百四十六、李粛
呂布は胡軫のことが苦手であった。
胡軫の語る軍の理、常識とやらがまるで理解できなかった。
いわく、行軍の整列さ、武装の統一、敵を無為に切ることなく生かして帰すこと。
そのようなことは、今までの呂布の戦には無かった。
行軍とは進むことであり、己が先鞭をつければ配下は勝手についてくるものだ。
武装とは個々人の体躯、力量に合わせて、大きさや軽重を決めるもの。
敵を無為に切ることはせぬが、生かして帰すのは違うだろう。
敵は倒すためにある。
呂布の戦法の根底にあるのは、父の教えである。
かつて羌の反乱に参加し、一軍の将であった呂陸。
片腕を失い引退し、故郷の五原郡九原県で定住化した匈奴のまとめをしていた男だ。
羌族の大将の側近であったらしく、その戦い方を身に刻むように体得し、それを呂布へと継承した。
それは強き者に誰もが従い、それに生じる恐怖でもって支配を強化し、同時に強さという魅力で忠誠を高めるやり方であった。
その教えの結実が呂布の“神降ろし”による“呂布”の発現である。
丁原の配下であった時はそのやり方で鮮卑の侵攻を撃退し続けたのだ。
なので間違っているはずはない。
そもそも、だ。
胡軫からは猛々しい匂いを感じない。
それは戦に明け暮れ、染み付いたものだ。
父、呂陸もしたし、今の主君である董卓からもその匂いは感じている。
董卓軍の中でも一部の将からは匂いを感じることもある。
それがある軍は、まるで獣の群れのように俊敏かつ獰猛に動き、強い軍となるように呂布は感じていた。
だから、董卓軍も強い軍なのだろう。
全体がそうであるからといって、個人がそうであるとは限らない。
だから胡軫のことは苦手である。
「浮かぬ顔ですな」
と声をかけてきたのは高順だ。
年は呂布より幾分若い。
丁原に仕えていた時に呂布の配下へ配属され、董卓軍への寝返りにもついていった。
呂布の半ば衝動的かつ天才的な用兵を、理解し追従することのできる武将であった。
呂布は確かに英傑だが、それを部隊全員へその力を浸透させるためには高順は無くてはならぬ人材である。
その武の才は凄まじく、必ず敵陣営を陥すことから、後に“陥陣営”とまで呼ばれた。
戦闘という面で呂布の理解者である彼は、死ぬまで呂布に忠誠を誓った。
「見よ」
と呂布は少し離れたところにいる胡軫とその配下の兵らを指差した。
「あれは調練をしているのでしょうな」
「そうだ。調練、調練、調練だ」
「鍛え上げねば兵卒は力を発揮できませぬぞ?」
「それはわかる。だが、やり過ぎなのだ。畢竟、兵らは槍をもって突撃すればそれで事足りる」
あとは我らが騎馬にて敵を蹴散らすのみよ、と呂布は笑う。
高順には胡軫の考えはわからないではない。
董卓より預かった大督護軍は、元々何進と何苗兄弟の兵である。
董卓の率いていた西涼の騎兵たちとは、そもそも兵の質に大きな違いがある。
それを使えるように調練するのは大きな意味があるだろう。
しかし、呂布のように己の爆発的な突撃についてくる兵たちを選別していくのもまた一つのやり方ではある。
残った側の高順は特にそう思うのだ。
遠くから馬の蹄の音がした。
先に気づいたのは呂布の方だ。
「李粛だ」
遠くに目をやると、確かに李粛が馬を駆りやってくるのが見える。
李粛は并州出身であり、同郷であることから呂布を丁原から寝返らせる際の交渉役であった。
古くから董卓軍にいたわけではなく、辺章、韓遂の乱の際に登用された兵である。
呂布がやってきたあとは、軍の再編に伴い胡軫配下となった。
