百三十五、出会う
さしあたって問題なのは丁原の方だと董卓は言った。
「どういうことだ?」
と、張済が聞いてきた。
朝議のすぐあとである。
朝議の場で怒気を発し、盧植を斬り殺さんとした董卓の側になまなかの者はつけられない、と部下たちは判断した。
そのため、張済が呼ばれたのであった。
最古参の部下で軍全体の副長である張済なら、董卓をこれ以上怒らせることはないだろう。
だが、張済からしてみれば董卓の怒りは一過性で、それほど長続きはしない。
そういった気遣いの方が董卓には不愉快だろう。
それを宥めるのも張済の仕事かもしれない。
とりあえずは話を聞くことだ。
「何兄弟の軍勢を指揮下においた今、俺の武力は洛陽いや司隷全体でも一番だ。しかし」
「しかし、執金吾の丁原の戦力は無視できない、か?」
「そうだ」
「どうするつもりだ?一戦交えるか」
「最終的にはそれも辞さぬ、が、まだ打てる手はある」
「ほう?」
「匈奴出身の兵に李粛という者がいる」
「ん?」
「その李粛の友人に呂布という者がいる」
「呂布……ん?呂布ってあの?」
「左様、丁原配下の勇将、呂布奉先だ」
「丁原の腹心を寝返らせるってことか」
「実を言えば、もう面会の約束を取り付けておる」
「は?」
洛陽に来てからの董卓の動きは異常である。
皇帝と陳留王を保護し、宮廷を掃除。
司空であった劉弘を罷免し、自身が司空に就任。
朝議を開きつつ、その間に丁原追い落としを謀っている。
わずか数日で、だ。
もちろん、先に洛陽に入っていた董旻の仕込みはある。
董卓の決裁待ちの案件を多く用意して、一気に処理したような感じである。
それに、朝廷内の調整や工作を李儒をはじめとした西涼出身の官僚が働いた結果でもある。
ほとんどの公卿が対応できぬ間に、宮廷を支配下においた董卓とその配下の手腕が発揮された、ということであろう。
董卓と張済は連れだって洛陽の街を歩き始めた。
目的地は白然の店である。
数十年間、董卓に資金援助を行っていた大商人の白然は、董卓の友人であり、若い頃の董卓の家族を保護してくれたこともある。
その縁で、息子の白泰は董卓の娘婿となっている。
その店はもともと洛陽から長安、そしてそれ以西を行商した商人が創業した店であり、その交易路を使って利益を得ている。
交易路の安全を確保するには董卓ら涼州軍閥の協力が不可欠。
そのために董卓に援助しているのだ。
「これは仲穎様、お久しぶりでございます」
店で出迎えたのは白然だった。
「店主自ら出迎えか」
「司空になられたとか?」
「耳が早いな」
董卓の司空任官は昨日遅くで、今朝の朝議で発表したばかりだ。
それを商人である白然が知っているのは、どれほどの情報網を持っているのか。
「おいでになっております」
それは董卓がここに来た目的だ。
白然がどのような手立てを持っていても、それはいずれ白泰に受け継がれるはず、問題にはなるまい。
それよりかは待ち人の方が大事だ。
「うむ。会おう」
董卓は案内されて、白然の店の奥にある部屋に通された。
そこには若者が一人、所在なさげに座っていた。
いかにも異民族という風貌だが、異国的な精悍さを醸し出している。
董卓はずかずかと部屋に入り、その若者と対面に座った。
「俺は董卓だ」
「呂布、字は奉先」
董卓を目の前にして、青年は気負うこと無く名乗った。
「不審や不安を感じなかったのか」
「感じました。なぜ私がここに呼ばれたのか、と」
「そなたの名声が、それにふさわしいからでは?」
呂布、という武将の名は漢帝国の北ではよく知られていた。
