二十五、選択の前に
金城の山道を進む倍以上の早さで、二人は隴西に到着した。
これも冀県の姜常のおかげである。
借りた馬車は快速で、街道も整っているためだ。
襄武から鄣を経由するうちに聞こえてきたのは臨洮で広まっている怪しげな集団の話だった。
「いわく、臨洮の民は天神を奉じている。それは天道を正し、あるべき姿に戻すのだ、という」
そういう噂をシーエイは聞いた。
その時は、方僊道の一種かと思った。
戦国時代に端を発するそれは、神仙の使う方術を扱う教えである。
はるか東方の斉とか燕の国でそのような宗教集団があったと聞く。
秦の始皇帝が不老不死を求めたり、封禅という儀式に凝りはじめたのもその方術を使う方士の影響だったとも聞く。
シーエイが住む涼州でも、羌との境である金城郡の臨羌という県に昆崙山という山があり、方僊の一派が住み着き修行をしているとも聞いた。
その昆崙系の方士かと思ったのだ。
だが、ティナの発言でそれが間違っていたと認識する。
「羌族の思想に似ている」
「天、か」
「ああ。天とは敬うもの、その意志に従い、羌はあるがままを生き、あるがままに死ぬ」
「そいつらはあるべき姿に戻す、と言っているそうだが?」
「地に足を付けた暮らしも私は否定しないが、羌にとって地とは駆けるものだ。もし、そいつらが羌ならばあるべき姿とは草原を遊牧し、狩りをし、旅をすることだ」
「草原の生き方、か」
「うむ。けれどこれは推測だ」
しかし、シーエイはもう一つの草原の民の特徴を思い出していた。
それは奪うことを是とすることだ。
そこにあるものは皆のもの、ならば誰が使っても良い。
草原の中なら通用する掟も、外に出るとそれは恐怖を伴う暴力となる。
定住し、育て、蓄えたものを奪っていく草原の民は、ゆえに中華の民から忌み嫌われ恐怖されたのだ。
もし、その集団が忍氏族だとしたら。
どういうつもりなのだろうか。
さらに先に進み、もう明日には臨洮に入るところまでたどり着いた。
そこに、早馬を乗り継いできた張済が追い付いた。
「当主からお前についていくよう命じられた」
「それはありがたいが、一人か?」
「俺は伝令も兼ねていたから一人で来たが、張家の中から十人ほど引っ張ってきた。あとから合流する手はずだ」
「わかった。助かる。どうにも不穏でな」
「当主からの書状だ。どうやら似たような情報のようだな」
張家の当主である張烈は、一度忍氏族と会ったことがある。
その後、再度移動した彼らを追わせたが、間者が行方不明になっていたらしい。
それもふまえて、忍氏族が武威郡で何をしていたか調べてくれていたのだ。
張済という腕利きを送ってくるということは、かなりまずいことになっているのかもしれない。
シーエイはそんな予感を抱きながら、書状に目を通した。
張烈によるとだいたいこんなことになっているとのことだった。
五年前より威霊鎮護を目的とした宗教団体がはびこり、武威郡の富豪、名家の幾つかが資金や家屋を提供している。
主に匈奴討伐で名を成した先祖を持つ者が多く取り込まれているらしい。
先祖が休屠王の魂魄に恨みを買っていると吹き込まれた彼らは進んで財貨や土地を提供しているようだ。
またおおっぴらにはなっていないが、武威郡の名家の梁家の分家の家督をその宗教団体の者が継いだらしい。
思ったより大事になっており、張烈は知り合いに声をかけ対処に乗り出すとのことだ。
その宗教団体が隴西にやってきて、同じようなことをしているとしたら。
同じく書状を読んだ張済も苦い顔をしていた。
漢字が読めず話を聞いただけだったが、ティナも憂いている顔になっていた。
ティナにとっては同族かつ同じ先祖を持ち、探し求めていた忍氏族がそのような乗っ取りをはかっていることを理解できないと思っているようだ。
