二十一、張烈孟遠という男
「張烈というらしい」
武威県に近付くにつれ、雷神の詳細がわかってきた。
張烈。
武威郡に大きな影響力を持つ張一族の当主、らしい。
「当主がなんで盗賊退治など?」
「さてな。羌や鮮卑の血でも流れてるのではないか」
羌族の豪帥や鮮卑族の大人たちは、それぞれの氏族の長であり、かつ氏族最強の武人である、とされる。
そういった異民族の常識から見れば、“雷神”張烈は張一族の当主として武を振るい続けるのは当たり前だ。
だが、漢民族として見れば一族の当主が最前線に立つことなどありえない。
当主の死が、最悪一族の滅亡に繋がる。
そういった考えを持つ漢民族にとって、この張烈のやってることは理解不能なのだ。
「ではこの目で確かめてみないとな」
二人が武威県の張一族の屋敷にたどり着いたのは、数日後のことだ。
街の一角にそびえる屋敷の門の前に、シーエイと同じ年頃の青年が立っていた。
「ここは張一族の屋敷だ。用の無い者はただちに立ち去れ」
と、声をかけられた。
しごく当たり前の声かけだ、が、なぜかシーエイは聞き覚えがある。
門番の顔を凝視する。
「どうした?」
ティナが聞いてきた。
確かに、今のシーエイはかなり不審である。
「俺の顔に何かついているのか?」
もう一度かけられた声を、記憶の中から探す。
……天祐があればいいな、と思っている。
……俺は涼州武威郡靖遠の出だ。
……俺の名は……。
そうだ。
確か、零晶の村で。
ティナの姉のスイナと零晶の若者トゥウンの婚儀の夜。
あの花夜に、村を襲ってきた漢人の盗賊の生き残り。
俺と同じ涼州の出身で、同じように漢の外に出て、天祐を信じている。
そんな微妙な共通点に、つい見逃してしまった男。
「張済……?」
若者、いや張済は驚いた顔をした。
「なんで、俺の名を?」
「そうか、お前は武威郡靖遠の出と言っていたものな」
「シーエイ、こいつを知っているのか?」
「ティナ、お前こそ忘れたのか?」
「忘れ?え?」
「シーエイ……?……まさか、あんた!?」
「盗賊稼業からは足を洗ったようだな」
「あんたなんでこんなところに?」
「雷神殿に用があってな」
張済は苦い顔をした。
とりあえず、と張済は門に備え付けられていた見張りの休憩場所に二人を案内した。
「むさ苦しいところですまない。だが屋敷には入れられないんだ」
「いや、腰を下ろせるだけでありがたい」
「……一年ほど、か?」
「そうだな。一年くらいだな」
シーエイが零晶の村に世話になりはじめたころだ。
それは秋の終わりで、冬が始まろとしていたころ。
ちょうど今頃の季節だ。
「俺はあの後、ここに帰って来た。あんまり好きでは無かったが、な」
と張済は言った。
盗賊団に加わり、花夜という油断しきっていた羌の村を襲うという作戦の中で盗賊の長は倒されてしまった。
シーエイの気まぐれで生き永らえた張済は、恥を忍んで故郷に戻り、変わり者としても有名な張一族の当主のもとで働くことになったのだという。
「ずいぶんと堂にいった声だったな」
シーエイたちを追い返そうとした第一声のことである。
「まあ、声をかけて帰ってくれる奴らがいればその分犠牲者が減るからな」
「犠牲者?」
「当主は武の手合わせを好んでいる。それも生死をかけた、な」
「そいつは剛毅だな」
「笑い事じゃねえよ。俺が門番になってからでさえ、五人返り討ちにあってる」
雷神を倒せば、張一族の宝を譲ってもらえる、という噂が武威郡全体に広まっているのだそうだ。
ここらで大きな地盤を持つ張家である。
それは素晴らしい宝であろう、と幾人の腕自慢が張烈に挑んだ。