并州に侵攻してきた鮮卑、そしてその大人である和連を撃破したことは大きな武名となった。
その他にも丁原の并州統治で大きな役割を果たしている。
「いえ、私などは」
謙虚な姿勢は儒者には好評だろうが、董卓には刺さらなかった。
『俺の前では本当の貴様をさらけ出せ』
董卓は漢人の言葉ではなく、匈奴の言葉でそう言った。
おそらく、呂布は匈奴の出身だろう。
并州五原郡九原県という呂布の出身地は、漢帝国の領内ではあるが匈奴の民が住む地だ。
ならば呂布の父か母が匈奴人なのだろう。
ならば漢人の言葉より匈奴の言葉の方が伝わりやすいだろう。
どちらの言葉で思考しているかはわからないが、本来の言葉の方が考えやすいだろう。
そうでない方の言葉ではどうしても考えが一拍子遅れてしまう。
その思考の遅れを覆い隠すために、謙虚の仮面を被っている、のかもしれない。
『私には本来の姿などない』
やはり、口調が違う。
本人はそう言うが、匈奴人としての姿が奴の本来のものなのだ。
『言葉を戻すぞ』
董卓は漢人の言葉と羌の言葉なら同列に思考と会話ができる。
若い頃は羌の地を巡って、言葉を覚えた経験が活きているのだ。
しかし、匈奴の言葉と鮮卑の言葉は理解はできるし、ある程度は喋れる、が流暢やら活達に話すことはできない。
「はい」
「俺は丁原の兵が欲しい」
「……それは」
「だが丁原自身は不要だ」
「それを私に話してどうするおつもりか?」
呂布は丁原の側近ではあるが、軍の指揮官というわけではない。
呂布を董卓に寝返らせても、丁原軍の兵が董卓に降るわけではないのだ。
「確かに丁原の兵を、貴様を寝返らせることで手に入れることはできぬ」
「その通りです」
「だが、貴様の、呂布の率いる兵ならばどうだ?貴様が寝返ればお前の兵もまたこちらのものとなろう」
「私に、丁原を弑せ、と」
「主簿や従事は貴様の仕事ではなかろう。俺は少なくとも騎都尉、あるいは中郎将の地位を用意できる」
騎都尉も中郎将も漢帝国の武官である。
秩禄は比二千石、騎都尉は若い良家の子弟がつく役職であり、中郎将は実際に軍を率いる役職だ。
少なくとも、刺史や執金吾の主簿が次に就く役職ではない。
それは、それほど呂布を評価しているという董卓の考えのあらわれである。
「馬が一頭、欲しゅうございます」
馬は異民族出身の武人ならば、必ず欲するものだ。
相棒であり、移動手段であり、戦闘では強さと機動力を与えてくれる。
羌や鮮卑がいまだに恐れられているのは、この騎馬軍団によるところが大きい。
董卓の愛馬である月騅も、年をとってきたがまだまだ元気である。
それを欲する気持ちはわからないでもない。
「どのような馬だ。羌の良馬ならすぐに用意できる。匈奴や鮮卑なれば少し時間はかかるな。いずれにしろ、必ず用意しよう」
「私が丁原殿を害し、その兵を引き連れて降る。ならば必ず用意していただける、と?」
「もちろんだ」
董卓は頷いた。
そして呂布は。
「遥か西の国、大宛にて生まれる赤き馬。汗血馬が、私の必要とするものです」
その一連の言葉を聞いて、董卓の思考は一瞬止まり、そして意味を理解した。
次にした行動は笑いだった。
それは獅子の遠吠えのような豪壮な笑いであり、嘲りの意味など一切ない感嘆の笑いであった。
「良かろう。確かに約束した」
「では私もすぐに動きましょう」
呂布は挨拶もそこそこにすっと立ち上がり、店を出ていった。
思わず様子を身に来た白然は、久方ぶりに上機嫌な友人を見た。
「董卓殿?」
「ふっふっふ。白然殿どうやらかなり無理難題を叶えてもらう必要があるぞ」
面白い者と会った。
董卓の笑顔は確かにそう伝えていたのだった。




