百四十七、陽人の戦い
洛陽奪還を狙う孫堅はついに再び兵を挙げた。
梁城で徐栄に敗れた後、孫堅は敗残兵を収容し、対騎兵の戦術を徹底的に調練した。
現在、孫堅の最大の敵は董卓軍であり、その中心戦力は騎兵だ。
その対策を疎かにして、董卓軍に勝つことはできない。
その上で、李粛を使って離間計を仕掛けた。
敵を知り己を知らば百戦危うからず、というのは孫堅の(自称)祖先の孫子の記した兵法にある言葉だ。
自軍の長所を知り、敵のことを全て知れば勝てる。
「そのために一年を費やした。待っていろ、董卓」
孫堅の挙兵の知らせは洛陽跡の畢圭苑にいた董卓のもとにすぐに届いた。
董卓は編成を終え、調練を続けている(はずの)胡軫率いる大督護軍を向かわせた。
南下した胡軫軍と北上する孫堅軍は、前回の戦いがあった梁城の近く、陽人の村にて対陣した。
二月の冷たい風が両陣営を区別することなく吹き抜けていく。
閉めきった天幕の外側を風が押していくように吹くために、ギシギシと不安げな音がしている。
その天幕の中は外より暖かい。
いや、うっすらと汗をかくほどには暑い。
中で胡軫軍の指揮官たちが軍議を開いているのだ。
大督護で総司令官の胡軫、騎督の呂布、都尉の華雄などが参加している。
その武人たちの熱量が天幕の中の気温を上げているようだった。
実を言うと、すでに両軍の先鋒同士は衝突していた。
陽人に先行していた胡軫配下の華雄隊は、孫堅軍先鋒の鮑忠隊と戦闘している。
この鮑忠は、先年の徐栄と曹操が戦った際に生き残った済北の相鮑信の弟である。
次兄である鮑韜は戦死しており、汚名を雪がんと孫堅軍に合流していた。
この華雄と鮑忠の戦いは、短時間で決着した。
若くして董卓軍に参加し、以来数々の戦いを駆け抜けてきた雄将である華雄は復讐に燃える鮑忠をしかし、一蹴した。
両者は騎馬にて交戦し、二度槍を交えた。
二度目に鮑忠は攻撃を受けきれずに馬上でふらついてしまった。
その隙を見逃す華雄ではなく、槍を一閃させ鮑忠を穿った。
その一撃で鮑忠は絶命し、馬から落ちた。
指揮官の戦死によって先鋒隊は瓦解し、退却していった。
そのため、陽人の要所は胡軫軍が抑えることができ、有利な場所に本陣を置き、敵を待ち受けている状況である。
「この余勢を持って敵方に強攻をかけるのが良いと私は思いまする」
名のある将を撃破した一番槍の華雄の言は軍の中で重くなっている。
「俺もそれに賛成だ」
と呂布が賛意を示した。
「待て。孫文台は良将だ。必ず我らを待ち受ける策を用意しているはずだ。しかし我らは奴らの突破を阻めばよい。無理をして攻撃することはない」
逸る華雄と呂布を止めるのは胡軫だ。
彼の言うとおり、攻撃をしかけ、洛陽への道を切り開こうとしているのは孫堅の方だ。
こちらは守りを固め、突破を防ぐことができれば勝ちだ。
こちらから攻めて隙を見せるのは下策だろう。
という胡軫の言葉は、しかし省みられることは無かった。
「勝てばよい」
とばかりに呂布と華雄は騎兵を仕立て、突撃することにした。
董卓軍の序列では胡軫の方が一番上だが、董卓に気に入られているのは呂布の方で、武功をたてたのは華雄だ。
武勇に秀でたる者、力強き者こそが発言力のあるのが羌族だ。
そして董卓軍は羌族が主体となっている軍だ。
武勇そのものである呂布と華雄に兵たちは従うのだった。
対する孫堅軍は陣地こそ不利であり、鮑忠を失っていたが意気は軒昂であった。
「華雄は強い。だが、それでも我らの予想を超えるものではない。鮑忠殿は出会い頭の奇襲でやられたに過ぎぬ」
と孫堅が口舌をふるうと、兵たちはわきあがった。
「そして、我らはそんな相手に勝つために苦しい調練を続けてきた!ゆえに我らは勝つ!洛陽奪還の時は近いぞッ!」
