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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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二十、涼州武威郡

 匈奴の休屠きゅうと王。

 それは今から二百七十年ほど前、この地がまだ匈奴によって支配されていたころのここの王であった。

 東洋と西洋を結ぶ街道シルクロードの東洋側の接続点であるこの地は河西回廊と呼ばれ、東西の物品が行き来し、大変栄えた場所だった。

 交易の拠点を得た者は莫大な利益を得ることから、ついに漢帝国はこの地を奪取することを決めたのだ。


 漢の武帝は、親族であり目をかけていた霍去病かくきょへいに一万騎を率いらせ、匈奴に攻撃を仕掛けた。


 そして、河西回廊にて霍去病らを迎え撃ったのが、休屠王であった。

 霍去病は若い将であったが、戦の天才であった。

 勇猛で知られる匈奴の軍勢は、しかし漢軍に敗れた。

 休屠王、そして同じく匈奴の王の一人である渾邪はんしぃ王は漢に降伏してしまう。

 それから数年かけて漢軍は、当時の匈奴の単于ゼンウ(匈奴の最高位の首領)である伊稚斜いちしゃを戦で敗走させ、河西回廊及び漠南(現在の内モンゴル)を奪取することになる。

 伊稚斜の次に単于となった烏維ういの時代になると、漢と匈奴の関係は逆転し、匈奴から漢へ人質が出されることになったという。


 その戦乱の中で休屠王は共に寝返った渾邪王に殺されてしまった。

 その休屠王が治めた土地である武威郡に忍氏族が向かったのは、その無念の王の魂を慰めるためではないか、と樊於紀は語った。



「俺はその説明に少しばかり疑問を持っている」


 当煎氏族の村を出発し、北にある武威郡を目指しているシーエイとティナ。

 そこでシーエイはそう言った。


「なにを疑うことがある?」

「匈奴の休屠王の魂を慰める、という点だ」

「なんでだ?私が聞く限り、その匈奴の王は無念であったろう。その魂がよく祀られなければ災いを成すことは考えられるぞ」

「それはそうだ。だがな、なぜそれを羌族の忍氏族がせねばならない?」

「うん?」

「わざわざ何百年も前の人物の魂を鎮めるのに湟中から涼州武威郡まで移動するのか?それも羌ですらない者のために」

「……確かに、おかしいな」


 ティナは考える。

 匈奴の王が謀殺されたのは無念だろうな、と思う。

 その怨念が悪いことをもたらすかもしれない、とも思う。

 鎮めねばならない、と思う。

 だがそれは、休屠王の子孫の役割であり、彼を殺した匈奴の役割であり、あるいはその原因となった漢帝国の役割であろう。

 羌族が口を挟む問題ではないのだ。


 事実、休屠王の子孫は残っている。

 匈奴出身ながら、武帝に気に入られ金の姓を授かり、休屠王の子は列候に封じられ、武官としても車騎将軍を拝命している。

 その子孫である金氏も漢に仕えている。


 なのでますます忍氏族がそこにいる意味がティナにはわからなかった。


「俺が思うに、休屠王のことは口実なのだろう」

「口実?」

「忍氏族が湟中を出ていったのは十年前だ。その時、何があったか……覚えているか」


 シーエイの口はなぜか、その先を言いたくなさそうだった。

 鮮卑の大人ですら脅す彼が口を開きたがらない理由は、おそらくティナのためだ。

 彼女の過去トラウマを刺激したくないのだろう。

 だから、シーエイを困らせないようにティナは口を開いた。


「覚えてる。……私の故郷、焼当氏族が漢に攻撃されて、滅びた……」


 シーエイは頷いた。


「そうだ。羌族の中心的存在だった焼当氏族は滅びた。その結果、羌族は分断された」

「羌族が分断された?」


 シーエイは空中に指でおおざっぱな地図を描く。


 涼州。

 漢帝国の北西部にある州だ。

