百三十九、渡河二方面作戦
総勢25万を称する反董卓連合軍だが、その行動は必ずしも連携がとれていたわけではなかった。
一ヶ所に全軍が集結しているわけでもなく、また孫堅のように独自に動いている者もいる。
そして、最初に董卓を討たんとして河内太守の王匡がまず動いた。
河内郡と本拠である泰山から兵を集め、五千の軍勢で河内から南下し黄河の北岸に姿を現した。
董卓の保有する戦力は何兄弟の軍、丁原の兵、虎噴騎、それに仮節鉞で独自に募兵できる兵など五万以上になる。
それに対して五千で挑むは無謀もいいところだが、王匡は軽騎兵を中心とした速さに特化した軍で奇襲を敢行した。
これは攻撃する奇襲ではなく、軍を洛陽の近くに置くことで起こる効果と他の反董卓連合軍を動きやすくする効果を狙ってのことだった。
さて実際に敵対者が現れたことで、董卓が考えるべきことはこの王匡の早期撃滅であった。
洛陽が脅かされている現状は、董卓の統治者としての能力に疑問符をつけることになる。
それを解消するには敵を倒すのみである。
長引けば長引くほど、董卓の足元が揺らぎ、正当性が失われていく。
それは王匡の望む効果である。
董卓は部将を集め、軍議を開いた。
そして、こう言った。
「軍を二手にわける」
戦力の大半は洛陽の守備に置いておく。
その指揮は弟の董旻と甥の董璜がとり、怪しい行動をする者を監視し、内応する者や暴徒となりそうな者の行動を抑止する。
そして、董卓自らが出撃し王匡を倒すのだ。
その出撃する軍を二つにわける。
「一手は牛輔が五千を率い、平陰から渡河し敵を襲う、ように見せかける」
「私が陽動だと?」
牛輔がやや不満げに言った。
軍を率いて真っ正面から当たることを牛輔は得意としていた。
しかし、その本音はそうしたほうが戦が早くすむからだ、と董卓は察していた。
武人である。
武門の出である。
董卓の娘婿である。
という仮面、いやしがらみに縛られて、本当は戦うことが怖い、という本音を出せないでいる。
それが牛輔だ。
「陽動こそ、この戦いの肝だ」
「義父上、それはどういう?」
「お前が董卓軍の本隊であることは、おそらくどの勢力も調べがついているだろう。ゆえにお前が出ることで、陽動が間違いなく決まる」
「私が出るからこそ、陽動が陽動として機能する、と?」
「それに、お前もそろそろ猪突猛進の武者ではなく、実際に指揮を振るう将となる頃合いだ。董卓軍の突撃隊長ではなく、漢帝国の中郎将である自覚を持つがよい」
「!」
それは牛輔が董卓の軍事面での後継者であることを明示された瞬間であった。
董家の後継者には当然なれぬ、が董卓軍の指揮官として牛輔が活躍できる余地はある。
戦嫌いの指揮官なればこそ、董卓軍に幅ができるのではないか、という期待もある。
どうしても牛輔には甘くなる、と董卓は自覚している。
とはいえ、今回の戦いではそれでよい。
「もう一手は俺が率いて、小平津を渡河する」
こちらが本命だ。
「こちらは徐栄、そして呂布を連れていく。一人千で、三千もあれば充分だろう」
董卓軍では新参も、軍事行動において重要な役割を任せられることがままある。
徐栄も入りたての頃からガンガン前線で戦わされたし、段煨や胡軫といった将もそうだ。
それはその将を信頼しているというよりは、その実力を早く見極めたいという意志と、たとえ失敗したり、寝返りをされようも董卓自身がどうにかできる自信があるためだ。
今の徐栄はすでに一軍を率いる将として、董卓軍の第二の要となっていた。
そして呂布は、前評判だけはある。
檀石槐の息子を退けたという実績。
その和連とかいう男がどれほどのものかわからないが、檀石槐の薫陶を受けた鮮卑の軍は強敵ではあったろう。
