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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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二四、隴西について話すこと

 涼州隴西郡りょうしゅうろうせいぐん

 漢の首都である洛陽らくようより西に二千二百二十里。

 当時、三万人ほどが住んでいた。

 郡の東北部にある首陽しゅよう県には鳥鼠同穴山ちょうそどうけつざんがあり、そこから渭水いすいという河が流れ出ている。

 この河は西周の豊邑ほうゆう鎬京こうけい、秦の国都の咸陽かんようと前漢の都の長安のほとりを流れている。

 また、この河の流域の盆地を関中といい、羌の血を引く軍閥が割拠しているという。

 河の流れを外れ、隴西郡の南へ向かうとそこに臨洮りんとう県がある。

 この県にも山があり、西傾山せいけいさんという。

 この山からも河が流れ出ている。

 河の名は洮河とうが

 臨洮県を流れ、その後に断崖絶壁となり、天然の防壁として機能している、という。


 渭水も、洮河もやがて合流し、黄河となる。


 董卓が育ったのも、その河のほとりであった。


 とはいえ、董卓は予州潁川生まれである。

 郡の役人であった父、董雅とうがはそのあたりに居を構えていたからだ。

 しかし、そのころの記憶は卓にはない。

 幼いころに役人を辞めた父と共に涼州へ移り住んだためだ。


 涼州で董卓は狩りと農業をしながら育った。


 董雅には三人の男子があり、長男を董擢とうてき、字を孟高もうこうと言った。

 次男が董卓仲潁であり、兄とは五歳差である。

 末子が董旻とうびん淑潁しゅくえいで、年の差は三歳だ。


 兄は潁川にいたころの記憶があり、この田舎の涼州のことを嫌っていたようだった。

 表面上はそうでも無かったが。

 父と共に何かしらをして、董家を涼州で発展させて行こうとしていた。


 父にとってはここは終の地だが、俺たちにとっては躍進の地なのだ。

 と兄は自分に言い聞かせるように言っていたことを覚えている。


 五年前。

 兄は妻を娶った。

 嫂は武威郡の名家の娘らしい。

 心那しんなという名だと、嫁いでくる前に父か母に聞いた気がする。


 嫂……心那ははじめはしおらしく、そして徐々に董家に馴染んでいった。

 いつの間にか、家の奥方は母のものではなく心那のものになっていた。

 召し使いや奴婢は母より心那に従うようになっていた。

 外に出ていることが多かった父と兄は気付いていなかったが。

 董卓は家の雰囲気が嫌になって、山野に狩りに出ることが多くなった。

 母や弟の旻には寂しい思いをさせたかもしれないが、若い董卓にはそこまで余裕が無かったのだ。


 怪しげな人間が董家に出入りするようになったのはそのころだった。

 間男とかではないのはわかった。

 雰囲気がそんな浮わついたものではなかったからだ。

 言葉もよくわからなかった。


 広大な中華の地では北の果てと南の彼方で言葉が違うとは言われている。

 北の幽州の人物と南の交州の商人が交渉をして話が通じなかったとかいう話を聞いたこともあった。

 だが、その怪しげな人間たちの言葉はそういうものとは違ったように思う。

 古の春秋戦国のころならともかく、秦帝国に統一され、その後ながらく漢帝国に統治された中華の言葉はなんとなくわかるものであろう。


 今にして思うと、あれは羌族の言葉ではなかっただろうか。

 と董卓は思考する。

 ティナや先零羌の言葉とは少し訛りが違うが。

 どちらかといえば北宮伯玉の話していた湟中羌の言葉に近いと思った。


 それは張烈に忍氏族が隴西に向かったと聞いたことからの連想かもしれない。

 短い回想を止めるとシーエは武威の城壁から漢陽へ続く街道を眺めた。



 武威から臨洮までは金城郡を経由する道と漢陽郡を通る道がある。

 ただ金城を通ると山道を進むことになる。