 その形は歪で、左に傾いた“丁”の字のようだ。

 北西の果ては敦煌、南東の北地郡、安定郡、漢陽郡、武都郡が漢帝国の中心である司隷に繋がっている。


 その涼州の北側に先零氏族の住まう草原が拡がっている。

 その中には、零晶氏族も暮らしている。

 ティナが暮らし、シーエイがたどり着いた草原だ。

 また、涼州の南西部には湟中がある。

 そこには北宮伯玉を豪帥とする湟中羌や高原に暮らす羌の氏族が存在している。

 両者は共に羌人であり、祖先も文化も同じくしている。

 この二つの羌の領域は武威郡を境目として繋がっている。

 これは羌として生きる羌人だけではなく、漢帝国に帰化した当煎氏族などの羌人との連絡にも使われる。


 いわば扇の要だ。


 そこにはかつて焼当氏族が住んでいた。


 羌の始祖、無弋爰剣の血を引く彼らは扇の要を守護する役目をもっていたのかもしれない。

 だが十年前に焼当氏族を攻撃した当時の護羌校尉の趙沖のせいで、その要が失われてしまったのだ。

 その結果、北地の羌と南西の羌は分断されかけた。

 それを危惧した忍氏族が湟中から出てきたのだろう。


 忍氏族は焼当氏族と同族であり、共に始祖無弋爰剣の後継であるからだ。


「問題はなぜ忍氏族がそれを羌の仲間にも隠しているか、だな」


 ほぼ無関係の匈奴の王の鎮魂のため、と言って忍氏族は武威に来ている。

 要地の確保という目的をなぜ明かさないのか。

 その次第によっては忍氏族と良い関係になれないかもしれない、とシーエイは危惧した。


 二人は街道に沿って移動した。

 人里離れたところに忍氏族がいる可能性は高いが、ある程度の規模の集団がまったく他人と触れあわないで生活できるわけがない。

 それに人がいるところに情報がある。

 それは忍氏族を探すのに役立つはずだ。

 張掖ちょうえき鸞鳥らんちょう姑臧こぞう休屠きゅうと宣威せんいといった県を通過し、途中の宿場町などで、話を聞いていく。


 特に郡の都である、姑臧では妙な噂を二人は聞いていた。


「雷神?」

「そうだ。このあたりで武名を知られる人物だ」


 この武威郡は異様に盗賊が少ない。

 それは“雷神”と呼ばれる人物が盗賊を倒してまわっているため、らしかった。


「それが何か関係あるのか?」


 というティナの問いにシーエイは答えた。


「羌人は漢人にとって盗賊の扱いだ。その雷神ならこの地にいる羌人、つまり忍氏族と戦闘している可能性がある」

「盗賊扱いについては思うところはある、けれど情報を持っている可能性は高い……か」

「雷神は武威県に居を構えていると聞いた」

「武威郡の都はこの姑臧なのに、別に武威県があるのだな。漢人は妙な名付けをする」

「確かにな。なんでそうなっているんだろうか」

「シーエイにも知らないことがあるのだな」

「当たり前だ。俺は何も知らん。草原で思い知った」

「素直なお前は好きだぞ」


 真っ直ぐに好意を向けられると、董卓シーエイはドキリとする。

 それは彼が頭でっかちの青年だからで、本当に人の好意を受けたことがないからで、今向けられている好意に照れているからだ。


「……場所のわからない忍氏族より、そこにいる雷神を探す方が効率的だろ」

「わかった。道しるべに付いていく」

「うむ」

「ところでその雷神とは何者なんだ?」

「このあたりの豪族らしいが、よくわからん」


 人柄はわからないが、よほど武に長けていると見え、武人としての二つ名をいくつも持っているらしい。

 “馬踏飛燕ばとうひえん”、飛ぶ燕を踏んで駆ける馬、という名と“雷神”というのがよく知られている。


「雷神、雷のような男か」

「鮮卑の大人を思い出すな……」


 鮮卑の壇石槐も、雷のようなと形容される男である。

 湟中で出会ったその男のことは忘れることはできない。


 ティナはちょっと嫌な気分になったようだった。

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