その勝利宣言に、兵のみならず指揮官たちもわきたち、手を振り上げたり、何かを叫んだりしていた。
孫堅は満足そうに頷くと、自らの天幕に下がっていった。
兵たちには自身ありげに見せていたが、孫堅は誰もいないことを確認すると爪をぎりっと噛んだ。
「鮑忠……まさか、開幕早々にやられるとは」
卓においてあった酒杯を怒りにまかせて叩きつける。
ぱりん、という乾いた音をたてて杯は割れるが、それで孫堅の気が晴れることはない。
まさか、先鋒がすぐにやられるなどとは予想もしていなかった。
孫堅直下の士卒こそいなかったものの、潁川やこのあたりで登用した中から選抜した者を先鋒に加えていた。
それが簡単にやられたとなると戦術の見直しが必要だが、もはや開戦しており、戦術の変化には時間を要する。
つまり、それは間に合わないということ。
このままの形で戦い、勝つしかない。
孫堅は兵を固め、守勢の構えで進めることにした。
攻撃してきた孫堅軍が防御し、攻められた胡軫軍が攻撃に転ずるという逆転の構図だ。
季節は冬であり、どちらも兵糧に乏しい。
陣地に焚く火の薪すら惜しいと思えば、呂布の唱える短期決戦案も理にかなっていると言える。
だがその理を超えたのもまた戦なのだ。
雪が降った朝、もはや廃墟と化した陽人の村は真っ白に染まっていた。
その薄い雪原を駆け抜けていく馬群がある。
先頭は真紅。
鮮血か、あるいは業火か。
呂布と愛馬赤兎である。
率いられた呂布隊はその背に追い付かんと馬を駆けさせる。
吸い込まれるように呂布隊は孫堅の陣へ突撃していった。
初めの突撃で五重に敷かれた孫堅軍の防御陣が三層まで突破された。
潁川軍残党による第一層、楊州にて募兵した新兵による第二層、これらは突破されることを想定していた。
だが第三層においていたのは孫堅の古参の兵たちである。
韓当率いるこの第三層はよく守ったが、騎兵の突撃に散々に蹴散らされた。
その惨状を目にして、第四層に配置された黄蓋や程普などが反撃に出た。
この第四層は守りに守ったあとで素早い攻撃を行うための隊であり、本来ならこんな序盤に動かすものではなかった。
「だがそうも言ってられん!」
孫堅はそのまま第五層の隊を動かした。
この第五層の隊は孫堅直衛の兵と一門衆が含まれている。
弟の孫賁や妻の親族、妹の子などかき集めた初めの孫堅軍とでもいう隊だ。
「ぬう!存外に敵の守りが固いか」
と呂布は方天画戟を一閃させると第三層の兵らを吹き飛ばし、方向転換、来たときと同じように駆け抜けていった。
「第二波に備えよ!隊の被害状況を知らせよ!」
孫堅は各所に伝令を出し、防御陣形の建て直しを急がせた。
この辺の訓練を繰り返していたのもあって、守りを固めるのはすぐにできた。
呂布が戻ってきたのを見て、華雄は敵の防御が固いこととそれが今はほどけつつある、と判断した。
そして、自隊を率いて突撃を敢行した。
この突撃は第二層を突破することはできなかったが、呂布の攻撃で一番大きな被害を被った第一層を蹴散らし、ほぼ無力化することに成功した。
「孫堅様に急ぎ知らせよ。第一層瓦解だ」
と声を張り上げたのは二層の隊をまとめる朱治だ。
第三波があるなら次はこの二層が主役となる。
その覚悟を胸に防御をさらに固め、そしていつ攻撃に転じるのか。
ジリジリと朱治は指示を出していく。
一層瓦解の報を聞いた孫堅は額に青筋を浮かべながらも、対応策を指示していく。
第一層はもともと鮑忠の担当だ。
そこの弱さは織り込み済みだ。
織り込み済みとしなければやっていけない。
「耐え続けろッ!好機はきっと来る!」
今はそう叫ぶしか孫堅にはできなかった。




