百四十、絶望憤怒激情
王匡の軍は呂布、董卓の突撃によって壊滅した。
頼みとしていた方悦がまったく抗せずに打ち破られ、さらに動揺した隙に牛輔率いる陽動部隊までも上陸し、董卓本隊との挟撃にあい王匡軍は破れ去ったのだった。
王匡自身はなんとか生き延び、故郷の泰山郡へ逃亡した。
その後、陳留太守の張邈を頼りにしたが、董卓が遣わした和睦の使者を殺してしまう。
そして、その使者の遺族とそれに手を貸した曹操の手によって討たれてしまう。
がそれは後の話であり、今の時点で王匡軍はほぼ全滅。
董卓の鮮やかな勝利となった。
とりあえず初戦は勝てた。
洛陽で怪しい行動をしていたやからもすぐに鳴りを潜めた。
だが王匡は小物だ。
動員できる兵も少なく、時間稼ぎしかできなかった。
もしも、25万を称する連合軍の本隊が来襲したら、手持ちの兵では足りぬ。
そのように考えながら董卓は洛陽に帰還した。
凱旋である。
大歓声を期待したわけではないが、安堵した民たちの顔くらいはあると思っていた。
しかし、大通りは静まり返り、道を歩く者は少ない。
誰も彼もが、家に閉じこもっているように見える。
「どういうことだ?」
と董卓は居残り組の将に尋ねる。
もしかしたら、居残り組が傲慢な態度で民に接したため、反感を買ったのかも知れぬ、と思ったからだ。
残っていた者らは顔を見合わせた。
そして、弟の董旻がみなを代表するように口を開いた。
「兄上が……負けることを洛陽の民が望んでおりました」
その、言葉の意味を、董卓が理解した時。
董卓は生まれてはじめて足の力が抜け、立てなくなった。
座り込んだ兄の姿を董旻は心配そうに見た。
「俺の、俺のやり方を洛陽の民が望んでいなかった、と。そういうのか」
裏切られた、という思いがふつふつと心中に沸いてきたのを董卓は感じた。
宦官のやり方を嫌がっていたではないか。
本来の税の他に二重三重に重税を課され、金があるものだけが抜けていく時代だったではないか。
出世をしたらしたで些細なことで罪を負わされ、職を罷免されることも多々あった。
宦官らが排斥された機を得て動いたのは確かだ。
それから名士らの協力を得ようとすれば、裏切る奴らを董卓自身に任命させた。
初めから、董卓のことを気に入らなかったということか。
おのれらが勝手に決めた暗黙の了解を、こちらに教えもせずに破ったと糾弾しようというわけか。
董卓の漢帝国を建て直そうとする意志を。
母を殺され、家臣らに侮られた帝を助けたいという情を。
帝国から捨てられかけた故郷、涼州を元に戻したいという思いを。
理解もせずに、董卓が田舎者というだけで嫌がっていた。
ならば。
「ならば要らぬ」
口から漏れでた言葉は、意志によって制御されたものではなく。
だからこそ、董卓の本意であった。
「兄上……?」
董卓はゆっくりと立ち上がった。
「董旻。史書は我らをことのほか悪しく記すだろうな」
「どういうことです?」
「俺の理想を成すためには、洛陽は旧弊に縛られすぎている」
「……」
「洛陽を焼く」
「!?」
董卓が酔ってないことはわかっている。
さきほどの言に衝撃を受けたのは確かだが、その興奮が醒めたようなのもわかる。
つまり、董卓は正気で、今の言葉は必ずやるということだ。
「まずは遷都だ」
「都を移すと?」
「そうだ。長安に移す」
董卓の目は爛々と輝き、その一挙手一投足が何か意味を込めているかのように見えた。
董卓は空中に指を這わせ、点を指す。
それは中華の中心、司隷を現しているように董旻らには見えた。
「……兄上……」
「長安は我らの本拠地である涼州に近く、また残してきた軍もある。これによって連合軍の半分程度の戦力となる」