 来た時は当煎氏族を探すために山道を踏破したが、辛い道のりであったことは間違いない。

 であるなら、漢陽を通る方が安全かつ速い、と張烈も太鼓判を押した。


 漢陽はもとは天水と言い、八十年ほど前に改名された。

 涼州の中ではなかなかの都会であり、戸籍上の住人も隴西の四倍以上ある十三万人いる。

 ゆえに街道もある程度整備されている。


「漢陽の住人で姜常きょうじょうという者がいる。わしの知り合いでな。そやつに頼めば旅に苦することもあるまい」


 と張烈は董卓シーエイに書状を持たせた。


「何から何まで」

「何の、わしの残り少ない人間じんかんを若人のために使えるなら本望よ。それもとびきりの才のためならなおさらじゃ」


 あるいは張烈は武に偏った張家の行く末を憂いたのかもしれない。

 武によりすぎて、郡役人にもなれない者がほとんどだ。

 同じく、武威郡で重きをなすがん氏に対して権力的には圧倒的に負けている状態だ。

 これを引っくり返すには、世の中を変えるしかない。

 嵐を巻き起こす才覚を持つ者に従っていけば、やがて乱世になろう。

 そうなれば珍重されるのは武人だ。

 その時に張一族は乱世の覇者のもとで重きをなすことになる。

 権力の中枢に食い込めば、あとは安泰だろう、と。

 張烈はそこまで考えているかもしれない。


 ただ、あまりにも乱世が過ぎて漢帝国自体が無くなるとか、皇帝が三人並び立つ世になるだとかは想像の埒外であろう。


 そういう打算もあろうが、やはり張烈個人が董卓を気に入ったというのが一番だった。


「怖い顔をしている」


 と、ティナに言われたのは武威の城市を出た辺りだ。


「そうか……そうだな」

「そんなに嫌なのか」

「嫌、というのもあるが、何も言わず出ていった手前な」

「んー?ああ、恥ずかしいのか」

「……それもある」

「そうか。恥ずかしいのか。羌の豪帥にその名を知られたシーエイ殿は家族に会うのが恥ずかしい、と!」

「煽るな」

「私がついている」

「知っている。頼りにしている」

「そうかそうか。頼りにしていいぞ」


 そんなふうに、半ば空元気で二人は進んでいった。


 漢陽郡に入るとあたりの景色は漢寄りになった。

 今までは草原やら山間やら自然が目に入ってきたが、城塞が目立つようになっていた。

 渭水の流れにそって、二人は冀県きけんへ向かった。

 そこに張烈の知り合いの姜常という人物がいるらしい。


 道行く先々で話を聞くと、どうやら姜常は天水の四姓と言われる名家の姜氏の当主らしい。

 さすがは武威の大豪族である張家の当主だ。

 その知り合いも涼州の名族なんだな、と董卓は思う。


「あの頑固爺に気に入られるとはなかなかやるのう」


 と張烈と同じくらいの老人である姜常は笑う。

 探すまでもなく冀県についたとたんに二人はさらわれるように姜家の屋敷に連れてこられ、そして歓待を受けている状態だ。

 どうも涼州の大人物は客を迎え入れると宴会を開くのが常らしい。

 そういえば、先零でも湟中でも宴会だったな、とシーエイは思い出した。


「張烈殿とは友人なのですか?」

「友人?ふふふ、そんなものではないぞ。そうよなあ喧嘩仲間とでも言おうか」

「喧嘩仲間、ですか」

「あの頑固者とは、女をめぐって争ったり、武功を争ったりしていたのよ」

「はあ」

「そのうちに家の仕事が忙しくなったのでな、そういう争いから降りたのだ。だが」


 だが、と呟いた姜常は懐かしいものを思い出すような目をした。


「だが?」

「政や金稼ぎに忙殺されるうちに、今でも己がやりたいことをやり続けている孟遠のことをうらやましく思っておるのさ」


 ただの友人関係ではないそれを董卓はうらやましいと思った。


 姜常の好意でその日の宿と隴西までの馬車を手配してもらえることになった。


 客人たちが休み、寝静まったころ。

 姜常は寝ている孫の姜冏の頭を撫でた。


「あやつは継ぐ者を見出だしたようだな。だが私も血を継ぐ者がおるぞ、張孟遠」


 そして満足そうに笑うのだった。

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