十五、宴の後のこと
「母はいつも父の話をしていた。強く逞しく勇ましい、と」
「……」
「ならばなぜ、そんな男を裏切ったのか。三年は長い、だが待てぬ時ではないのでは」
三年は長い。
シーエイはそう感じる。
だからと言って、妻が夫を裏切っていい理由にはならない。
「本当の父親は」
「さてね。僕はそこまで聞かなかった」
「なぜ、投鹿候に心をえぐるようなことを?」
「顔、かな」
「顔?」
「母はいつも、強く逞しく勇ましい、と言っていた父が僕の前に跪いた時に見せた顔が、僕は気持ち悪かった」
媚びて、卑しい笑顔。
それをシーエイは想像した。
母から聞いた理想との解離に壇石槐は、やってしまったのかもしれない。
「だから、か」
「おかしいね。ここまで話すつもりはなかった」
「……」
「水を差したね。忘れてくれ」
壇石槐は頭を下げて、シーエイの前から離れ北宮伯玉の方へ行った。
「あんな奴にもいろいろあるんだな」
というティナは、壇石槐にたいして複雑な思いを抱いたようだ。
しかし、シーエイは顔をしかめていた。
「もし、奴が俺と似たような思考をしていたとしたら」
「どうした?」
「あの話は、弱みをえぐって怒らせた相手に、同情心を抱かせて怒りを収めるものだろうな」
「それは……穿ち過ぎじゃ?」
「そう、かもな」
けれど、ティナはそういう見方もありえる、と思った。
人をあれほど簡単に怒らせることができるならば、その怒りをおさえることもまた簡単にできるだろう。
人心掌握といえば聞こえはいいが、心の機微を踏みにじって意のままにしようとしているとも言える。
やがて、初めのゴタゴタが嘘のように宴は終わった。
用意された部屋に行くと、そこには二人が並んで寝れる広さの牀があった。
「同衾しろ、ということか?」
ティナが困惑したように呟いた。
確かに野営していた時は同じ天幕で寝ていた。
ただ、交代で見張りをしていたから二人で寝るということはなかった。
「部屋をもう一つ用意してもらおう」
シーエイは冷静な声でそう言った。
が、その顔が真っ赤になっていることを本人が一番自覚していた。
それを振り払うように、兵士か下男を探そうと歩きだした。
しかし。
その歩みは止められた。
着物の裾をティナがつかんでいたからだ。
「私は……いい」
「いい、とは?」
「お前は私と寝るのは嫌か?」
シーエイはパッとティナの顔を見た。
うつむいたティナの顔はシーエイと同じように真っ赤だ。
「嫌、ではない……」
そもそも嫌いな人間と長い間、旅ができるものか。
むしろ、旅を続けるうちに好感は好意になり、それ以上の感情になるものだ。
シーエイも、ティナも、その感情に気付いた。
自覚していなかったそれに、二人とも戸惑っていた。
それに、先にけりをつけたのはティナの方だ。
「ならば寝るぞ」
酔ったすえの間違った度胸かもしれない。
しれないが、ティナは惑うシーエイを牀に引きずり込んだ。
駆け引きとか、甘い睦言のようなものはなく、若い情動のまま二人は結ばれた。
最初の主導権を取られたことにシーエイは愕然として、流されるままだったが、途中で勝ち誇ったようなティナの顔に奮起して、自分から動き始めた。
「なあ、シーエイ」
二人で果てて、どこか遠い気分で余韻にひたっているとティナが聞いてきた。
「なんだ」
「本当の名を教えてくれないか」
余韻をかきけすような沈黙。
「聞きたい、のか?」
「約束、したろ?」
いつだったか、確かに約束をしたような気がする。
約束、といわれてはどうも答えない、という選択肢は取りづらい。
それにこの娘なら話してもよいか、という気分にシーエイはなっていた。
「俺の名は、董卓だ」
「とうたく」
「姓が董、名が卓、字は仲潁だ」
「ちゅうえい……ああ、シーエイのエイはそこからだな?」
字の仲潁のエイと出身地である涼州朧西郡の西を組み合わせたのがシーエイだ。
「そうだな」
「今のお前の一番は私だな?」
「なんだ、いきなり」
「今まで聞けなかったことを聞こうと思ってる」
惚れた相手の問いを断りづらいだろうという顔をティナはしている。
「聞けよ」
半ばやけになってシーエイはそう言った。
「家族はいるのか?」
「父に母、兄に弟」
「字が仲潁だものな。次男と壇石槐も言っていた」
仲、という字は兄弟の二番目を表している。
「兄の董擢は妻子がいる。嫂とは俺は反りが合わなかった」
「気の強い女に弱いからな、シーエイは」
自分のことを棚にあげてティナは笑う。
「兄の子とはそれほど険悪ではなかった。弟の董旻とは仲は良かったな」
「親とはどうだったんだ?」
「父は董君雅と言って豫州の小役人だったらしい。一時は潁川という地の県尉となったが、すぐに辞めて涼州に来た」
県尉は県の警察や軍事を司る職だという。
中央に程近い豫州なら、賄賂や汚職が横行していたことだろう。
父親はそのあたりの融通が効かなかったのだと思う。
良くいえば真面目、悪く言えば我が弱い。
縁者だか友人がいた涼州で父は半ば隠居してしまった。
家督は兄が継いでいる。
それもあって次男の董卓は居づらかった。
「母親は?」
「母は父以上に我が弱い、としか言えないな」
董家の奥向きはすっかり嫂に仕切られてしまって、母親は父と家の隅にいるだけだった。
あの家にシーエイの居場所は無かったのだ。
「だから家を出て、故郷を捨てて、草原に来たのか」
「そう言われると身も蓋もないな」
「さっさと嫁をとり、己の家を建てれば良かったのだ」
「よくこの状況で言えるな」
嫁、という言葉をティナが口にした時、ティナと家庭を持つ妄想をしたのは内緒だ。
「嫂が嫌で逃げ出したのだな」
「答えたくない」
「奪ってしまえ」
兄と嫂を追い出して、董の家を奪ってしまえ、とティナは言う。
それは羌の、草原の論理だ。
漢人として、儒の縛りの緩いシーエイでさえドキリとする言葉だ。
「煽るなよ」
「惚れた男の弱みを握ったからな」
「そういうことを簡単に言う」
「簡単には言っていないぞ。私は本気だ」
「俺もお前が好きだ。本気だ」
「元気になってきたな」
なぜか下の方を見てティナは笑った。
短い睡眠時間の後、なぜか爽やかにシーエイは目覚めた。
隣には猫のように丸まってくっつくティナがいる。
「起きろ」
「まだ、あとちょっと」
「もう朝だ」
「朝に寝るのが贅沢というものだぞ、シーエイ」
シーエイはティナの髪を撫でた。
堅いかと思ったら、絹のように滑らかだ。
自分の癖のある髪質とは違う。
ティナを見ると、目があった。
「どうした?贅沢を貪っているのだろ。もっと楽しめ」
その顔は真っ赤だ。
子供のように頭を撫でられて安心している自分、というものを自覚して急に恥ずかしくなったようだ。
「むう。もういい。起きる」
「そうか」
服を着て、髪を結わえる。
「シーエイの髪はくるくるして可愛いな」
「そうか?起きがけは跳ねてなおすのが大変なんだ」
「なら私が梳ってやろう」
櫛でシーエイの髪をティナは梳る。
二人の距離が近づいたことをどちらもまだ自覚していない。




