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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百三十七、董卓政権の明暗

 相国は例えるなら、現代でいう首相だ。

 大統領の下にある首相、皇帝の下にある相国、細かいところは違うが大まかなニュアンスは伝わると思う。


 董卓以前に就任していたのは曹参そうさんであるが、この間はおおよそ三百八十年。

 誰も就任できなかった、のではなく蕭何しょうか、曹参の二人を顕彰するがゆえに就任しなかったのだ。

 それを踏みにじるような董卓の就任は、多くの者に不快感を与えた。

 口にこそしなかったが、心の中に不満を抱いたのは確かだったろう。


 それでも、董卓が朝廷を掌握し、漢帝国を立て直すにはそこまでの強権が無ければならない。

 董卓が開くまで朝議さえ行わなかった朝臣である。

 どれだけ宦官が全てを取り仕切ってきたか。

 その状況を変えるためには、皇帝の次の地位という絶対的な権力が必要なのだ。


「俺は革命を行わぬ」


 革命、それは天命をあらためる、という言葉だ。

 天命とは、天より与えられた命令。

 天命を持つ者が地上を治めるために、旧き体制を壊し、あらたに世界を形作ること。

 正しく言えば、易姓革命。

 天下を治める者のえ、める。


 だが、それには戦争が必要となる。

 国家内の大内乱だ。

 殷周の戦い、楚漢戦争、光武帝の戦い、それらを遥かに超える大戦となろう。

 春秋戦国時代に戻る、まではいかないが百年の間戦い続けることになっても不思議ではない。

 そうなっては漢帝国を立て直すどころではない。


 董卓の望みは、漢帝国の中で力を振るうことだからだ。

 というよりかは、新たな秩序を作ることなど想像もできない。

 なまじ外の世界である羌族に関わったために、強力な秩序である漢こそ堅固であれ、と思ってしまった。


「それでよろしいかと思います」


 と、李儒が静かに言った。

 彼もまた、漢帝国の秩序の中で立身出世を目指す者だ。

 余計な革命など望むはずもない。


「俺が望むのは、中央と地方に俺の権威が行き渡り、その両輪で漢帝国という戦車を走らせることだ」

「中央での権威は問題ありますまい」

「俺一人が高位にいても意味はない。俺の意を汲める者が配下にいなければ、朝廷を意のままにするのは不可能」


 当たり前のように朝廷を牛耳るつもりである董卓のことを、李儒は恐ろしく思った。

 己の手で押し上げた人物ではあるが、それが無くともいずれはこの地位を手に入れたのではないか、と思わせる風格だ。


「では、配下の方々をどんどん登用いたしますか」

「いや、それには及ばぬ」

「え?」


 いつも冷静な李儒が驚く姿を見て、董卓は笑った。

 そしてそれは当然のことなのだ。

 董卓の配下はその全てが武人である。

 それはそうなのだ。

 涼州で立ち上がり、武によってここまでやってきた董卓の部下らはどう考えても武人でしかない。

 彼らが優秀であることは間違いない。

 しかし、それは武人としての優秀さであって文官や政治家としてのそれとは違うのだ。


 確かに今までの為政者ならば、己の親族、部下らを手当たり次第に高位の官職につけていた。

 その者が本当に、その官職に相応しい能力を持っているかは別にして。


 だが董卓の考えは違う。

 官僚の適正を持つ者は官僚に、政治の適正なら政治家に、武人ならば武官に、だ。

 適正が、能力が無い者が高位の官職についた時に起きた不幸に、董卓は何度も辛酸を舐めさせられた。

 そうならないようにせねばならぬ。


 例えば重税を取るな、とは言わぬ。

 しかし、宦官の賄賂にするための重税は国家の発展を阻害する。

 国家のために使われるべき金が個人の財産となる。

 その個人は国家ほどの規模で金を使うだろうか?