それを今回、見てやろうという気持ちがある。
董卓軍はそのような陣立てで出撃した。
平陰方面へ出てきた牛輔隊は、董卓軍の本隊であるかのように振る舞い、そして王匡はそれを信じた。
「ふふふ。前将軍だか相国だか知らないが、所詮は涼州の猪武者よ。河を使った戦い方を知らぬ」
と王匡は笑う。
「ずいぶん上機嫌ですな」
と王匡に軽く話しかけたのは、王匡軍の部将である方悦である。
河内郡では名の知られた槍の名手で、ぜひにと請われて王匡に仕官した人物だ。
そういった経緯から王匡にぞんざいな口の利き方をしても咎められることはなかった。
「それはそうであろう。古来より河というのは渡る側にとって不利な地形よ」
渡河はとにかく危険だ。
行動速度は落ちるし、攻撃されれば対処が難しい。
何も無くとも転べば溺死の危険性もあるし、大河ともなれば歩いて渡ることはできないので準備も時間もかかってしまう。
「背水の陣などがあるのでは?」
国士無双韓信はあえて河を背にして、逃げ場を無くした。
それによって奮起した兵は敵を倒すことができた。
「それは韓信将軍の将才あってのこと。今の時代、そのような者はおらん」
「ということは」
「おそらく船で渡ってくるゆえ、火矢をいかけるなり、津に兵をおいて撃退するなり、自在よ」
「ううむ。楽な戦になりそうですな」
「そのとおり。我らの役目はここで時間を稼ぐこと。そうすれば洛陽での董卓めの威勢は落ち、そして反董卓連合軍が集結する」
「ならば俺の役目は無いな」
と方悦はつまらなそうに河の方から目をそらした。
「そんなことはない。津の防衛を突破してくる奴はきっとくる。そんな時こそお主の出番ぞ」
「そんな奴がいればいいのだがな」
そして、平陰から侵攻してきた董卓軍を視認すると王匡は全軍を渡河地点である津で待ち受ける構えをとった。
その様子を別の地点である小平から渡河した董卓軍の本隊は確認していた。
「牛輔はうまくやっておる。……よし、先鋒は呂布だ。次に俺が続く」
「は」
「ならば私は殿ですかな」
「うむ徐栄は自由に動き、敵の動きを阻害せよ」
簡単にそれぞれの動きを説明し、董卓は機を待った。
敵の注意は牛輔側に向きつつある。
そして、その時は来た。
「今だ」
という号令とほぼ同時に呂布隊が駆け出した。
まるで董卓と同じ好機を見いだしたかのように。
本来、奇襲は静かに敵に気付かれずに行うのが必定だ。
だが、呂布は敵に知らしめるかのように雄叫びをあげた。
河に注目していた王匡は真横から聞こえた雄叫びに反応し、その方向を見て硬直した。
ひるがえる“董”や“呂”、“徐”の旗を見て、すぐ横に董卓軍の本隊が接近したことに気付いたのだ。
渡河しようとしている董卓軍、奇襲を仕掛けようとしている董卓軍、どちらにどのように対処するか迷った王匡は指をぷるぷると震わせたまま動けなかった。
「大将!俺が行くぜ」
と指示を待たず方悦が手勢を率いて向かった。
「う、うむ」
だが。
呂布は雄叫びと共に“呂布”を神降ろししていた。
その叫びに感染したかのように呂布隊は一糸乱れぬ陣形で突撃していく。
先頭を駆ける呂布は汗血馬の赤兎にまたがり、その赤い馬体は烈火が草原を呑み込んでいくかのように見えた。、
「俺は王匡配下、槍の方悦!いざ手合わせ願おう……!……?」
「我が名は呂布、天を画つ者なり」
馬上でもまったく姿勢を崩さず呂布は特異な武器である方天画戟を振るった。
一振目で方悦の突き出した槍は吹き飛ばされ、呂布の人外の膂力によって引き戻された戟は方悦の頭に直撃し、その命を散らした。
王匡の自慢の部下であった方悦は瞬殺され、王匡はその間、ずっとぷるぷると振るえていた。