そして同じく胡軫配下で半ば独立軍となっている呂布隊との連絡係となっている。
ある程度まで近付けば高順も、それが李粛であることはわかる。
しかし、微かな馬の足音だけでわかるものなのか。
自分たちを率いる者の身体能力に、あらためて畏れを抱く高順であった。
やってきた李粛は人懐っこい笑顔で拝礼した。
「呂騎督におかれましてはご機嫌うるわしゅう……」
「うるわしくはない。用件を言え」
「では。胡大督護様よりの伝令です。呂布隊も調練に参加せよ、とのことです」
「不要、と返せ」
李粛は困ったように頭を掻いた。
「もちろん、奉先様の事情はわかります。現場では元中央軍の奴らが董卓軍を田舎者と侮っていることも知っております。ですが」
「同じ部隊なのだから仲良くしろ、と?」
「というのが大督護様の表向きの言葉です」
「ほう?」
と呂布は姿勢を正して李粛の方を見た。
「大督護様は呂布隊を分解し、自軍の支配下に置きたいと思っているようでした」
「呂布隊を分解だと?」
「ええ。隊長の奉先様をはじめ、高順殿、張遼殿など武勇に優れた方が多いですから。豪傑が千人将あたりで活躍すれば大督護様の武威は上がるでしょうね」
「それは俺の隊を犠牲にしてのことだろう?そのような武威にいかほどの意味があろうか」
「しかし、私や奉先殿がわかっていようと董相国様ともなればどうでしょうか?」
「なんだと?」
「胡軫様の兵が功績を挙げれば、それはすなわち胡軫様の武功でしょう」
「そのようなことは断じてさせぬ」
「了解いたしました。大督護様には適当な報告を返しておきます」
「うむ。頼むぞ」
李粛は再び、拝礼すると慣れたように馬に乗り、胡軫の陣へ駆け戻っていった。
胡軫は伝令にやった李粛が浮かぬ顔で帰ってきたのを見た。
「どうだった?」
「は。呂布殿は居丈高に私を罵り、弱腰な洛陽兵どもと交わるつもりはない、とおっしゃいました」
「おのれ」
と胡軫は手にした指揮杖をぼきりと折った。
呂布隊が胡軫の調練、いや合同訓練に参加しない。
初めからそうだ。
こちらの兵を侮っているのはわかる。
しかし、歩兵中心の胡軫隊と騎兵中心の呂布隊の連携なくして大督護軍の勝利はありえない。
それがわかっていないのだ。
呂布隊だけでどうにかなるとでも思っているのか!
徐栄殿が反董卓連合軍の二方面攻撃を撃破したのは、確かに騎兵中心の運用があったからだ。
だが、それを成した徐栄隊の消耗はひどく、もし三度目があったらその対応は無理だった、と聞く。
呂布隊がいくら優れていようと騎兵単独でことに当たるのは難しいのだ。
それができるゆえの董卓様で、それは才覚あるゆえだ。
才覚の足りぬ凡夫たる我らは自らできることをするよりないのに。
それなのに。
多少の才を頼みに協力というものをしようとしない。
そのため、胡軫は呂布のことが苦手だった。
胡軫の前を去り、李粛は晴れ晴れとした顔で馬を駆けさせた。
「難しいことを頼まれなさる」
独り言は駆ける馬の速さで風に流れていく。
「しかし、あなたのたてた策は成りつつあります」
呂布も胡軫も、あるいは董卓でさえ気付いていない。
そもそも、こんな小者に大それたことを成せるとは思っていない。
たまたま丁原配下の英傑と同郷の者がいた、と?
ふふふ。
呂布はそもそも同郷の者の顔など覚えていない。
父と二人、匈奴の氏族と離れた生活をしていたことくらい、少し調べればわかることだ。
李粛という并州生まれの男はいたが、もう亡い。
馬を駆る李粛を名乗る男は笑った。
「もうすぐ離間の計はなりますぞ。孫文台様」




