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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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十九、森の中で豪帥と戯れること

 怪力乱神を語らず。

 儒の教えを唱えた孔子の教えの一つだ。

 怪異などの不思議なこと、異常な力のこと、道理に背き世を乱すこと、鬼神のこと、という理性では説明できないことを口にしないという教えだ。


 最後の鬼神とは、死者の霊のことだ。

 人は死後、こんはくに別れる。

 陽気であり精神を司る魂は天に登り神になる。

 陰気であり肉体を司る魄は地に留まり鬼となる。

 

 即ち、神とは死者の魂のことだ。


 また孔子の記したとされる歴史書“春秋”の解説書である左氏伝の荘公三十二年に漢字の“神”について記載がされている。

 それによると“神”は、国の興亡の分かれ目に、君主の善悪を見極め禍福を下す、聡明正直で純一な者らしい。

 つまりは君主に対する審判者であり、上位者なのだ。


 ありとあらゆる死者の魂の集合知である存在が“神”なのだろう。


 羌族の許の秘伝“神降ろし”とはそれに接触すること、なのかもしれない。

 神ならぬ人の身であるシーエイには、それを知ることはできないのだけれども。



 翌朝早くに目を覚ましたシーエイは村を覆うように繁っている森の中で、当煎の豪帥である樊隗邑に出会った。


「ふは、導くまでもなく引かれてきたか」

「ずいぶんと早いですね」

「わしはどうも眠りが浅いようでな」

「ここでなにを?」

「木々に囲まれ、そのすだまを感じる。その一時、わしは漢も羌も忘れ、森と一体となる。その得もいわれぬ感慨を味わっていたのだよ」

「それは……邪魔をしましたか?」

「いや、あまり長くいるとわしはわしで居られなくなる」

「森と一体化……」

「少し、手合わせをしようか」


 樊隗邑はどこからか長柄を取り出した。

 穂先の無い槍、いや棒術で使う長い棒だ。

 二本取り出し、一本をシーエイに投げてきた。

 シーエイはそれを受け取り、見よう見まねで構える。


 同じように樊隗邑も構えている。

 その構えは実に見事なもので、シーエイは打ち込む隙が見つけられない。


「これは」

「来ないのならこちらから行くぞ」


 そう言った樊隗邑はシーエイの間合いに滑るように入り込んできた。


「くっ!」


 シーエイは樊隗邑の振り下ろしを長柄で受ける。

 重い衝撃。


「まだまだ!」


 樊隗邑は長柄の石突部分で突いてくる。

 シーエイは一歩分横に避ける。


 が。

 樊隗邑はさらに長柄を薙いでくる。

 それは跳躍して回避。


「攻撃の変化がッ」

「跳ぶのは愚策ぞ!」


 空中で身動きのとれないシーエイに樊隗邑は長柄の先で突いてきた。


 かわせない。


 そう思った瞬間、シーエイは己の長柄を突き出し、樊隗邑の長柄の先にぶつけた。


「これで!」

「な!?」


 力を込めて突き出した樊隗邑の長柄は、しかし空中のシーエイを吹き飛ばすだけに終わった。

 回転しながら勢いを殺し、シーエイは地面に降り立つ。


「振り下ろし、突き、横薙ぎ、剣では届かぬ間合いで戦う武器ということか」


 そう言いながら、地面を踏みしめてシーエイは突っ込む。


「軽業か、道術の軽気功とは違うようだ」


 この時代の新興宗教である道教のことも樊隗邑はある程度、知っているようだった。

 そんなことを頭の片隅に留め置きながら、踏み込みと体重を乗せた突きを繰り出す。

 相手が体勢を整える前に、速さと威力で制圧する。

 それが長柄の必勝法だ、とシーエイは判断したのだ。


「食らえ!」

「うむ。そなたの判断は正しい。先手必勝、初撃必殺、は間違いない。だが、それは相手に情報が無いときだけだ」

「!?」


