百四十九、陽人の戦い、決着
「孫堅軍の奇襲部隊が胡軫様の本陣を襲撃いたしました!」
駆け込んできた李粛がそう告げた。
彼の鎧には傷がついており、ところどころ血が滲んでいた。
「なんと!防御防御と言いながら、この始末か」
呂布は胡軫から離れたところに“退け”と言われたので、文字通り本陣から離れたところに布陣していた。
そのため、奇襲があったことなど気付かなかった。
いや、そもそも奇襲などはない。
李粛のでっち上げなのだ。
傷ついた鎧は華雄兵の亡骸から拝借したものだし、体の傷は自ら傷つけたものだ。
呂布らを信じ込ませるために、できることはなんでもしている。
「胡大督護を助けてとは言いませぬ。しかし、奪われた本陣を奪還してはいただけませぬか!」
胡軫の駐屯していた陽人の本陣は孫堅軍の奇襲部隊によって奪われた、と李粛は言った。
呂布の目がぎらりと輝いたように側近たちは思った。
「なれば本陣を取り返せば、そこは取り返した者の陣となる、そうだな?」
「そのように思いまする」
李粛は迫真の演技で同意する。
「そのうえで勝てば、大督護も何も関係なく、俺がこの軍を統べることとなろう」
呂布は陣払いを命じた。
そして、部下たちをまとめすぐに出発の支度をさせる。
あたりはすでに陽が落ちていたが、呂布隊はそのころには行動を開始していたのだった。
そして、結果的に呂布隊は味方の本陣を急襲した。
呂布たちはそこがすでに孫堅軍に奪われ、堅固な陣を敷いていると思いこんでいた。
胡軫たちは夜襲があるかもしれない、と防御を固めていた。
どちらも相手が孫堅軍だと誤解したまま戦いがはじまった。
敵に接近を悟られぬよう灯りをつけず、馬の口を閉じ、足音をひそめて呂布隊は本陣に近付いた。
そのまま攻撃すれば完全な奇襲となるが、呂布はそれを好まなかった。
思えば父である呂陸からも“勝負とは相手がこちらを認識してなりたつもの”と言われたことがあった。
寝ている者を殺しても何の誉れにもなりはしない。
「呂布隊、ありったけの声で吼えよ!」
呂布の声に心得たように呂布隊の精鋭たちは声をあげた。
怒号、咆哮、あるいは雷鳴にも似たそれは、胡軫にも聞こえた。
「ええい。本当に奇襲してくるとは!」
胡軫は急ぎ、迎撃の指示を出し、自らも鎧を身につけて外に飛び出す。
騎馬が本陣の周縁を激しく攻撃しているのが見える。
陣にいる兵らを増援に向かわせ、走る。
「しかし、これを追ったという呂布たちはどうなったのだ?」
敵の奇襲部隊を発見したという呂布隊はこれを追ったという報告があった。
しかし、奇襲は行われ呂布隊の姿は無い。
逃げたか?