 答えは否だ。

 余剰は溜め込まれ、使われることなく、あるいは奢侈品などにのみ使われるようになる。

 本来なら別の、公共的施設インフラなどに使われるべき金はそこには回らなくなる。


 漢帝国においても、本来国家がやるべき西域への交易路の警備を、涼州軍閥である董卓や韓遂が行っている。


 そういった状況を是正するためには、能力があるものがそれに相応しい役職につかなくてはならない。

 力が無い者が賄賂などで不当な役職につくことがあってはならない。


「なるほど」


 と李儒は頷いた。

 彼も、宦官の親族が多くはびこる朝廷や地方官の跋扈を見ていた。

 もし、董卓の言うような状況になるなら悪くない。


「というわけでな。人事を司るために人を推挙してもらいたい」

「実務に長けた人物ですな?」

「そうだ」


 その後、李儒は周毖しゅうひ伍瓊ごけいという人物を推挙した。


 周毖は李儒の属する西涼閥の一人で、涼州武威郡の出身である。

 父はかつて董卓と共に韓遂や辺章の反乱鎮圧に奮闘した盪寇将軍の周慎である。

 武官の父とは違い、文官畑を歩き、文官として一定の評価を得ていた。

 宦官との癒着もほとんど無いのも今回の推挙に繋がった。


 伍瓊は周毖の友人である。

 予州汝南郡出身、中央に近い予州出身かつ宦官側でない人物である。


 董卓は二人を取り立て、伍瓊を侍中、周毖を吏部尚書とした。


 この二人を中心に董卓の人事施策は動き出した。

 尚書の鄭泰ていたい、長史の何顒かぎょうも加え、多くの者が新たに任官された。


 三公の一つであり董卓もついていた司空に予州潁川郡の名士である荀爽じゅんそうを。

 また空位になっていた司徒に楊彪ようひょうを。

 一度、董卓が任官した大尉に黄琬こうえん

 黄巾の乱で大打撃を受けたが復興を遂げつつある冀州牧に韓馥かんふく

 兗州牧に劉岱りゅうたい、予州牧に孔伷こうちゅう、南陽郡太守に張咨ちょうし、陳留郡太守に張邈ちょうばくをそれぞれ任命した。

 冀州に逃亡した袁紹を勃海太守に任じたのもこのころである。

 が、袁紹がなびかなかったことで袁家から主筋の袁術を取り立て後将軍に任命した。


 また配下たちも武官の地位につけた。

 弟の董旻を左将軍、娘婿の牛輔を中郎将につけた。

 また同じく中郎将の地位に徐栄、段煨、呂布をつけ、胡軫を陳郡太守に任命した。

 これはつまり、中郎将の数の軍団を組織したということになる。


 朝廷の三公、洛陽周辺や冀州、予州、兗州に信任する人物を配置し、己の配下に公的に軍を動かせる権限を与え、董卓政権は磐石かと思えた。

 しかし、状況は大きく変わる。


 激動の189年。

 この年、後漢の年号は大きな出来事の度に次々に変わった。

 中平六年、光熹こうき元年、昭寧しょうねい元年、永漢えいかん元年、そして元の中平六年に戻された。

 四度も年号が変わるという事態は、どれだけ漢帝国が揺れ動いたかの証拠だ。


 だが、その年がまだこれから起こる大乱の始まりであったことを後漢の民は後に知ることになる。


 年が明けて初平元年(190年)。

 東郡太守の橋瑁きょうぼうが三公の公文書を偽造し、檄文を発した。

 冀州に逃亡していた袁紹もこれに呼応し兵を挙げた。

 各地の刺史、牧、太守らも立ち上がり、その波は一気に後漢を席巻した。


 檄文にはこう記されていた。


「朝廷を壟断し、皇帝を蔑ろにする奸臣、董卓討つべし」


 相国となり、漢帝国を立て直さんと行動していた己に反旗を翻す挙兵に、董卓は静かに激怒した。

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