 シーエイの渾身の突きを樊隗邑は半歩だけ避けた。

 そして通りすぎるシーエイに長柄を振り下ろす。


 勢いづいた攻撃の直後、そのまったく態勢を変えられない状態は隙だらけで。

 本来なら、それで終わりだった。


 シーエイは目の前に長柄を投げた。

 そこに樊隗邑はいない。

 彼はシーエイの横で長柄を降ろしている途中だ。

 長柄を投げる、という奇行にほんのわずかな疑念を抱いた、だが攻撃を止めることはない。


 投げられた長柄は目の前にある木にぶつかり、乾いたカーンという音をたてて跳ね返った。

 くるくるとそれは樊隗邑の武器にぶつかった。


「ぬ!?」


 シーエイは樊隗邑が怯んだのを見ずに、いや怯んだと確信して先ほど長柄を投げた木へ突撃ダイブし、三角飛びの要領で蹴り、相手へ足を向ける。

 今まさに勝負が決まる瞬間に、飛んできた長柄に態勢タイミングをズラされた樊隗邑は蹴りこんできたシーエイに反撃できなかった。

 長柄から手を離し、両腕を交差し攻撃を防ぐ。


「疾!」


 防がれた足と反対の足で樊隗邑の腕を踏みつけるように勢いをつけてシーエイは空を舞う。


「まるで猿だな」


 張り出した枝を掴み、方向を調整し、シーエイは落ちてくる。

 振るわれた枝から落ちてきた葉に彼の正確な位置を見失い、樊隗邑は攻撃をやめて回避に移る。


 間合リーチいのある長柄を手離しているのが痛い。

 素手では落ち葉の中で正確に当てられる気がしない。


 その緩やかな後退に向けて、長柄が突き出されてきた。

 降りてきたシーエイが投げてきたのだ。


 目敏い奴め、と樊隗邑は拳で投げられた長柄を払う。


 しかし、なかなか面白い奴だ。

 おそらくは棒術も槍術も心得はないのだろう。

 ただ己の才覚のみで武器を扱っていたのだ。

 戦いかたも戦士のそれではなく、地形を使ったなんでもありのような。

 普通の戦士なら、羌の戦士ならこれは認められないだろう。

 だが、森林と一体化することに意義を感じる樊隗邑にとって森を利用した戦い方はとても面白いものだった。


 最後の悪あがきである長柄の投擲、ここまでよくやった、お前を認めようと樊隗邑は笑みを浮かべた。


 そう、投げられた長柄は樊隗邑に払われた。

 そこで勝負が決まったと豪帥は思った。


 だが、さっきも勝ちを確信した時に反撃を受けたこと、長柄は二本あったことを樊隗邑は忘れるべきではなかった。


 払った長柄とまったく同じ軌道で投げられた“二本目の”長柄に樊隗邑はまったく対処できなかった。

 樊隗邑自身が手放していた長柄に。


 コンという音が鼓膜からではなく、脳髄に直接響いた。

 おそらくは額に投げられた長柄がぶつけられたのだ。


 そこまで理解した時、樊隗邑は気を失った。



「いやあ、なかなかやる」


 と豪快に笑いながら樊隗邑は起き上がった。

 気絶したと思った、その次の瞬間にむくりと起きたのだ。


「ずいぶんと恐ろしい」

「勝利に貪欲なのは良いことだぞ、シーエイ」

「名を……?」


 豪帥に名を呼ばれること、それは即ち、その氏族に認められたということだ。


「そなたと森で戦うのはもうごめんだ」

「俺もこんな長柄を森で使うような戦いはごめんだな」


 そして、戦いで服がボロボロになり、泥だらけで帰った二人はひどく叱られた。

 シーエイはティナに。

 樊隗邑は妻に。


 まったく、それがいい歳の男がすることか、と二人の女性が同時に同じ事を言ったのでそこにいた四人は大笑いしたのだった。


「忍氏族はここよりさらに北、漢人の言うところの武威郡に住んでいる、はずだ」

「涼州の中心地域だな」


 村長の樊於紀は忍氏族の向かった先を教えてくれた。

 シーエイはますます漢の領域に近づいてきたことに違和感を覚える。


「あそこは元は匈奴の休屠王の封地ゆえな」


 と樊於紀は続けた。

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