「天の神を奉じ、あるべき姿に戻す。あるべき姿とはこの地にもともと住んでいた匈奴のこと。それを大きくとらえて漢人ではない異民族のものに戻す、ということだろう」
「その地の実力者を取り込み、乗っ取り、内側から侵食していくのか。厄介なやり方だ」
「けどそれは羌のやり方じゃない。確かに羌は奪う。力ずくで。けどこれは違う」
書状の最後に追伸のように書かれてた事柄にシーエイは気付いた。
武威で乗っ取られた梁家のように、臨洮で狙われるのは。
その地で力を付けつつある家。
貪欲に力を求めている家だろう。
例えば、臨洮の董家のような。
と。
「臨洮の董家」
「そいつは、あんたの実家だろ?」
「シーエイの家がどうしたのだ?」
「次に乗っ取られるとしたら、こいつの家のようなところだ、と」
「帰るよりあるまい」
「落ち着け。張の手勢を急がせる。宗教団体を相手に三人ではどうにもなるまい?少しでも手を打たねば……と、そういうのはあんたの役目だろ」
張済の言うとおりだ、とシーエイは心が乱れていたのを自覚する。
実家が危ない、と思ってすぐにでも動こうとしたが、すでに忍氏族は五年以上前から臨洮に干渉していたに違いない。
もうすでに何かが起こってしまっているのだ。
そこに少人数で突っ込んでも無駄死にになる。
相手は追ってきた張家の間者を撃退できる集団なのだ。
無策で行っても負けるだけ。
シーエイたちは一度立ち止まり、張家の手勢と合流することを決めた。
それまでは宿に留まることにした。
夜になり、張済はすでに休んだあと。
ティナが真剣な顔でシーエイを見た。
「私のために手を抜くのは止めてほしい」
「どういうことだ」
「もし、相手が忍氏族だったとしても。お前は家族のために討つのをためらうなと言っている」
「ふん。もとよりそのつもりだ」
「本当か?」
「ああ。俺も漢人だからな。長幼の序や親への孝も人並みにはあるつもりだ」
「そうか」
「お前はどうなのだ?」
「私か?……私は……どうだろうな」
この旅はティナが零晶の許になるための旅だ。
様々な氏族の許より教えを受け、本当の許になるための。
そして、その最上の秘技を伝承しているのが忍氏族だと言われている。
湟中から金城、武威、漢陽を経て、ようやくこの隴西臨洮で追い付いた。
一人前の許になる、という目的はこれでほとんどかなうはずだ。
だが、その忍氏族はおそらくシーエイの実家を乗っ取っている。
そこでシーエイの家族を無視して許の修業をする、ということもできる。
まあ、そんなことをすれば羌族はともかく、シーエイは一生ティナと口をきくことはないだろう。
だからどうすると聞かれてティナは答えることができなかった。
「俺の妻にならんか」
「は?」
唐突すぎて、ティナの脳が理解を拒んだ。
「俺たちは互いに相手を好いているだろう?ならば問題はあるまい」
「あるあるある!問題あるよ。私が零晶に戻れなくなる」
「戻らずともいい。俺の側にいろ」
「だって、それは……約束」
「……そういう選択肢もある、ということだ」
「シーエイ!私を謀ったな!」
「いや、本心でもある」
「ええ……?」
「ともかく、もし身の振り方が決まらねばそういう道も選べる、ということを頭に入れておけ」
「わかった。入れておく」
もし、シーエイについて忍氏族と敵対したら、おそらく許の修行どころではなくなる。
そんな時にシーエイの妻になる、ということを選べる。
きっと私を安心させようとしたのだな、とティナは思った。
その時、私はどちらを選ぶのだろうか。
羌の許か、シーエイの妻か。
今のティナはまだ選ぶことはできなかった。




