚩尤方の奴らには告発が成功したと思わせる必要がある」
「商人が動いたら俺たちも素早く対応する、だな」
「そのためにこいつがいる」
と、俺は士到を指した。
「奴卑を、信用するのか?」
「ここでは奴卑だが、俺はこいつを人間として扱うことにした」
「しかしなあ」
「なに、こいつは裏切らんよ。すでに一度蚩尤方を裏切っている。二度の裏切りをしたら誰もこいつを信用しなくなる」
「そうかねえ」
「それにこいつの話を蚩尤方に聞かせることもできる」
「ん?どういうことだ」
「こいつが密告したことを知ればこいつは殺される。そして蚩尤方は俺を襲うか、取り込むかするだろう。そうなった時の策も俺にはある」
「ひ、ひい、お助けください」
自身の命が危ういと悟った士到は地面に頭をこすりつける。
「顔を上げろ士到。お前が妙な動きをせねばそうはならぬ」
「本当ですか?」
「ああ、もちろんだ」
安心したような顔の士到。
「自分の危うい状態がまったく去っていないのに安心するのか」
「だから奴卑なんだろう」
とティナと張済が話している。
「蚩尤方が動いたら知らせる。それまで待っていてくれ」
「わかった」
「それと一つ頼みたいことがある」
「ん?」
張済に頼みごとをし、その場は解散となった。
張済とティナたちが去ったあと、士到が質問してきた。
「あ、あのあなた様は一体何者なのですか?」
「俺か?」
「はい」
「俺は、まだ何者でもない。ただの董卓だ」
「とうたく、様……」
「俺のことはもういい。お前は蚩尤方の様子をうかがいつつ普段通りの仕事をしろ」
「はい……もしバレたら?」
「安心しろ、ああは言ったがお前を切るつもりはない」
「え?」
「お前は内通者だ。俺の知り得ぬことを知るお前を簡単に切るわけはあるまい」
「そ、そうですか」
「だからこそ、お前の情報には価値がある。お前の知らせ如何で俺の動きが決まる」
「わ、わかりました」
「頼むぞ」
夜の森を駆けながら張済が呟いた。
「変わったか、大将は」
「何がだ」
とティナが聞き返す。
「あんなに人を信用する男か?」
「言い方が悪いな……まあ、久しぶりに会った家族が信用できなかったんだろ。あいつはあれで寂しがりやだからな」
「女の余裕か」
「言い方が悪いぞ」
意外と気の合う張済とティナは駆けていった。