そして、何人かは命を落とし、生き残った者も腕や足、目を失ったりしている。
その噂が巡りめぐって“雷神”の話になったのだろう。
「宝に興味はないが、話を聞きたい。会うだけでもできないか?」
張済は困った顔をした。
何かを悩むような顔だ。
「俺も……一応は張の一族だ。だがな、俺は当主に認められなかった……」
張済は張烈の次男の子、単純に言えば孫だそうだ。
なんでも張一族の子弟は幼いころから、この屋敷に集められ修行の日々を送るのだ、という。
幼い張済は何度も、弱いと言われ続け、すっかり嫌気がさしたらしい。
そうして、家を飛び出し、羌の草原の盗賊たちの仲間になった。
「俺のせいでここに戻らざるを得なかった、か」
「いや、あんたには命を救われた。そのことに感謝している。それに生きていりゃ遅かれ早かれここに戻ることになったさ」
「なぜだ?」
「当主の趣味は盗賊狩り、だからな」
確かにそういう話もあった。
「しかし、俺が見た限りではお前はなかなか強いぞ」
「冗談はよしてくれ。俺の実力は俺がよく知ってる」
と言う張済だが、シーエイから見ると少なくとも当煎の豪帥である樊隗邑並み、あるいは湟中義従を統率する李文に匹敵する武の気配を感じていた。
あの花夜での襲撃の時、張済は盗賊団の年少者と行動していた。
もし、彼が襲撃側にいたら、弓での狙撃しか手が無かったシーエイでは制圧は難しかったと今では思う。
おそらく、張済の自己評価の低さは張一族の苛烈な指導が原因なのだろうな、とはシーエイは推測した。
徹底的に慢心を砕いて、武を注ぎ続ければ、結果として油断の無い武人に仕上がるのだろう。
張済は自己を砕かれるのをよしとせず逃げることを選んだのだ。
「頼む」
シーエイは頭を下げた。
己のためではない。
全ては忍氏族に会うため、いやティナのためだ。
他人のために頭を下げることなど今までなかった。
「……話は……できるかわからん。だが、当主の前に連れていくことはできる」
「恩に着る」
「連れていくだけだ。後はお前次第だ。それに……」
恩があるのは俺のほうだ、という張済の言葉は彼の口から出ることは無かった。
あまりにも照れる言葉だったからだ。
張家の屋敷は外から見ると巨大だったが、その居住できる空間は思ったよりも狭かった。
それは屋敷が何かを囲むように作られているからだ。
中庭、というにはあまりにも武骨な空間。
平らな石が敷き詰められたそれは大秦の闘技場の縮小版のように見える。
もちろん、シーエイやティナがそれを知るよしもなかったが。
その闘技場の真ん中に椅子が置かれており、一人の老人がそれに腰かけていた。
白い頭髪、顎髭は長くこれも白い。
目は閉じられている。
かたわらには朱塗りの槍が置かれているが、彼自身は寝ているようにも見える。
しかし、なぜかピンと張り詰めた空気の中、張済が口を開く。
「客人が参っております」
その言葉に老人は反応しない。
ざあっと風が吹き、落ち葉が舞う。
その一つが老人の目の前に落ちた瞬間。
電撃のように繰り出された槍が落ち葉を貫いた。
樊隗邑より速い。
それだけは見極めることができた。
「異郷より客来たれり、か。話でもなんでもしてやろう。ただし、わしに勝つことができれば、な」
老人はゆっくりと立ち上がり、こちらを見て目を開けた。
「ご当主、彼らはただ聞きたいことがあるだけで……!?」
言い募る張済の目の前に槍の穂先があった。
まばたきほどの速さで突きだされた槍は、口を閉じろと説明していた。
「わしの名は張烈、字は孟遠。この地にて武威を示す者なり!」
肉食獣を前にしたような圧倒的な闘気を張烈は吐き出した。




