二十三、張家の宝を受けとること
「戦いのあとは酒じゃ」
と張烈が言ったので、中庭に机が運ばれ酒宴となった。
張家の倉が開けられ、食材が調理され、酒が並べられた。
そのころには日が沈み、かがり火が焚かれ、中庭に灯された。
秋の月は真っ白く輝き、夜の庭を照らす。
「まさか、ご当主と引き分けるとはな」
張済がシーエイの杯に酒を注ぎながら言った。
「勝ったと思ったがな。最後にやられた」
「なんの、生きているだけでも凄いことだ」
そういうものか、とシーエイは杯の中身をあおった。
半濁の事酒は酒精が羌の馬乳酒よりも弱く、麦かなにかの汁を飲んでるようで酔いそうにもない。
「私はもうハラハラしたぞ。無茶をするな、シーエイ」
と、ティナにも無茶をたしなめられる。
「戦っている時は、そうだな。何もかもがハッキリ見えてな」
白い点のことは言わない。
どうもあれは己だけに理解できる力なのだ、と思うからだ。
「それは戦者の門を開いたのじゃ」
ドン、と酒の入った壺をシーエイの前に置き、張烈は言った。
張済とティナの顔に緊張がはしるが、シーエイは気にせずに聞いた。
「戦者の門とは?」
「戦いの中で、全てが明瞭となり、次の一手のみならず何手先も読めるようになることを、わしは門を開くと言っておる」
「なるほど」
確かに、さっきの戦いは“門を開いた”と言っていい。
だが何手先も読める、と言うのはよくわからない。
それぞれで個人差があるのかもしれない。
「だが、あまり過信はせぬことだ。戦の神は悪神と聞く。いつの間にか、命を刈り取られていたということにならぬようにな」
「肝に銘じます」
「さて、話があると言ったな」
不意に、宴の喧騒からシーエイたちだけ切り離されたように張烈の言葉が響いた。
さきほとまで隣で酒を注いでいた張済までも、こちらに気付かない。
「これは……妖術の類いですか?」
「ふふふ。老いたとはいえ、あやかしの業を使うほどではない。要は気じゃ。わしとそなたらの気を薄めて、喧騒から離したのじゃよ」
それを妖術と言うのではないのだろうか、とシーエイは思ったが漢人にはあまり聞かれたくない話ではあるのでこの状況は好機だった。
「では、お聞きします。羌族の忍氏族と会ったことは?」
「あるぞ」
「やはり」
「十年ほど前にな。ここらであった戦の後始末をするゆえ、住まわせてほしいとわしに頼んできよった」
「戦の後始末……」
「まあ、わしは役人では無かったが郡太守に顔もきくゆえ、彼らの移住を認めてやった」
「今、彼らはどこに?」
「五年ほど前にな。武威郡での仕事は終えた、と伝えてきた」
「ここでの仕事は終えた?」
シーエイの予想では、忍氏族は滅びた焼当氏族の代わりに北と南西の羌の土地を繋ぐ役目を果たしていたはずだ。
その仕事が終わり、ということはどういうことか。
「それきりじゃな」
「そう、ですか……」
「とはいえ、わしも漢土を羌族が放浪しているのはお互いに危険だとは考えておった。それゆえ、忍氏族の行き先はある程度把握しておる」
どうじゃ、わしすごいじゃろ、とでも言うような得意気な顔にシーエイは苦笑いで返した。
「それでは彼らはどこに?」
「涼州におるのは間違いない」
確かに、羌の土地は涼州に隣接あるいは食い込んでいる。
逆に言えば他の漢の諸州に彼らが向かう理由は無いはずだ。
「細かい行き先は……うかがってもいいでしょうか?」
「わしが尾行させた者は、隴西郡までは追うことができた」
「隴西郡?」
「それはシーエイの地元だな、確か」
「あ、ああ」
なんだか嫌な具合だ。
飲んだ酒の酔いも醒めるような。
なぜ、隴西に?