という思考が頭をかすめる。
あるいは寝返ったか。
一度、寝返った者は容易に信用などできぬ。
普段はよい。
しかし、このような進退の窮まった時、ふとした疑念が不信に繋がってしまうのだ。
現れねば現れぬでよい。
せめて敵に回らないでくれ、と胡軫は思いながら戦闘に参加した。
李粛から“離間の計成り”との報告が、入ると共に孫堅は陽人の胡軫の本陣へ急行した。
董卓軍に間喋として送り込んだ“李粛”が、何年も埋伏させて、そして洛陽奪還の機に大きな策を成功させたことに孫堅は満足感を得ていた。
今まで孫堅は董卓に対してやられてばかりだった。
味方であった時も、敵であった時も、だ。
韓遂や辺章といった涼州の雄と戦った時は包囲されたり、それで董卓ばかりに活躍され、客星が現れた時には機先を制されて敵を単独で撃破されたりした。
そして、昨年の洛陽へ進撃する時にも偶発的な二方面作戦となったが董卓軍の徐栄によって蹴散らされてしまったりもした。
それは孫堅の才覚で全てを賄ってきたからだ、と敗北のあとで気付いた。
孫堅の才は破格であろう。
軍才においては時代でも一、二を争うはずだ。
しかし、一人の才では限界はある。
己より下の才覚しかないであろう、と部下のことを思っていたが、しかしよくよく見てみれば彼らの才は己に比肩する、あるいは凌駕するものを持っていたりする。
さらに言えば孫堅の才はどちらかといえば猛将の才だ。
ゆえに無謀な攻撃を仕掛けることが稀にある。
それは往々にして成功する。
孫堅の才ゆえに。
しかし、そう上手く行き続けるわけはない。
孫堅が勝ち続けるためには、知将の才を持つもの、政治力を持つもの、そして無謀を止める忠臣などを集めるよりない。
それは今成りつつある。
孫堅の代で全てを揃え、発展できることはないかもしれない。
だがその道筋は見える。
そのためにもここで董卓軍を蹴散らし、洛陽奪還という功績を手に入れることが必要だ。
長年の鬱憤を晴らし、功績を手にする。
そうすることで孫堅の望みはかなうだろうし、かないつつある。
孫堅軍が戦場に到達したのは夜明けも近い頃合いであった。
薄明かりのさす夜明けに至って、ようやく呂布と胡軫は互いの戦っていた相手が何者なのか気付いた。
同じ董卓軍だったことを、だ。
見知った相手であることに気付いた兵らは動きを止めた。
隊長たちも、指揮官も、将らも、だ。
本来なら夜間であろうと襲ってきた相手が味方かどうかはわかるはずだ。
しかし、胡軫軍の内情がそれを不透明にさせた。
胡軫の隊は元は何進や何苗などのもとにいた中央軍、呂布の隊は丁原のもとにいた并州の兵である。
元々、互いに仲間ではなかったのだ。
さらに李粛の離間の計によって、胡軫と呂布の共同訓練があまり行われなかったことにより二つの隊は面識も、仲間意識も無かった。
それが視界の制限された夜襲によって露にされたのだった。
動きが止まった胡軫たちを見て、孫堅は程普に攻撃を命じた。
程普はこの時期、孫堅の副将的な立場にいた武将である。
元は楊州の役人であったが海賊討伐に参加した孫堅に惚れ込み、その配下となった。
黄巾の乱、涼州の乱を戦い抜き、この反董卓連合軍の中で突出する孫堅の将として多くの戦いで活躍していた。
今から戦闘を開始する程普ら孫堅軍と、夜通し戦い、そして同じ軍同士で消耗しきっていた胡軫軍。
その戦いは、もう戦いにならなかった。
「進め進め!敵は弱っておるぞ」
程普は兵を鼓舞して陽人の本陣に突撃していった。
胡軫軍だろうが呂布隊であろうが関係はなかった。
程普の鉄矛によって立ち向かう敵は薙ぎはらわれていく。
「ことここに至ったならばもはや仕方ない。少しでも損害を減らすことを考えるのみ」
胡軫軍撤退だ、と胡軫は命じた。
華雄が討たれ、同士討ちをさせられ、夜明けの奇襲である。
勝てる要素などない。
撤退の鐘が鳴り響くなか、呂布は自隊をまとめて反撃せんとした。
「高順、あの将を討つぞ」
呂布は画戟の先を暴れる程普に向けた。
孫堅軍の中核を成す将であることは見てとれた。
あれを討てば孫堅の動きを止めることが、少なくとも鈍らせることはできるだろう。
だが高順は首を横に振った。
「呂布殿、すでにお味方は四散し、もともとの同輩しか残っておりませぬ」
呂布は付き従う者を見渡した。
「俺に従うのはお主らだけか」
高順や張遼といった直下の兵のみである。
しかし、どれほど一騎当千の兵であろうと勢いのある大軍に抗すのは難しい。
ふう、と呂布は息を吐いた。
今まさに降りんとしていた“呂布”はどこかへ行ってしまった。
「退くぞ」
呂布は赤兎を駆り、北へ駆け始めた。
呂布隊もそれに続いた。
これによって董卓軍は撤退し、陽人の戦いは孫堅の勝利で終わることになった。




