二十七、家族だった者と再会すること
講話の途中でシーエイは奴卑の若者に連れ出された。
膝についた土埃を払って、静かに大広間を出ると若者は床に頭をすりつけた。
「良師の弟君とは知らず失礼をいたしました」
「失礼なことなどない。そう言えと言われたのか」
「わたくしめは何も」
「あまり奴卑を苛めるものではありませんわ」
羌人の衣裳を身にまとった兄嫁がこちらへやってきた。
彼女は奴卑の若者を払うように手を振った。
いくぶんホッとした顔で彼は逃げるようにその場を去っていった。
まあ、良師の妻と弟に苛められることがなくなったのだから笑顔にもなろう。
「ご無沙汰しております。義姉上」
「ふふふ。ありがたい話を聞きたかったのはわかりますが、忍び込むように来るのは良いことではありませぬ」
「いえいえ、久方ぶりに帰ってみれば家がすっかり様変わりしておりましたので、やむにやまれず」
「こうこうこういう理由でした、という知らせは出したのですよ。けれど貴方はあっちこっちへ、ふらふらとしていましたので届かなかったようですね」
蠱惑的、あるいは妖艶な笑み。
昔はこれが武威郡の名家の貫禄なのか、と怯んだことを思い出す。
「義姉上は……そういう服の方が美しく見えますな」
急に誉められて虚を突かれたか、彼女の妖艶な気配が薄れた。
うむ、このくらいなら耐えられる。
「ふ、ふふふ。しばらく見ないうちに口の方が上手くなりましたね」
「羌の言葉と漢の言葉を使いこなす義姉上に比べれば大したこたはありませぬ。それとも、武威の梁家ではみなそうなのですか?」
約一年ぶりに見た兄嫁。
その異様に似合う羌の服を見てシーエイは確信していた。
彼女は羌人だ。
そう、そもそも彼女は武威郡の名家から嫁いできたはずだった。
もし、そうなら彼女は漢人のはず。
この矛盾を解消するには、張烈からの書状の内容を思い出す必要がある。
忍氏族によって、武威郡の梁家の分家が乗っ取られた、という話だ。
彼女はそこからやってきた。
ここを武威に続く隴西の拠点とするべく。
そのことを含めた言葉に、彼女はほんのわずか顔を歪めた。
「賢しげに戯れ言を、本当にあなたは気に入らないですわ」
「奇遇ですね。私も義姉上が嫌いです」
今にも斬りあいに発展しそうな雰囲気になりかけた、がそこに気の抜けた声がかけられた。
「おう、卓。帰ってきたなら帰ってきたと言ってくれ。ほら、心那も話が弾むのもわかるが久しぶりの弟をゆっくりさせてくれないか」
良師の格好のまま、兄の董擢が二人に話してかけてきたのだ。
「はい、旦那様」
と瞬時に猫をかぶる兄嫁にたじろぎつつ、シーエイも敵意を抑えた。
「まったく、講の中にお前を見つけた時は驚いたぞ」
「私も兄上の立派な姿を見て驚きました」
「ふふふ。方僊道の方士の礼装だそうだ。……とここではなんだ。紅旗殿の方でゆるりと話そうではないか」
「こうきでん?」
「ああ、我々の住んでいる場所だ。後ほどお前の部屋も用意させよう」
「そこに、父上も母上も?」
そう聞くと董擢はばつの悪そうな顔をした。
「それがな……ちと心那との折り合いが悪くてな。離れたところに住んでもらっている」
「さようですか」
「だが、向こうには旻もおる。心配はいらぬよ」
弟も切り離しているとなると、董家は完全に董擢の、いや心那をはじめとした忍氏族のものとなっているのだろう。
これがティナと共に探し求めた羌の氏族でなかったら、屋敷に火でもはなって灰にしてしまえば楽なのだが、そうもいかない。
そもそも、一度出ていった身だ。
董家がどうなろうと知ったことではない。