「ちなみにわしの間者は臨洮県というところで消息を断った」
人員を無駄にするわけにもいかず、また不気味さもあって張烈はそれ以上、忍氏族の後を追うのを止めたのだそうだ。
「りんとう県……私は知らない地名だが、聞いたことはあるか、シーエイ……!?」
その時、シーエイの顔は青白いを通り越して土気色ではなかっただろうか。
あまりにも近くに、探し物があったことに。
それを知らないでいたことに。
シーエイは動揺していた。
俺の知らないうちに羌との因果は繋がっていたのか、と。
史書に言う。
涼州隴西郡臨洮県は董卓の故地である。
そう、董卓ことシーエイの故郷こそが、忍氏族が向かった目的地であった。
「ふむ。なれば武威で忍氏族たちが何をしたのか、調べる必要があるやもしれぬな」
そう言った張烈の声が遠くに聞こえる。
知らないことがあるのは怖いことだ。
そして、それよりも恐ろしいのは知っていたと思っていたことがまったく別の何かだったことに気付いた時だった。
怖い。
無知が怖い。
シーエイ。
怖い。
「シーエイ!」
思考の奈落から引き戻すような声に、思わずシーエイは呼び掛けてきた彼女の顔を見た。
「ティナ……?」
「私がいるじゃないか」
「あ、ああ、そうだな……」
「お前が私の道しるべであるように、私はお前の支えでありたい。いいだろう?」
その言葉がどれだけ力強く感じたことか。
支えてくれる人がいる、ということはその人のためにも倒れるわけにはいかない、ということだ。
そう、それに俺は彼女の道しるべになる、と約束したではないか。
恐怖に囚われ、沈んでいる暇はない。
「すまない。……助かる」
「うむ」
「やはり、わからない時は実際行ってみるよりないだろう」
「お前の故郷に、か?」
「そうだ」
「私の旅だものな」
「俺の旅でもある」
若者が悩みを協力して解決していく様子を見て、張烈は面白げに酒を飲んでいた。
この普通に苦しみ悩む若者は、己をあと一歩まで追い詰めたのだ、と思うと面白みがさらに増す。
良い酒の肴じゃのう、と張烈は呟いた。
「さて、久しくわしに食らいつくものもおらなんだゆえ、お主に我が張家の宝を譲ってしんぜよう」
「勝ってないし、そもそも宝を目的に戦ったわけではないぞ?」
シーエイは話を聞きにきただけだ。
それを勝手に戦いはじめたのは張烈の方である。
「よいよい。そも我が宝物は財貨にあらず」
「謎かけか何か、か?」
宝なのに財貨ではない。
「いや、単純なものじゃよ。わしが鍛え上げた張家の部曲五百、お主にくれてやろうと言うだけのこと」
部曲という言葉にはさまざまな意味がある、が。
この時代においては、豪族や軍閥の私兵集団というくらいの使われ方をしていた。
部が大隊、曲が中隊を現している。
つまり、張烈は張家の私兵をシーエイにやる、と言っているのだ。
「それは……願ってもない話だが」
「お主はこの地を足掛かりに雄飛するつもりであろう?その時に武人が五百いるのはかなり役に立つと思うぞ」
確かに、シーエイは己の心中に野心のようなものが芽生えているのに気付いていた。
羌の草原に天意を量ったように。
鮮卑の騎馬隊に立ち向かったように。
羌の中で名を挙げるというのも、それに起因している。
名を成して、そこから何をするのかはまだわからない。
ただ、そのために力が必要なのは本当で、張烈の申し出はありがたかった。
自分のような若僧に肩入れしてくれる張烈に頭が上がらなくなりそうだった。
ともかく、張家の部曲は今すぐに指揮をとれと言われても困るので、シーエイが人を率いるだけの地位と才覚を得た時まで待機することになった。