「敵が洛陽に進駐してきたならば?あるいは新たに帝を擁立する可能性もありまする」
「ふふふ。長安と洛陽にそれぞれ帝を擁立して争いあう、か。乱世だな」
「冗談ではございませぬ」
「連合軍が洛陽に集うことはできぬ」
「それはいったい……」
「長安に遷都し、帝と朝廷を移動した後、洛陽は焼く」
さきほど董卓が呟いた“洛陽を焼く”という言葉の意味を董旻は理解した。
理解したのだが、都を焼くという発想は董旻には無いものだった。
「そういうことでしたか……しかし」
「わかる。洛陽はあまりにも漢帝国の中心として権威を持ちすぎた。しかし、旧弊を打ち払い、我らが勝つためにはやらねばならぬ」
「洛陽を焼けば勝てる、と?」
「うむ。連合軍どもの目標は俺の討伐だが、はたして俺を倒したところで奴らの目的は達せられるのか?」
「兄上が討たれるなどと」
「もしも、の話だ。仮に俺が死んでも、お前がいるし、牛輔もいる。董卓軍そのものは崩壊しないはずだ」
そんなことはないだろう、と董旻は思った。
董卓あってこその董卓軍ではないか、と。
しかし、それは口にしなかった。
言葉にすると本当になりそうな気がしたからだ。
「そして、その董卓軍が守る限り、帝は落ちぬ。漢帝国は続く。灰と化した都で偽りの帝をたてても、それに大義はない。そのうえ、本当の都は遠く長安だ」
「そこまで攻める力は無いと?」
「最終的には攻めてくるしかないだろう。だが躊躇うだろうな。都は焼け失せ、そこから先は敵の勢力範囲。俺なら進みたくない」
さらに言えば、反董卓連合軍の拠点は広範囲だが、その全ては洛陽から東にある。
新たに都となるだろう長安に攻めるには時間と物資が必要だろう。
だが拠点となる洛陽は無い。
独自の兵坦方法を確保し、強力な指揮権を有する者で無ければ遠征は難しいだろう。
その状況を作り出し、連合軍の結束とやらを崩し、勇んできた軍を各個撃破する。
その間に戦力を拡充する。
「しかし涼州は……」
と董旻は口ごもった。
今、涼州は漢帝国の統治から半ば外れている。
十年に近い間、乱を起こし続けていた韓遂、新たに台頭してきた馬騰が争ったり、和睦したりと混乱を極めている有り様だ。
「俺が治めてみせる」
「それができれば」
ずっと漢帝国に反乱し続けている韓遂らを取り込めれば、大きな力になることは間違いない。
「どうせ悪名が乗るのなら徹底的にやってやろうではないか」
「兄上、心配はいりませぬ。我らは董卓軍。騎馬で突撃し、略奪し、勝つ。それが一番の得意技でありますゆえ」
たぎっていた暗い憤怒が晴れ、激情へと変わったことを董卓は自覚した。
所詮は田舎者の我らだ。
慣れぬことをして、中央の流儀に合わせたことがそもそもの間違いなのだ。
自分のやり方で成し遂げなければ意味がない。
漢帝国は建て直してやろう。
帝を推戴し、朝廷を機能させ、牧や太守をふさわしい者に任せる。
だがそれは、俺自身のやり方で、だ。
「戦勝の勢いで朝議を制す。そこまではここの流儀に従ってやろう。だがそれからはこの董卓の流儀にあわせてもらうぞ」
王匡を退けた軍装を解かずに董卓は朝議を開いた。
議題は“長安遷都”である。
太尉黄琬、司徒楊彪、司空荀爽が反対した。
三公が全て反対した。
普通なら、それで終わりだ。
だが、今の董卓はそんなことで止められなかった。
先の皇帝交替の時に盧植に見せた憤激が優しく見えるほどの激怒で司徒楊彪の前に立った。
もはや中央の詐術にも似た弁舌に付き合う気はない。
命のやり取りすら辞さぬ董卓の決意に、楊彪は逆らう気を無くしたのだった。