だが、どうにも怪しい忍氏族を放ってもおけない。
それに、この忍氏族の許からティナに教えを授けてもらわねばならない。
となると、心那と仲良くしなければならなかったが、初手から下手を打った。
まあ、挽回できないほどではない。
あれもこれもと言っていては何も成せない。
一番の目標であるティナへの教えを成立させるのが大事だ。
そのためには、彼らの内情を知らねばならぬ。
情報が必要だ。
「ならば安心ですな。ではその紅旗殿とやらに参りましょう。聞きたいことも多くござります」
「うむ。早速、参ろう」
兄弟と、兄嫁は蚩尤殿の大広間から離れた。
広間の中では信者たちの集会がまだ続いているようだった。
しかし、紅旗殿か。
赤い旗、というのは軍旗だ。
それも、蚩尤に由来する。
問題は、その紅旗というのが高祖が使った旗だということだ。
高祖、すなわち漢帝国の初代皇帝である劉邦だ。
うがった見方をすれば、漢帝国の皇帝に成り代わる、という解釈をされても仕方の無い建物の名である。
兄はその建物がどれだけ凄いのか、を歩きながら話している。
ので、その紅旗に込められた意味について知らないようだ。
知っていれば、こんなに無邪気に話したりはできないだろう。
蚩尤殿も紅旗殿も、この集団の中核である忍氏族がつけた名前なのだろう。
箔をつけるためなのか、それとも深い意味があるのか。
蚩尤殿の大広間から歩き、いくつかの階段と廊下を通る。
かつては森だったそこには、立派な建物が建てられていた。
なるほど、これなら自慢したくなるのも無理はない。
「ここには兄上たちだけで住んでいるのですか?」
「いや、私と心那、阿黄の家族と蚩尤方の皆が住んでいる」
兄と兄嫁、そしてシーエイにとっては甥にあたる四歳の阿黄はわかる。
だが。
「蚩尤方?」
「うむ。我々は蚩尤を崇める蚩尤方という教えで人々を救っている。そのために働く方々だ」
それはつまり、忍氏族、ということか。
「蚩尤とは戦神でしょう?それは崇めるとはどういうことです?」
「あまり大きな声で言うなよ。漢帝国の中枢は一人の悪漢によって牛耳られている。そのため良臣は隠れ、良民は虐げられ、良識は薄れている。我々はいずれ漢帝国を倒し、良なる世を取り戻すのだ」
「……兄上、それは」
「お前も、外の世界を見てきたのだろう?自由な羌の世界を。ならばわかるだろう?我々は梁冀を倒し、自由な良を取り戻すのだ」
兄の口ぶりは正気のように聞こえた。
だが、その目は狂気に満ちていた。
何が、彼をそうさせるのか。
梁冀というのは漢帝国の大将軍だ。
涼州安定郡に生まれた彼は、生まれた時すでに皇帝の外戚の一族だった。
父である梁商の死後に大将軍に任じられ、妹を順帝に嫁がせ、婚姻関係をさらに強化した。
後に涼州で活躍する皇補規や張奐が隠れ住むことになった原因の男だ。
今代の帝にも妹を嫁がせ、その権威は頂点に達している。
確かに漢帝国にとって彼は重要人物であり、そして獅子身中の虫であった。
だが、それをおおっぴらに倒すなどと口にして大丈夫なのだろうか。
いくら、人が集まりつつある団体だとはいえ、相手は帝国の大将軍である。
手も足も出ないと思うのだが。
そもそも、涼州の片田舎の青年と帝国の重鎮に何の関係があるのか?
帝国から排除したくなるほどの恨みを持つ理由とは。
あるいはそんなものは無くて、何かに操られている、とか。
紅旗殿の中に入り、他愛もない話から少しでも情報を引き出そうとシーエイは根気強く話を続けた。
肝心な情報を董擢が口にしようとすると、心那が止めてくる。
それでも、シーエイは少しずつ事態を把握しつつあった。




